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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

僕とボクたちとのやりとり


 僕にとって、見えるようでなかなか見えない南アルプスにある「北岳」。大好きな山だ。

 富士山に次ぐ二番目の高峰(3193m)で、威風堂々としているにもかかわらず、富士山の陰に隠れて、どうも世間に対して地味な存在のように思える山「北岳」に僕は、妙に魅かれる。

 僕らの仕事の中でも「妙に地味だけどできるヤツ」っていうのがいて、どう考えても「リーダー」として適任だと思うのに、てっぺんで目立ちたくないヤツだ。

 僕にとって、そういう人は、どちらかというと「好きなのに苦手なひと」の部類だが、とっても信頼をおける連中が多いように思う。

 そんなヤツのひとりが退職して「介護」を去ろうとしている。
 理由は表向き「ほかにやりたい仕事が見つかった」ということだが、いろいろ耳にするにつけ「お金」のようだ。
 以前にもブログで書いたが、「介護」は一般職のままだと「お金」に跳ね返りにくい業界で、若くて経験が浅いとなると、なおさらである。

 誰に対しても表向きは「思うように生きろ」なんて格好よく言っていても、こういうヤツのときは「なんでお前がやねん」と、心の中で泣きが入る。

 表向きは「少なくともお前は国民の宝物やねんから、せめて介護業界に残れ」なんて言ったりするが、こういうヤツのときは「同業じゃなく異業種への転職」と聞くと、ちょっぴり救われた気持ちになる。

 出会いもあれば、さよならもある。
 そんなことはわかっていても、婆さんにとって、さよならしたくない・させたくない連中に対しては、「カネ」だというなら札束積み上げて止めたくなり、「位置」だというなら役職名並べて止めたくなる。

 僕の中にひそむ「もうひとりの僕」は、そいつの退職を聞いて、いろんなことを僕にふっかけてくるが、僕はそんな風に思えたヤツに出会えたことに感謝するのみであり、そんな風に思えるヤツに育んでくれた、そいつの上司や同僚に敬意を表するのみである。

 こんな風に、日本中で僕と同じように、自分の中にひそむさまざまな想いと格闘しているリーダー層や経営者はゴマンといることだろう。

 そんなことを描いているとまたまた、そんな想いでいることを伝えたい僕と、「言うな!」って声ダカに叫ぶもうひとりの僕が出てきて戦うが、僕はもうひとりの僕のほうが正しいと思って、今のところ堪えている。

 そうこうしているうちに「二人目のもうひとりの僕」がこともあろうに出てきて、「本当にオカネが退職理由かどうかを探ろうゼ!」って言ってくるのだが、これにどこまでこらえきれるか今の僕には「?」である。

 僕の頭の中は、悲しいことか喜ばしいことか、よくわかんないけど、僕といろんな僕との「娑交場」なのだ。

写真

 この季節、田んぼに水が張られ、タンポポなど花が空き乱れるなど里は春なのに、お山のてっぺんには雪が残り、そこから吹き抜けてくる風は、強く冷たい。

 そんな中、穏やかな日を見ては農業に精を出す地元の人たちがいて、その人たちですら「お山たちの丸裸日和」に、まれに出かけて行った自分が遭遇できたことの幸せ感は格別です。

 下の写真には、ハチミツづくりのお花畑の向こう側に、霞んでいますが日本一の高峰富士山が見えています(でも僕にとっては「北岳」の脇役でしかありませんがね)。
 僕の背景には「八ケ岳」がこれまたクッキリとハッキリとでした。

 この国の「どこか」で何が起こっていようがおかまいなく変わらぬ時が流れゆく、この国の「どこかを除くどこか」。

 でも今起こっているどこかの人たちも、かつてどこかで起こっていたことにおかまいなく変わらぬ時を今まで過ごしていたはずですから、「いつかはわがごと」だと耳にしてわかったふりをしてはいても、遭遇するまでは「ひとごと」なんですよね。
 しょうがないですよね。それが人なんでしょうからね。

 情報が瞬時に国中に行きわたる現代も、世の中がどんなふうになっているのか知る由もなかったかつての時代も、結局は同じってことなんですよね。

 でもあれこれの情報をもってすべてのことを「わがごと」と受け止めて行動し備えだしたら、それもまたとんでもないことになり、きっと僕らの暮らしの姿は、今のようにはいかないはずです。
 ということは「ひとごと」はそれなりに大事だってことですよね。


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