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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

自閉症スペクトラム(ASD)をめぐる無理解


 このブログでは、これからしばらくの間、虐待防止の取り組みを進める視点から、現在の障害者支援施設が抱える構造的な問題について連載します。今回は、ASDをめぐる無理解についてです。

屋島・獅子の霊巌から瀬戸内海を臨む

 先週、ASD(自閉症スペクトラム)と知的障害を併せもつ人たちで利用者のほとんどを構成する、障害者支援施設ウィンドヒルの虐待防止研修に講師として参加しました。香川県高松市の小高い丘の上に建つ施設です。

 研修に先立ち、支援場面を視察させていただきました。ほとんどの利用者はASDと知的障害を併せもつ人ですから、支援の難易度はとても高いと思います。

 しかし、利用者の多くはとても落ち着いた様子で取り組みに参加しています。ミニ・サーキットのような取り組みでは、自分の順番を「待つ」ことができており、これまでに積み重ねられてきた支援が的確であることを示しています。

 ASDと知的障害を併せもつ人の支援について、私は大学院生の時代に、忌まわしい事件に遭遇した経験があります。当時、週1回お手伝いに通っていたある知的障害者施設での出来事です。

 利用者Aさんは、知的レベルは発達年齢で7歳程度の「受動型」の自閉症でした。ここでまず、「受動型」について解説しておきましょう。

 ウィングは、認知の遅れと認知の歪みの程度の組み合わせによって、ASDの対人関係の特徴を3つに分類しています。

 一つは、認知の遅れも歪みも共に強く、特定の人以外の対人関係を回避してしまうタイプの「孤立型」です。周囲の人をこだわり行動に巻き込んでいく傾向が強く、睡眠障害やてんかん発作を合併する割合の高いことが知られています。

 もう一つは、認知の遅れはあるが歪みは少なく、受け身の立場であれば比較的安定して人と係わることのできる「受動型」です。

 三つ目は、知的なレベルは高いが認知の歪みは大きく、人に積極的にかかわるのですが、独特のやり方で一方的にかかわるために、周囲とのトラブルを起こしがちです。

 この中で、Aさんの受動型は、社会的にもっとも働くことのできるタイプと言われています。しかし、周囲が無理を強いることを重ねていくと表情が険しくなり、パニックの発生につながります。

 また、受動型の人がいつもとは異なるこだわり行動やパニックをみせたときは、虫歯による歯痛や中耳炎など、身体的な異変に起因する事例が多いことにも注意をしなければなりません。

 私が最初にAさんに出会ったとき、コミュニケーションは取りやすく、人との関係性も安定しており、典型的な受動型の特徴を持つ人だと思いました。ところが、数カ月の間に、徐々に表情が険しく、不機嫌さや苛立ちが目立つようになり、周囲とトラブルを起こすことが多くなっていきました。

 ある日のこと、Aさんは施設からプイっと外出し、近くの川に入水自殺したのです。川辺には、Aさんの靴が揃えてあったと伺いました。

 週に一度通っている私でさえ、Aさんの表情の変化には何か重大なサインがあると感じていました。が、当時、その施設の施設長と担当職員は、Aさんの表情の変化に特別の注意を払うことはなく、これまで通りの日課と支援をルーティンにしていました。

 Aさんのお葬式では、施設長が親御さんに対して「これまでよく頑張ったね。けれども、本当に残念に思います」と語っている場面に出くわし、この施設の取り組みに対する強い不信感を抱いた思い出が残っています。

 今振り返ってみると、この施設のASDに対する専門性と支援スキルが欠如していたことに加え、当時の知的障害者施設の取り組み方の特質がAさんに無理を強いることになり、自殺にまで追いやってしまった事案であるように思います。

 この自殺事案の発生した1980年代から90年代にかけては、知的障害者の更生施設と授産施設が急増しました。この時代は、あくまでも定型発達モデルをベースに置いた知的障害の理解が施設職員の基本にあり、集団的な枠組みを前置きした働く取り組みを中心に据えていました。

 ごく単純化して言えば、集団的な取り組みを進める中で、知的障害のある人たちが相互に切磋琢磨し合い、人間的な成長と発達を拓いていくという展望を良しとしていました。「働く中でたくましく」です。この言葉に聞き覚えのある方はたくさんいると思います。

