高室成幸のケアマネさん、あっちこっちどっち?
全国津々浦々、研修・執筆・アドバイザー活動を神出鬼没(?)・縦横無尽に展開する高室成幸さん(ケアタウン総合研究所)。
研修での専門職との出会いや、そのなかでの懇親的な現場を届けます。
- プロフィール高室 成幸 (たかむろ しげゆき)
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ケアタウン総合研究所所長。
日本の地域福祉を支える「地域ケアシステム」づくりと新しい介護・福祉の人材の育成を掲げて活躍をしている。「わかりやすく、元気がわいてくる講師」として全国のケアマネジャー、社協・行政関係、地域包括支援センター、施設職員等の研修会などで注目されている。主な著書に『介護予防ケアマネジメント』『ケア会議の技術』『ケアマネジャーの質問力』『新・ケアマネジメントの仕事術』(以上、中央法規)、『地域包括支援センター必携ハンドブック』(法研)など著書・監修書多数。
高室流考えるヒントの本音:福祉とふくし
昨日、月刊ケアマネジャー2月号が届きました。今回は「福祉とふくし」です。このテーマは、私なりには満を持した気持ちで書きました。
というのは、「福祉」という言葉が実に安易に使われ過ぎることへの危惧・・・つまり危機感にあります。
もう1つは「福祉」という言葉があまり好きではない、という自身が抱くモヤモヤ感があります。おそらく、福祉と介護を混同している人も多いと思います。それに福祉に「ビジネス」や「企業」や「起業」という文字がくっつくと、俄然に異様な印象が匂いたつように思いませんか?
このあたりを、この際、はっきりさせておきたいと思ったからです。
思い起こせば、私が日本福祉大学をめざした理由の1つは「福祉の仕事」にかかわりたいと思ったから。亡き父は私が物心ついたころから下肢麻痺で、歩行には杖が必要な立派?な身体障がい者でした。
持ち前のバイタリティで器用にスーパーカブを乗りこなし、役場の職員を勤め上げました。4人きょうだいの1人くらい福祉の道に行くのが筋だろうという気持ちと学費が当時は国立並みにお安かったのと、それと福祉という仕事につくことでいっぱしの社会貢献ができるのでは、という考えがあったからです。
という思いも、4年間の学生運動?まがいに明け暮れたために、福祉の仕事の就職活動はしないは、担当教官とケンカして卒論は書かないわ、卒業単位はスレスレという、散々な学生生活を送りました。
おっと、私の自己反省が目的ではありませんでした(^_^;)。ただ、社会人として東京に出て、「福祉の大学を出た」ことは、あまり口にしたくない自分がいました。大した勉強をしていなかったことが大前提にありますが、この自分が「福祉」を吹聴することへの戸惑いと「福祉」という文字そのものが持つ「上から目線」な印象がぬぐいきれなかったからです。
縁あって30代の10年間、外資系の金融機関で仕事をバリバリとやる機会がありました。そこは、ボランティアにとても熱心で、フィランソロピー活動として年に1回は全社あげて行う日までありました。
今では多くの企業も参加するようになった「がん末期のこどもたちの夢をかなえる活動」の始まりも、この企業からでした。
それは、さておき・・・ここで興味深かったのは「ボランティア」となると、みんながとてもお行儀よくなり、「いい人」になることでした。それは、私なりに衝撃でした。そうか、ボランティアや福祉という言葉には、かれらをこのような人にする「マジック」があるのだと思ったものです。
しかし、かたや、介護保険が始まり、有料老人ホームや福祉用具、デイサービスを全国展開する企業が「福祉」を堂々と語り始めます。
介護保険の5年間で介護業界をクチャクチャの混乱に貶めたコ〇〇ンの折〇某も、ずいぶんと堂々と福祉を語っていたものです。
私は「なんと福祉という言葉は、なんにでもくっつく親和性の高い言葉なんだな」と感じ入りました。
同時に、懸念も増大します。
福祉という言葉が次のような効果があることがわかったのです。
- ・黄門さまの印籠効果
- ・本質を覆い隠すカモフラージュ効果
- ・今までの罪を赦す?免罪符効果
このテーマの執筆にあたり、和歌山県御坊市の社会福祉士のTさんに偶然に話題にしたところ、次のようなリアクションがありました。
「先生、大阪の〇〇区の〇〇地域(貧困層が比較的多い場所)には、生保の人歓迎!と垂れ幕を掲げている福祉マンションがあるんですよ」
まさに福祉を標榜する貧困ビジネスですね。彼らの言い分は「どこも引き受け手がない人を私たちはお世話している」というもの。この言い回しこそ、免罪符+印籠であり、本来の金儲け主義をカモフラージュする効果があるな、と私は考えます。
介護保険がはじまる10年前、当時の厚生省は「ゴールドプラン」を掲げ、全国に特別養護老人ホームを急ピッチで整備しました。それは時代の要請であり、必要なインフラだったと評価できます。
しかし、そのなかの一部には、地元で経済的に成功し、富を蓄え、次は「名誉」とばかりにはじめた方々が少なからずいました。かつての篤志家のように、止むにやまれぬ気持というより、「次は福祉でもやってみようと思っているんだ。なにせ最初の建設資金とかほとんどが補助してくれるからね。親方日の丸だから、絶対に潰れないしね」というビジネス感覚で始めた人たちの存在です。
いずれも、みなさん「福祉、福祉」のオンパレード。議員も「福祉の〇〇」、企業も「福祉で〇〇に貢献」・・・食傷気味ながら、まだまだ効果のある「福祉」という言葉。ところが、これらが本来の「福祉」にヒビを入れたり、溶かしたりしていないかという危惧です。
いちどハタと立ち止まって考えてみましょう、という提案です。
ちなみに、私は漢字表記の「福祉」は好みませんが(連載をお読み下さいね)、ひらがな表記の「ふくし」は好きです。これが国際語になること、その思いを最後にまとめました。
今回のブログはちょっと長々と書きました。
最後までお読みいただき、感謝です!(^^)!
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私の研修の様子は、ケアタウン総合研究所の公式FBをご覧ください。