和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
いち介護職員に立ち返って自分を見つめ直したい
もう一度、いち介護職員に立ち返って鍛えなおしたいんです。知ればヤツの年収は3分の1になるというのに…。
前の職場から今の職場に転じるときに年収が100万円下がり、今の職場から次に行く職場に転じてまた100万円下がります。それでももう一度、いち介護職員に立ち返って自分を鍛えなおしたいんです。
今年に入って二人の友人から聞いた「いち介護職員に立ち返って」という言葉に、この仕事のもつ魔性を感じた。
生きていくために「オカネ」は必要。
それも「いくら必要か」は時の流れとともに変わっていくものだが、譲れない「生きざま」というのもある。
この二人は大ベテランであり、それなりの役職を担ってきた人たちだが、介護の仕事って本来の職務である「要介護状態にある人たちへの直接支援という立ち位置」に留まっていては稼げないから、意に反して役職を引き受ける連中もたくさんいる。
そのため「いち介護職」としての立ち位置へ立ち返るとなると、役職者から退き、退けば待遇が下がることになる。
それもおかしな話ではあるが、定員に定めのある介護事業の場合は、事業収入に限りがあるため、経験も能力もある人材を一般職にして、役職者並みの給与を支払う仕組みは、大規模事業者で少数に対してなら話は別だが、一般的には整えにくい。
だから「いち介護職員として鍛えなおしたい」という志に「オカネ」では応えにくいのが現実だと思うが、「カネじゃねぇ」と言わんばかりに突き進んだ二人。
もちろん妻子・親など家族の理解や条件が整っていればのことだろうが、それでもステキなこと。
逆に「まだ子どもにお金がかかるから」と突き進みたくても進めない友人もいる。これもまたステキである。
僕はボスと相談して社内ポストに「ハイパー介護職」という位置づけの職員を配置している。
これは「志に応える」とは少し違って、簡単に言わせてもらえば「力はあるが役職に就きたくない介護職員」に応える道筋を見出す試行。
でもこれも厳密に言えば、極めて限定的にしかできない仕組みで、力があって役職者になりたくない職員全員に応えることなんぞ不可能だから嘆かわしい。
今の僕にできることは二人の応援者でいることぐらい。
こんな志をもって生きる介護職員の存在を世間にお伝えすることぐらいなもん。
でも誰にでもそういう面があって、人は「オカネだけに・オカネだけで」行動しているわけじゃなく「オカネじゃない」ってことは多々あることだろうが、暮らしの根幹を決めかねない「仕事は別」となるのも現実かな。
ホント「突き進む」って魅力的やわぁ。
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大型ショッピングセンターの慣れない階に足を踏み入れたとき、ゲーム機がたくさん置いてあるフロアに出くわしたのですが、よく見ると、どのゲーム機の前にも高齢者・高齢者・高齢者…。
また別のフロアのパン屋の前に休憩用のテーブルとイスがあったので、すでに休んでいた高齢者の方と同席させてもらっていると、どこからか電動車いすの高齢者や杖歩行の高齢者など数名が集まってきて、あれこれお喋り。
ほほえましい光景だなと思って見ていると、何とパンが焼きあがるごとにイオンの客に提供する試食パンを取りに行って、いやパン屋の店員に持ってこさせて食べること食べること・・・。
ショッピングセンターで出くわしたこうした光景をどう考えればいいのか未だ整理がつかないが、ひとつ言えることは「健全な姿」ってことで、この人たちの足腰が弱ってきたらサロンやデイサービス等がショッピングセンターに成り代わるのではなく、「ショッピングセンターに行く」を継続できるように支援することが、介護保険法の目的ではないかということ。