 ところが、ASDのある人たちは、基本的な対人関係を取り結ぶことに障害(社会性の障害)の核心をもちますから、まずは個別支援を通じてそれぞれの特徴を確かめながら進めなければならないことが山のようにあります。

 たとえば、知覚過敏や嫌悪刺激のあり様は、ASDの人によってそれぞれ異なるため、それらを特定しなければ支援に必要な最低限の配慮さえ明らかにすることはできません。

 とくに、この数年の間、従来考えられてきた以上に知覚過敏がASDのある人たちを苦しめていることが明らかになっています。

 以前、栗原類さんが司会を務めるNHKの番組で取り上げたことがあります。聴覚過敏の実例として、スーパーマーケットやコンビニの中で、冷蔵庫や冷凍庫のコンプレッサーのモーターの駆動音が、すさまじい轟音に聞こえていることが紹介されていました。

 では、今日の「知的障害者施設」が、取り組みのはじめに、ASDのそれぞれの人に異なる知覚過敏や嫌悪刺激を確認することをしているのか、あるいはこのような手順の必要性を自覚しているのかどうか。ASDの障害特性や認知の特徴に即した取り組みを本格化している施設は、残念ながら今でも多くありません。

 さらに、物理的構造化(パーテーションで個人スペースを区切るなど)と視覚的構造化(絵カードやスケジュールカードの活用等)が応用のできる施設職員はまことに少ないと言っていいでしょう。

 構造化の前提に必要なASDの認知の特徴に必要十分な理解を培うことなく、構造化の実例だけが独り歩きして氾濫しています。どこかの研修(このほとんどが強度行動障害支援者養成研修です)で示された構造化の事例を自分の施設で真似てみるだけのことで、自分の施設の利用者の認知の特徴を踏まえた実務への応用力は殆ど磨かれないのです。

 自殺したAさんの施設には、孤立型のASDの利用者Bさんもいました。Bさんは、知的遅れと認知の歪みはともに重く、集団的に「たくましく働く」取り組む枠組からは、はじかれてしまい、事実上、放置されていました。

 孤立型のASDが放置されると、社会性の障害(人と人との基本である対人関係がとれないというASDの障害特性の中核部分)が完成してしまいます。つまり、完全な「自閉」の状態となり、職員から放置されたまま施設の敷地内を無為にうろうろ歩くだけの毎日になっていました。

 このようにみてくると、定型発達モデルをベースとする「集団的な取り組み」を施設支援の基本形とする「知的障害者施設」の文化には、ASDに対する取り組みに係わる脆弱性を招いた事実があるのではないでしょうか。

 その証左に、1980~1990年代は、定型発達モデルをベースにした知的障害者の集団的な取り組みを「美しい物語」とする事例発表会や出版物が巷に溢れていました。作話が溢れていたと考えますが、支援の目指す方向性と枠組みはそれらに端的に示されていました。

 しかし、その時代においても、AさんやBさんのように、集団的な取り組みからはじかれて支援の枠外に追いやられていたASDの利用者は厳然と存在しましたし、そのような人たちの姿や事例は、事例発表会や施設の取り組みを書いた本の中で明らかにされたことはありません。

 ASDの人たちの障害特性や認知の特徴は、非ASDの通常の人がもつ心と考えの運びの延長線上では理解できないし、理解してはならないことを明らかにしています。簡単に言えば、定型発達の延長線上でASDの人たちを理解してはならないのです。

 ASDの人たちの障害特性に係わる基礎的な無理解は、1980~1990年代の知的障害者施設の急増期に、支援に係わるボタンの掛け違えを質すことなく、集団的な取り組みを基本形とする文化の固執につながりました。このような構造的問題は、今日なお十分に克服されないまま引きずっているように思います。

 定型発達をベースとする集団的取り組みを枠組みとする支援は、さらにいくつかの問題を派生させました。次回は、今回指摘した問題がどうして長年克服されてこなかったのかに係わる問題について考察します。

べぇすけの天ぷら

 香川では、丸穴子のことを「べぇすけ」と呼び、夏場はとくに大物を戴くことができます。一人だとあまりに大きくて食べられないので、半身の天ぷらを頂戴しました。カリっと仕上がった天ぷらの中は厚みのあるふわふわの身で、もうたまらない!!!