宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
-
大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
現代ユニバーサルデザインの真髄
現代のユニバーサルデザインのあり方を指し示す労作が上梓されました。『井上眼科病院の実践から学ぶユニバーサルデザイン』(井上賢治・桑波田謙・間瀬樹省著、2014年9月、中央法規出版)です。個別性を持つ合理的配慮の土台を考える上でも、多彩で学際的なヒントに溢れた内容に仕上がっています。
私自身、実は、数年前からお茶の水・井上眼科クリニックの患者でお世話になっています。そこで、本書の内容を論じる前に、私事でまことに恐縮ですが、井上眼科の体験談からお話ししておこうと思います。
さいたま市の条例づくりの最中に眼の異常を感じた私は、自らの病状にかなりの不安を抱いていました。当初は地元病院の眼科にかかっていましたが、さまざまな経緯から不信が募り、結局、人づてに紹介された井上眼科に通うことになったのです。そして、最初に井上眼科を訪れた日のことです。
まず、院内の様子がこれまで私が経験してきた多くの医療機関とまったく異なることに気づきました。診察室前のタイル張りの廊下に無造作に並べられた長椅子、天井にある蛍光灯の無機質な照明、患者さんを呼び出すスピーカーの声、形式的な受け答えをするだけの事務員等、これらすべては皆無で「病院的」雰囲気が丸でありません。
常に積み重ねられている、136-139頁
診察待ちの大勢の患者さんであふれる大病院の光景には、運転免許証の更新に出向く運転免許センターとどことなく似た、いささか殺伐とした雰囲気があると感じてきました。ところが、井上眼科の待合は、病院のスタッフはもとより患者さんたちがとても落ち着いてリラックスしているように感じます。保険証の確認や検査に必要な点眼には、職員・看護師さんの方から患者さんの座っているところに足を運んでいます。もちろん、必要な複数の検査はその日のうちに行われ、それらの検査結果とこれからの治療方針が詳しく説明されました。
受付・会計ロビーのフロア
わが国における眼科専門病院の草分けにふさわしいユニバーサルデザインへの取り組みはどのようなものか? 患者さんたちのことを第一に考慮したユニバーサルデザインとはどのようなものか?-これらの問に、井上眼科病院の信実な実践から答えたものが本書です。本書の構成は次の通りです。
- はじめに
- 第1章 「UD」で現場が変わるの? 「UD」って本当にできるの?(井上賢治)
- 第2章 「見えづらい」ってどんなこと? 「見え方」がいろいろだと知ろう(井上賢治)
- 第3章 見えづらい人のためのインテリア・空間の工夫(桑波田謙)
- 第4章 利用者の本音を掘り当てよう 新しいニーズを探り続けよう(間瀬樹省)
「UD」とは「ユニバーサルデザイン」の略です。また、以上の4章構成の本文に、「ロービジョンライフのデザイン」をテーマとする12の多彩なコラムが差し挟まれています。
第1章と第2章は、井上賢治(いのうえ けんじ)さんの担当です。井上さんは、133年に及ぶ井上眼科病院を代表する眼科専門医です。ここではまず、ユニバーサルデザインの原則、視点、具体的なアプローチと効果について解き明かします。次に、高齢化の進むわが国における「見えづらさ」をとりまく状況とユニバーサルデザインについて考察し、さらに、多様な「見えづらさ」それぞれの具体的な困難とケアのヒントについて眼科専門医ならではの識見と分かりやすい論述が展開されます。
「ぼやけて見える」「中心部が見えづらい」「視野が狭くなる」「色の感じ方が異なる」「まぶしいという症状」という見えづらさのそれぞれについて、〈特徴〉と〈ケアのヒント〉を端的に提示して詳しく解説しています。
たとえば、「視野が狭くなる」では、「〈特徴〉・視野の欠けている部分は人によって異なる ・下部欠損では足もと・手もとが不安」「〈ケアのヒント〉・見える位置にはっきりわかるサインを ・近くにいても丁寧な声がけを ・文章は横書きにするとよい」(40頁)と記されています。このように、医療分野の人だけではなく、あらゆる領域の人にとって分かりやすい記述である点は特筆に値します。
第3章担当の桑波田謙(くわはた けん)さんは、医療・福祉・公共施設を中心にユニバーサルデザインによる環境づくりを進めているインテリアデザイナーです。ここでは、患者さんの実態を議論の出発点に据えて、「高齢者や目の見えづらさを抱える方々のことを理解し、院内を安全で使いやすく、障がいがあってもなくとも居心地のよい空間にすること」(57頁)をテーマに論が展開します。
第3章の議論の運びに、私は感心しました。患者さんが井上眼科にたどり着いたときからの時系列に即して必要なユニバーサルデザインが考察されているからです。論述は順に、「目的地(井上眼科)に到着する」⇒「受付に向かう」⇒「院内を動く」⇒「障害物をよける」⇒「歩いて移動する(1)」「歩いて移動する(2)」⇒「受付・予約をする」⇒「診察を待つ(1)」「診察を待つ(2)」⇒「トイレを探す」⇒「トイレの中で」⇒「支払いをする」となっており、それぞれの場面に必要なユニバーサルデザインの要点を端的に提示しています。
たとえば、「目的地に到着する」場面では、「・到着を実感できるエントランス ・間接照明でまぶしさを抑える ・壁を照らして明るさ感を作る ・足の感触で場所の特徴を伝える ・できる限り複数の感覚に訴える」(61頁)と記されています。
とりわけ、「複数の感覚に訴える」というポイントは本書を貫く大切な柱の一つであり、とても共感できます。「見えづらさ」に伴う「できないこと」にもっぱら目をとめて、それへの対策としてのデザインを考えるのではなく、「見えづらさ」に伴って活かしている多彩な感覚を尊重するデザインに仕上げるというアプローチです(75頁)。
そして、第4章は間瀬樹省(ませ たつよし)さんの担当です。間瀬さんは、快適で暮らしやすい介護施設の設計に取組む建築家です。井上眼科のユニバーサルデザインへの取り組みが、いかに患者本位に追求されているのかを学ぶことができます。
サービス提供側の予測に左右されたり、アリバイ的な調査を根拠にするのではなく、客観的に判断できる調査の企画・設計からユニバーサルデザインに迫ります。井上眼科で実施した調査方法である「直接対話法」「パフォーマンス測定法」「リカート法」「SD法」が明らかにされています(128頁)。また、「欠かせない利用者への継続的調査」として、院内誘導のための「誘導サイン」「ピクトグラム」「書体(フォント)の調査」「院内マップの調査」が解説されます。
以上のユニバーサルデザインの取り組みは、大勢の患者さん、病院のスタッフ、医師およびデザイン・設計の専門家によるみんなの協働作業で進められてきたことが分かります。ここにまさに、長い歴史に培われた井上眼科病院の識見の高さと患者第一主義を貫く取り組みの真骨頂があります。
ある自治体の公共施設のユニバーサルデザインが、私の眼から見るとあまりにひどいのでそれを手掛けた建築士に質問したことがあります。すると、「それはバリアフリー法の基準に記されていません」と木で鼻をくくったような「公共事業請負第一主義」の回答に出くわしました。ユニバーサルデザインは、決して形式要件ではありません。
障害のあるなしにかかわらず、快適さと便利さができる限り多くの人に享受されるような不断のチャレンジが真のユニバーサルデザインであることを、実践から説き起こした貴重な書です。高齢化の進展が加速し、障害者の権利条約が批准された今日、あらゆる分野の人に一読を強くおすすめします。