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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

香川県障害者虐待防止研修に参加して


 この12日に香川県庁ホールで香川県障害者虐待防止研修が開催され、講師として参加しました。Covid-19の感染拡大を考慮し、例年よりソーシャルディスタンスを確保しやすい大きな会場で開かれました。

香川県障害者虐待防止研修

 障害者虐待防止法の施行から10年が経過しました。神奈川県立中井やまゆり園の酷い組織的な虐待事案が明るみに出たように、施設従事者等による虐待の実態は、必ずしも改善に向かっているとは言えないようです。

 しかし、今年は、障害のある人の権利擁護に係わる重要な二つの問題提起がありました。一つは、今年の4月に厚労省が出した『施設従事者等による障害者虐待の防止と対応の手引き』(以下、『手引き』と略)であり、もう一つは、9月に国連・障害者権利委員会が日本に出した勧告です。

 まず、『手引き』は、これまで以上に踏み込んだ、適切で包括的な内容を提示している点で高く評価できます。ガバナンスや専門性の問題への指摘は的を射ています。

 たとえば、『手引き』の指摘するガバナンスの問題の一つに「理念、使命、ビジョンの欠如」があります。これは常々まことに深刻だと考えてきました。

 さまざまな事業体や社会福祉法人がホームページで掲げている理念の殆どは「空念仏」といっていい。実態を伴わないものばかりです。同族や個人による支配の維持が本当の「使命、ビジョン」であるのに、「高邁な理念」を空疎に掲げている社会福祉法人は山のようにあります。

 ただし、この『手引き』は、その内容を実現するために必要不可欠な制度的な条件整備の課題には一切触れていません。結局、自治体と支援現場にさじを投げただけだと映る点で、実効性には疑問符が付きます。

 この9月、国連・障害者権利委員会は、わが国に厳しい内容の勧告を明らかにしました。障害のある人自身が市民としての権利を行使できるようにするための制度や仕組みの不備、とりわけ意思決定支援の圧倒的な遅れを問題として指摘しています。

 障害のある人の権利擁護に係わるこれら二つの重要な問題提起は、これまでの虐待防止に係わる取り組みの刷新に資する具体的な内容を持っています。すでに、このブログでは「虐待防止研修の刷新」(11月14日ブログ)を指摘しました。香川県の研修では、この刷新がなかなか進まない背景事情について考察しています。

 まず、支援施設・事業所が厚労省の新たな『手引き』や国連の勧告を十分に受けとめているとは、今のところ思えない点です。国連・障害者権利委員会の勧告にビビッドに反応した社会福祉法人や業界団体も見当たりませんし、新たな『手引き』を受けて虐待防止の取り組みを刷新しようと努力している施設・事業所を、少なくとも私は知りません。

 私が直に経験したケースの中には、虐待事案が発生した障害者支援施設でありながら、虐待防止に抗うような「マニュアル」に拘泥して憚らないところさえあるのです。

 『手引き』と勧告の内容を私が直に伝えているのに、のらりくらりと無視を続ける。「虐待を受けたと思われる障害者を発見した者は、速やかに、市町村に通報」という通報に係わる法規定を捻じ曲げて、虐待の通報から初動の段階を、できる限り施設長の管理下に置こうとするマニュアルに捻じ曲げていくのです。

 客観的にみれば、通報を受けて事実確認に入る行政の職権による初動を妨害する内容です。この問題指摘に対しても内容を改めようとしない。恐らく、閉鎖的なムラ社会と化した社会福祉法人の中で、通報をしないまま虐待を握りつぶしてきた「誤った成功体験」がこれまでにあるのでしょう。

 このような現実を踏まえれば、アンガーマネジメント研修などという表面的な取り組みに虐待防止の効果を期待するのは、お門違いであるということが明白です。虐待防止の取り組みの総体を構成する柱は、およそ次の4点から構成されなければならない。

〈管理運営〉管理者による虐待防止に向けたすべての職員に対する適切な方向づけ
〈専門性〉個々の職員の専門性と組織としての専門性が全体的に向上する取り組み
〈人間関係〉利用者支援に係わる職員相互の協力を担保しうる人間関係
〈閉鎖性〉施設・事業所が閉鎖的なムラ社会に陥らず、外部組織との連携や協力関係を促進する風通しの良さ

