和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
「この時」におもう
4月29日~から5月7日まで、平日二日間を有給休暇にすれば「9日連続で休みとなったゴールデンウィーク(以下 ゴールデンウィーク)」に世間は賑わっていたようですが、介護職員の多くはゴールデンウィークとは無縁の方が多いのではないでしょうか。
生活というのは24時間365日年中無休が基本で、入院のように日常から別枠に移る場合はありますが、生活を支援する介護職員の就労はそれに合わさざるを得ず、ゴールデンウィークどころか日曜祭日もなく、その意味では一時的に止めることができる産業や事業とのズレが生じます。
独身の時は日曜日もゴールデンウィークも関係ない介護の仕事に何ら違和感がなかったとしても、お付き合いする相手や結婚した相手が日曜祭日お休みの仕事に就いている方だと、「年中無休・ローテーション勤務当たり前の自分」との間にズレが生じ、子供が小学生になる頃には、配偶者だけでなく子供との関係においてズレが生じるので、家族の側からか自分の側からかは別として「ズレへの違和感」を抱きはじめ、膨らんでくることでしょう。
その違和感の解消は人生における優先順位を変えるということですから「日曜日休日の事業・事業所」「夜勤がない事業・事業所」に目が向き出すでしょうし、やがては介護以外の仕事に目が向き始め、退職・転職へと気持ちは傾き、それが行動につながっていくのは無理からぬことです。
イギリスの老人ホームで仕事をしていた日本人の介護職が、「イギリスでは介護職の仕事は不人気。その理由はバカンスがとれないから」と言っていましたが、生活支援にあたっている介護職員に対して世間と同じ日程でゴールデンウィークを過ごすことができるようにするのは仕事の特性上難しいことです。
かといって、介護の仕事に就く者に連続する休日を諦めさせるのも僕的にはシャクですから、あの手この手を駆使して何とかできないか知恵を絞ります。
高校野球で甲子園に出場される子供さんをもつ管理者さんが「息子の晴れ舞台を見に行きたい、でも日数もかかるし…」と事業所のことを思って連続休日をとるのを躊躇されていたので一緒に動きましたが、職員さんの協力があれば何とかなるし、僕が所属する法人の規模を活かせばどうにでもなるもんです。
また、グループホームと小規模の併設施設に勤務する海外からの就労者が「一か月帰国」を希望してきたのですが、グループホームと小規模の2事業別々だと職員数的規模が小さい弱点があるため、日ごろから事業間の兼務者を配置(養成)して補っておくことで実現できました。
三十年以上も前の話ですが、岐阜県の施設を退職して上京し、東京で介護の仕事に就くための面接で面接官(新規開設施設の施設長で元役人)から、特養の運営に関する質問をたくさん受けました。そのひとつに「和田さん、介護職の皆さんにバカンスをとらせてやりたいんだが可能だろうか」というのがあり、僕は「働く人次第で可能です」と答えました。
その後、介護保険制度に移行して新しい事業もでき、事業によって困難度にばらつきがあります。
「同じ事業所の同僚と一緒に10日間のバカンスをとりたい」と言われると「1週間なら何とかできても10日間は厳しい」と言うしかないかもしれませんし、かつ「子供が休みになるこの日程に合わせたい」にも応えづらさがあることは否めませんが、職員さんたちで協力し合って何年に一度になるかもしれませんが「ゴールデンな連続休日」をとれるようにしたいし、とってもらいたいもんです。
福祉とは「人々が幸福に暮らす生活環境」だとしたら福祉の専門性は「人々が幸福に暮らす生活環境を整えること」にあり、年末年始、ゴールデンウィーク、お盆の年三回、世間とのズレを感じやすい「この時」を迎えるたびに、国民が行動することで悦びを満喫していることを下支えする介護の事業者や従事者への「誇り」と、社会に不可欠な介護業や介護従事者の社会的位置づけの低さに対する「怒り」の両極がムクムク起き上がり、この時が自分にとってアクセルを踏みなおす機会になっています。
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昔、美空ひばりの歌に「真赤な太陽」という歌がありましたが、まさにベトナムで見た朝陽も夕陽も真っ赤でした。
水蒸気やホコリが原因かと思われますが、いずれにしても幻想的でしたね。