和田行男の婆さんとともに
「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。
- プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)
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高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。
2014年59歳
毎年のことですが、2014年も「完」を迎えようとしています。
今年もこのブログを通して僕の言葉に目を向けていただき、脳を使っていただき、本当にありがとうございました。
僕にとっての2014年は、1955年産まれの僕ですから、50歳代最後の年に突入した年でした。
いよいよ来年は60歳。
あまり「年」のことを考えたことはありませんが、今年は「年」を意識しました。
その代表が、「残り何年、好きな車に乗れるか」ってことで、よく頑張ってもわずか20年ほどしか乗れず、20年を振り返れば1994年で、F1ドライバーアイルトン・セナの事故死、サリン事件など、ついこないだのことのように思えるほど「あっという間」しか残されていないってことですから、そう考えると居てもたってもいられなくなるというものです。よね。
車の運転は「好きな人と何年過ごせるか」などとは違って、生きてれば叶えられるってことじゃないだけに、かなり「年」を考えてしまいますね。
しかもこれからの時間は、これまでの時間とはわけが違って、身体の機能が低下してきますから、過去の20年と同じようにはいきません。
僕の場合と言えるのかもしれませんが、視力低下の影響が大きく、動体視力は素人目にも随分と低下していて、町中のように情報量が多様だと、スピードに比して脳の処理は追随できなくなってきましたね。
にもかかわらず、気持ちは20年前と変わりませんから「走らせたくなる車」に乗ることは御法度です。
僕の愛車1997年式ローバーミニ・ジョンクーパーSは走らせたくなる車ですから、いよいよ手放す方向(売りに出す)です。
車はひとつの例ですが、要するに「今の自分に合った暮らし方」を考えるようになったのが2014年だったように思います。
そんなことを考えたことなんて一度もなかったのですが、これも60歳を目前にした50歳代最後の年の影響なんでしょうかね。
そういや49歳の時にもそれまでになかった大きな出来事がありました。それは「和田行男ってどういう奴かを考察してみよう」ということでしたが、そのおかげで「今の僕」に至れました。(これは僕にしかわからないとは思いますが、僕を良く知る人は「今の僕」は「それまでの僕」よりは良いと言ってくれます。ハハハ)
何となく僕にとって節目となっている「○9歳」ですが、これもあと何回迎えられることやら…。
来年10月10日までの59歳、大切にしたいと思います。
良い年をお迎えください。
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日本中を車で走ってきましたが、この交差点は解りやすい。その地名は「かんたん」。
大分市内で見かけ思わずパチリ。
介護保険制度が改正されるたびに複雑になり、その説明はすべて事業者任せにされていますが、説明する側も聞く側もややこしくなるばかり。
今の仕組みを「介護保険契約当事者」はどれほど理解できますかね。もっと「かんたん」にしてもらわないと介護保険制度の根幹が崩れてしまいますよね。