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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

死刑執行につきまとう虚しさ


 先週、秋葉原殺傷事件の加藤智大死刑囚に死刑が執行されました。私はどうしても虚しさを禁じ得ません。

 死刑の執行にあたり、法務大臣は記者会見で「本件は、周到な準備の下、強固な殺意に基づき残虐な対応より敢行された無差別殺人事件であり、特に7名もの被害者の尊い命を奪い、10名の被害者に重傷を負わせるなど、極めて重大な結果を発生させ」ており、「慎重な上にも慎重な検討を加えた上で、死刑の執行を命令した次第だ」と述べました。

 殺傷事件の重大性とご遺族の無念さがあり、かつ冤罪の可能性も皆無であることから死刑の執行となったのでしょう。この運びについては、異論ありません。

 しかし、とても虚しい気持ちが尾を引くのです。それは、この死刑囚の生い立ちには親から数々の虐待のあった事実から惹き起こされる気持ちです。

 多くの重大事件の犯人には、その生い立ちにDVや虐待を受けた経験のあることがこれまでしばしば指摘されてきました。少し例示するだけでも次のようです。( )内は事件の発生年月日、年齢は犯行時の犯人の年齢です。

  • ◇千葉県市川市一家4人殺害事件(1992年3月6日)、19歳、関光彦(死刑執行)/父親によるDV
  • ◇山口県光市母子殺害事件(1999年4月14日)、18歳、大月孝行(死刑囚)/父親によDV・身体的虐待、母親による性的虐待
  • ◇山口市母親殺害事件(2000年7月29日)、16歳(⇒少年院)、
    大阪姉妹殺害事件(2005年11月17日)、21歳、山地悠紀夫(死刑執行)/父親はアルコール依存症でDV、母親は買い物依存症による借金地獄でネグレクト
  • ◇大阪教育大学附属池田小事件(2001年6月8日)、37歳、宅間守(死刑執行)/父親による身体的虐待、母親は望まなかった妊娠・出産でネグレクト

 子ども虐待に世代間連鎖のあることはよく知られています。子ども期に被虐経験のある人が親になったとき、わが子に虐待してしまう現象です。この現象は必ずそうなるというのではなく、そういう傾向的事実が認められるということです。葛藤をかかえながらも何とか虐待のない子育てをしている人の多くいることも指摘されるようになっています。

 しかし、虐待と重大犯罪の連鎖については、世代間連鎖と比して社会的な注目が浅く、犯人への無理解な言説の氾濫が目立つのではないかという印象を払拭することができません。

 秋葉原殺傷事件の死刑囚については、事件関係者や死刑囚の出版の編集者等を中心に、「どうしてこのような犯行を起こしてしまったのか」という「なぜ」の核心に答えて欲しかったという発言の報道が相次ぎました。

 津久井やまゆり園事件の犯人に対しても、これに類する関係者の犯人へのアプローチがあったように思います。

 しかし、これら重大犯罪の死刑囚は、自分の抱える問題の核心を明らかにして省みる力が虐待によって剥奪されてきたのではありませんか。だから、このような重大犯罪に帰結しているのであって、「開き直る」か「自分を諦めるか」にしか行き着けない考えの運びが不可逆的な状態になっている可能性があると思います。

 友田明美さんは虐待によって脳に不可逆的な変化が生じ、そのことがさまざまな精神疾患、いじめや、非行・犯罪に結びついていることを明らかにしています(友田明美・藤沢玲子著『虐待が脳を変える―脳科学者からのメッセージ』、2018年、新曜社)。

 「児童期にトラウマを背負うようなつらい体験をすると、脳神経の発達が遅れることや、行為の是非を判断して制御する能力が減弱すること」があり、「誰にとっても試練の多い思春期に乗り越えるべきハードルをより高いものに、乗り越える力を脆弱にしてしまう」と虐待の問題を指摘しています(前掲書、56頁)。

 このような背景を持つ重大犯罪を、刑事裁判で犯人の刑法上の責任能力と量刑のあり方を問うことに終始していいのだろうかという疑問がどうしても残ります。私は、犯人の刑を軽くすることに関心があるのではありません。

