和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
真っ当に「お互いさま」
国立と名のつくものはいろいろあるが、「さすが国立」と思えるものがある反面、「それでも国立かぁ」と思えるものもある。
今日は「それでも国立かぁ」と怒りを込めて書かせてもらう。
認定調査の更新時に医師の意見書がなければ認定審査がはじまらず、要介護度が出ない。事業者にとって要介護度が出ないとなると請求ができないことになり、仕事をしたにもかかわらず対価がもらえない事態に陥るということだ。
和田さんどう思います。
仲間はひどい話に怒りまくってまくしたてた。
1月末に介護保険証が期限切れとなるため早めに取り組んで、更新申請の調査を12月中に終えて手続きをしたにもかかわらず、国立病院の医師の意見書が2月末になるから認定が下りないって役所から言われたようだ。
事業者泣かせも甚だしい役人の怠慢であり、そのツケをなんで真面目に取り組んでいる自分たちが負わないといけないんだ! と知人は怒っているのだ。
これってホント、ひどい話である。
しかも、その連絡がきたのも2月末ぎりぎりになってからのようで、電話口の声に湯けむりが立っていた。
人がやることだから間違えることや忘れることなど「人のやることだからしょうがない」と思えるし、間違えたことそのものへの怒りはもたないが、役人がミスしたことまで僕らが負わされるのは、どうにも納得がいかない。役人と言えどそのミスは、自分たちがペナルティを負ってこそ役人がよく言う「自助・互助・共助、自己責任:日本社会の土台が成立する」ではないか。
以前うちの事業所でも、形は違うが「役人のミス」により僕らに入ってくるお金(報酬)が遅れる事態になった。
小さな事業所なら致命的で、それで金融機関や業者に頭を下げて回らねばならない事態だって起こりかねないのだ。
この時も、こうした話を役人にさせてもらったのだが、最終的には「ミスは事業者が負う仕組み」になっており何ともならなかった。
ただこのときは、最初は高飛車にモノ申していた担当者だったが、僕の怒り・疑問に対して然るべきポストの方までが理解を示してくれ謝罪してくれたことで、「お互いにミスがないようにしましょう」と決着できたので折り合えた。でも今回の場合は「ナシノツブテ」だとか。
事に腹が立ち、腹を立てた上にツケを払わされて、また腹を立てたとしても、結局最後にケツをふき、泣き寝入るしかない僕ら事業者。
むりくりこの話を介護報酬のマイナス改定に結び付けたくはないが、こんな「ツケ」まで勘案して介護報酬を仕組み化しているわけではなかろう。
「事業者は儲け過ぎているから報酬を下げろ」と言うだけではなく、自分たちがミスした時に「腹を切れ」とは言わないが、せめて「事業者に迷惑が及ばない修正の仕組み」を整えてもらいたいものである。
NHKの朝ドラ「マッサン」でマッサンの妻エリーの言葉にこんなのがあった。
戦火の日本。鬼畜米英、その敵国である英国から日本に嫁いできたマッサンの妻エリーの言葉だ。
この国には「情けは人のためにならず」という言葉がある
この国の人たちは辛い時に互いに励まし合い
わずかなものを分け合い
助けあい、奥ゆかしく、慈愛に満ちています
人生は不思議です
こんな恐ろしい状況の中で
わたしはこの国と出会えたことを誇りに思っています
傷をなめ合い痛みを避けるお互いさまではなく、自己責任を根っこにもつお互いさまにしたいと、僕に連絡をくれた知人の言葉が印象的であったが、ナシノツブテの役人と、そう言って憂いている事業者、どっちが真っ当か。
写真
何処に行ってもできるだけ「障がい者トイレ:誰でもトイレ」といったものを利用するようにしていますが、ある公共施設の「障がい者用トイレ」で見かけた光景です。
僕は1983年から「障がい者の列車の旅」を通じて、障がいをもっていても安心して利用できる公共施設・公共交通の運動に参加させていただき、特にトイレには興味関心をもってきましたが、このトイレは障がい者用トイレ初期の頃のものだと思いますが、ホント久しぶりに見ました。
何でもそうですが、こうした「草創期」から熟成されて「今」があるんですよね。
中央法規出版の雑誌『おはよう21』で連載されていた写真家・田邊順一さんの写真にみる“婆さん”と今の“婆さん”も同様で、僕の実践(著書『大逆転の痴呆ケア』を参照)だって当初は「虐待」なんて言われていましたからね。ハハハ