宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
「馬の耳に念仏」とサイバー空間
静岡県裾野市のさくら保育園の3人の保育士による虐待事案と、沼津市の精神科病院ふれあい沼津ホスピタルの2人の看護師による虐待事案が、それぞれ報じられています。
さくら保育園の虐待では、3人の保育士は逮捕され(内2人はこれまでに釈放)、櫻井園長も裾野市に刑事告発を受けました。
同園のホームページにある保育目標は、「明日を担う子供たちを、伸び伸びと恵まれた環境の中で、育成すること」とあります。ふれあい沼津ホスピタルのホームページには同グループの理念として、「人を尊び、命を尊び、個を敬愛す」とあります。
さくら保育園の保育目標とふれあい沼津ホスピタルの理念は、実践の実態とは大きく乖離した、「空念仏」の典型です。
さくら保育園を運営する社会福祉法人櫻愛会は、現在の理事長兼園長の父親が設立した法人です。同族支配の下で組織的な腐食が進んでいった社会福祉法人のようです。今回の虐待事案に係わる記者会見は急遽中止となり、園長は姿をみせませんでした。
二代目の現理事長兼園長は、虐待通報をしようとした保育士に土下座までして通報しないように求めた上、全職員に対して問題を口外しないように誓約書を書かせた事実があり、犯人隠避の疑いがかけられています。
通報から事実確認の初動を施設長が自らの管理下に置こうとする行いは、犯人隠避の嫌疑から刑事告発される可能性のあることを関係者は肝に銘じるべきです。
ふれあい沼津ホスピタルの記者会見は一部始終が報道され、私も注意深く視聴しました。外形的な内容の謝罪会見に過ぎません。
まず、「認識が甘かった」「速やかに関係機関に届出する意識が欠けていた」と、虐待の発生要因を認識・意識の問題にすり替えます。病院内の虐待は、食堂と保護室で発生しており、この内食堂で発生した虐待については他の職員が目撃しているはずではないのでしょうか。
この会見で病院側は、虐待した職員が「かっとなってやった」とか「患者に注意する行為だった」と説明しているようですが、虐待発生の構造的要因を全く考慮しない稚拙な弁明に過ぎません。信実さに欠ける会見に終始した印象を拭うことができません。
ただ、この精神科病院の院長は、記者会見の中で一つだけ組織的な問題を明らかにしています。院長の発言の主旨は、「院長だからすぐに届出をする権限がある訳ではなく、ここは理事長への報告とそこからの指示に従うことになっている」という内容でした。
つまり、虐待の関係機関への届出を理事長の管理下に置いて、関係機関による虐待の事実確認を妨害しかねない組織的手順が定められていた疑いがあるようにもみえます。
実際、この病院の虐待の発生は9月であるにも拘らず、静岡県東部保健所への届出は12月19日であり、この間に虐待者である看護師は退職しています。精神保健福祉法にもとづく立ち入り調査に入っている静岡県は、3カ月間に及ぶ届出の遅れを招いた組織的問題を明らかにする責務があります。
このような社会福祉法人や精神科病院に、虐待防止法の遵守や国連・障害者権利委員会の勧告を受けとめる素地はありません。法人理念は「空念仏」である上に、虐待防止の取り組みの重要性を伝えても、恐らく「馬の耳に念仏」です。
そこで、事態の改善には、自治体の実効的な監査と、利用者・家族の運営への参画保障が必要不可欠です。このような指摘は、私見によれば、すでに山のようにされてきました。
しかし、自治体の実地検査や監査は、人手不足で低調である深刻な実態が報じられています(12月18日朝日新聞朝刊)。その上、障害者支援施設に対する監査の実態については、監査の水準と内容に大きな自治体間格差があり、その格差の是正は改善される気配さえありません。
市町村に丸投げされた行政実務の多くは、小規模な自治体ほど実務にむらが出やすい。この問題は、自治体間競争の下で、小規模市町村のもつ実務的制約の実態を明らかにしながら、市町村合併への誘導を図ろうとする自治体政策そのものに起因するものです。
次に、保育所や障害者支援施設への利用者・家族の参画については、三つの問題点があります。
一つは、子ども・障害当事者の参画に不可欠な、子どもの意見表明権の保障や障害のある人への意思決定支援の取り組みが、わが国においては遅々として進んでいないことです。この問題は、ヨーロッパとの対比で少なくとも30~40年の遅れがあると言っていい。