 今回の死刑執行にあたり、重大犯罪の防止に資する教訓を社会全体で汲みつくす営みの不十分さを改めて痛感するのです。「極刑をもって処する」ことは重大犯罪の抑止力にはならないことが明らかになっているのですから、わが国の裁判所は重大犯罪の防止に資する教訓を明らかにすることにもっと強い関心を持つべきだと思うのです。

 しかし、わが国の裁判所はこのような点についてはほとんど無頓着ですから、虐待と重大犯罪の連鎖を断ち切るために必要な知見を明らかにするための社会的スキームは別枠で構想する必要があるのかも知れません。

 母親を金属バットで滅多打ちにして殺害した山地悠紀夫は少年院から出た後、大阪で姉妹を殺害して死刑判決を受け、すでに執行されました。

 山地には、少年院と裁判所の精神鑑定によって、「広汎性発達障害」のあったことが明らかにされています。そして、大阪地裁の死刑判決を受けて控訴することを頑なに拒否し、山地が弁護士に当てた最後の手紙の中で、「私は生まれてくるべきではなかった」と書いています(池谷孝司編著『死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人』272頁、新潮文庫、2013年)。

 友田さんは、先の本の中でDVと虐待による脳の不可逆的な変化とそれに由来するさまざまな精神疾患を明らかにしています。大うつ病性障害、気分変調性障害を含む気分障害、心的外傷後ストレス障害、パニック障害を含む不安障害、解離性同一障害、境界性パーソナリティ障害、拒食症・過食症を含む摂食障害、薬物依存・濫用、自傷行為等が児童虐待を受けた人が引き起こしやすい精神疾患です(前掲書。71‐90頁)。

 この本では、発達障害のある子どもたちは虐待を被りやすく、虐待が発達障害を重症化することや愛着障害を重ねてしまう問題も指摘しています(前掲書、41‐62頁)。

 私はつねづね「強度行動障害」という行政用語に疑問を抱いています。強度行動障害は、精神疾患の単位ではなく、障害概念でもありません。虐待を含む不適切な係わりの積み重ねが行き着いたところの状態像を行政用語にしたものに過ぎません。

 もともとの知的障害や発達障害の状態像から離れて行動障害を途方もなく拡大させた人たちは、虐待を含む不適切な関与の積み重ねによって脳の不可逆的な変化を生じさせ、他害行為や自傷行為を持つようになっているとすれば、対応と支援の方針は現行の「強度行動障害支援者養成研修」の内容では全く不十分ではないのでしょうか。

 「強度行動障害」の状態像にある人たちの、障害者支援施設における不当な身体拘束がこの間明らかになっています。もし、この人たちが外部の支援者に手紙やメールを送ることができるとすれば、「私は生まれてくるべきではなかった」と綴るほかないのでしょうか。

3年ぶりの祭りに人は少なめ

 Covid-19/BA5の猛烈な感染拡大が続いています。さいたま市障害者権利擁護委員会の委員で、日本医師会の政府に対するCovid-19のアドバイザリーを務める医師の話によると、変異の激しいCovid-19は専門家でも先を読むことが難しいそうです。だからこそ、私は中央政府の役割は決定的に重要だと言いたいのです。

 マスコミに登場する「専門家」(どこまでの専門家であるのか疑問に感じますが…)の中には、「もうCovid-19はインフルエンザと同等に考えていい」という人から、「後遺症の重さや感染力の強さに十分な注意が必要である」という人まで言いたい放題の状況となり、地方自治体に「宣言」を出す判断をゆだねて感染防止の取り組みにはバラツキが生じています。結局、どのように行動するかは「自己責任」という状態になっています。

 つい先日、新規感染者数の記録を更新した埼玉県の川越では、この土日に3年ぶりの「100万灯祭」を時間を短くして実施しました。一方では、大阪府の知事が「高齢者は不要不急の外出を避けて、自分の身を守ってほしい」と呼び掛けています。感染症の素人である多くの国民に対して、責任あるメッセージと政策を政府が明確に提示することを望みます。