 これらの柱は、バラバラに分けて取り組む課題ではありません。これらを一体の課題として関連づけ、組織的で計画的に取り組むことによってはじめて、実効性のある虐待防止になります。

 ここで、もっとも重要な点は、これらの四つの柱の基軸に「適切な支援」の実現に資する専門性という方法論的領域を据えることです。

 この点と係わって、強度行動障害支援者養成研修には、取り組みの起点に疑義があることを指摘しておきます。どうして二次障害から入るのかという疑問です。中身の主要な部分は、ASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)、ADHD(注意欠如・多動性障害)の人たちに対するない支援のあり方であるのに、二次障害である強度行動障害が取り組みの起点に据えられています。

 すると、この起点の据え方は「強度行動障害になったら取り組む」という根本的な間違いを招きかねないのではないでしょうか。課題への焦点づけが倒錯しています。

 行動障害のある状態像が、不適切な支援や虐待の発生要因であると考えるのであれば、知的障害、ASD、LD、ADHDのある人たちに二次障害を発生させないための適切な支援のあり方を第一の課題に据えなければならない。

 『手引き』が「特に、自閉症についての障害特性、行動障害の理解と支援についての専門性の欠如」と指摘する点は、40年遅れの今さら感は拭えないとしても、中身は的確です。

 しかし、施設従事者等による虐待の重要な発生要因の一つが、職員の障害特性の無理解にあるとすれば、管理者と支援職員に係わる要件の制度設計そのものに欠陥があるということです。

 ASDについての現場の混乱は深刻です。

 一つは、この30年ほどの間、ASDに関する研究が進み、支援実務のあり方も急速に発展してきたことに関連しています。50歳前後からそれより年配の管理者・幹部職員が学生時代に学んだ「自閉症」についての知見は、もはや歴史上の「ガラクタ」です。

 私の経験では、定型発達と非定型発達の基本的な区別のできていない年配の親・職員がとても多いように思います。ここでは、知的障害と自閉スペクトラム症が混然一体となっている場合が多く、適切なアセスメントができない事態につながっています。

 2013年に出たDSM-5は、従来の自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群を、自閉スペクトラム症という一つの疾患単位に括りました。ここまでの20~30年の研究成果は、理論と支援実務のあり方を大きく刷新することになりました。

 しかし、管理者や幹部職員が自らの障害特性に関するカビの生えたような知見と支援実務を更新するのではなく、自分の古い知識と経験値にしがみつくケースは実に多い。場合によっては、年配者の陳腐化した支援実務を若い職員に押しつけることによって自らの権威とプライドを守り、今日的な専門性の向上を阻むのです。要するに、典型的な老害です。

 もう一つは、自立した地域生活と社会参加を促進するための支援にかかわる問題です。ASDの障害特性の中核には「社会性の障害」が据わっていますから、人と社会とのかかわりで無理強いしないことと、「自立した地域生活と社会参加を促す」方向で支援することには、二律背反する難しさがつきまといます。

 ASDの人に対する支援は、これらの矛盾する課題の双方を受けとめて、「割り切らない適切な支援」を継続的に組み立てていかなければならない宿命を負っています。

 ここで、ASDの障害特性に関する支援者の無理解があると、「この人たちも自立して社会の中で生きる力が必要だ」として、さまざまな「無理強い」を重ね、行動障害を拡大させてしまいます。

 これらの現実を踏まえて「適切な支援」を実現するための系統的で計画的な研修の実施には、少なくとも、「ASD支援・5か年計画」を国が責任をもって施策化し、ASDに関するすべての支援者の専門的スキルを向上させて平準化するために、必要な予算を講じる必要があるのではないでしょうか。この方が、「〇〇研修を受けたら事業者報酬を加算する」ことをインセンティヴとする陳腐化した手法より間違いなく効果的です。

本四架橋から瀬戸内の夕日

 香川県の研修を終えた後、高松駅から快速マリンライナーで本四架橋を渡り、次の目的地の小倉に向かいました。サンライズ瀬戸による早朝の瀬戸内海とともに、夕焼けに浮かぶ島々の情景も実に美しい。