意見表明や意思決定に係わる支援が遅れている背景には、制度的条件整備が全く図られていないことに加えて、支援現場の課題認識の欠如も大きく、これらは「共同正犯」の関係にあると考えています。
あと二つの問題は、1970~90年代の20世紀後半にみられた参画のあり方とその変容に係わっています。
まずは、20世紀後半にみられた参画の崩壊です。20世紀後半の参画はいうなら「ぐるみ型」で、「保育所や施設の発展のために、職員も親もひっくるめて頑張る」という点に特徴がありました。ここでは、施設・法人と親が恰も運命共同体であるかのように擬態化され、「車の両輪となって支え合う」などと表現されてきました。
しかし、「ぐるみ型」の参画は、法人・施設職員と親・利用者の立ち位置の違いを有耶無耶にしたまま、「ムラ社会」的な性格を保持しています。そして、いつの間にか支配的な一族やグループが異論を排除する動きをみせるのです。私は、そのような数多くの法人や施設のあることを目の当たりにしてきました。
このような法人・施設においては、法人を支配する一族や支配的なグループが、すべての利用者・家族の運営への参画を阻む障壁となっているのです。それは、一部の人たちの利害を守る意図によって形作られた支配構造です。
もう一つは、インターネットの急速な普及によって、対面型の参画が急速に縮減していった問題です。この対面式「ぐるみ型」参画にしがみついてきた多くの「運動体」は、これまでにその影響力を著しく喪失することになりました。
このようにみてくると、利用者の参画については、20世紀型の参画とは異なる今日的なあり方の創造が重要な課題となっていると言えるでしょう。
20世紀型の参画について、私は保育所と学童保育の父母の会で直に体験してきました。毎月少なくとも1回の父母会を19時頃から2時間ほど開催し、子育ての悩みと楽しみを交流し、保育内容にかかわる提言と要望を話し合い、制度改善に向けて保育所・学童保育と協働し、父母会主催の行事(親睦会、キャンプ、餅つき大会など)を運営していました。
その営みは、当時にふさわしい父母会活動とは思いますが、それらが今日でも妥当であるとは全く考えていません。保育所や学童保育をめぐる制度も、父母の暮らしの現実も全く異なるからです。
サービス利用は利用契約制に変わりましたし、父母の非正規雇用化と就業時間帯の多様化が際限なく進みました。父母会の曜日と時間を調整してみんなで集まることでさえ不可能に近い現実があります。
さらに、正規雇用に就く「市民」と非正規雇用の「大衆」の間には分断による深い溝があるため、生活の成り立ちの違いを越えて課題認識の共有をはかることには、これまでの経験値では歯が立たない未曾有の困難があるといっていい。
このような問題をどう克服するかについての個人的な試行錯誤は様々にしてきたのですが、残念ながら、未だに十分納得できる解には辿り着いていません。ただ、ヒントとして注目しているのは、「保育を考える親の会」の活動です。
情報化社会の進展によって、保育や施設利用に係わるインターネット上の情報は膨大なものとなりました。この情報を素早く的確に分析し、多くの父母の疑問と要望を整理し、利用者市民による直接参加のチャンネルを拡充していく展望が、この会の活動に開かれているように思います。
地方議会議員の不勉強でぬるい活動を賦活化することと、社会福祉法人の「ムラ社会」化した支配構造を抜本的に変革することを目的として、サイバー空間を通じた問題点の明確化と課題認識の共有を広範囲に進め、一つの自治体や保育所・施設・法人に閉じられることのない開かれた事態改善のための協働を構築する新しいステージに私たちは立っていると考えます。
それは、ICT技術を駆使しながら、篠原一さんの『市民の政治学』(岩波新書)の指摘にある政治行政への「ツー・トラック制」による参加(議会を通じた間接的参加と市民による直接的参加)の充実を図る課題に他なりません。
黒豆を煮ました
年の瀬です。この1年は、施設従事者等による虐待と精神科病院における虐待の深刻さをつくづく思い知らされました。虐待防止の取り組みが抜本的に刷新される新年となることを期待しています。
みなさん、よいお年を。