宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
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- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
大阪の教育改革(その2)
前回のブログで、社会福祉基礎構造改革の扇の要は、社会福祉事業法の改正であることを指摘しました。すべての社会福祉事業の総則的事項を定める社会福祉の基本法から、公的責任原理が消えた点です。
これと近似して、2006年の教育基本法の改正が、政治主導による大阪の教育改革の実行を可能にしました。
旧法第10条では、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである」とありました。
改正法では、第2条で「地方公共団体は、(中略)教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努力しなければならない」とし、第16条では「教育は、不当な支配に服することなく、この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と変えました。そこで、政治家や一般行政が「他の法律の定めるところ」を拠り所に、教育に介入できるようになったのです。
福祉・介護の領域とは異なり、学校教育や入試制度のあり方については、いつの時代も政治家のスタンド・プレーに利用されてきたと思います。学校教育と入試は社会の多様な矛盾が集積し、民衆的な不満の結節点を作りやすい領域です。そこで、国民の不満をここに集中するように意図的に仕向けて「改革」をぶち上げる政治手法が横行するのです。
しかも、わが国の近代教育を支えてきた学校は、戦前は、富国強兵策を支える人材養成のためのエージェントの役割を背負っていましたし、戦後においても、とくに高度経済成長以降は、企業の求める人材養成のエージェントとしての性格を強めていきました。
大阪の教育改革は、2012年「大阪府教育行政基本条例」の制定から実行段階に入ります。
この改革の考え方の根幹には、「グローバル化が進む中、世界標準で競争力の高い人材を育てる」ことにあると言います(永尾俊彦『ルポ大阪の教育改革とは何だったのか』10頁、岩波ブックレット)。やはり、学校を特定の人材養成のエージェントにしています。
大阪府の条例制定の契機は、2007年から全国学力・学習調査(いわゆる「全国学テ」)の成績で、大阪府が2年連続全国最低レベルだったことにありました。
当時の知事は、市町村教委が学力向上に向けた対策を取らないのは、市町村別の学テ結果を公表しないことにあるとして府教委に公表を迫ったところ、府教委が「過度な競争になる」と反対したことから、政治主導の教育改革を実行するために条例を制定したのです。
まず、「改革」のターゲートは「ダメ教師の排除」に向けられました。永尾さんのブックレットから私が読み解いたところでは、「ダメ教師」には二つの分類があります。
一つは、国旗掲揚と国歌斉唱に反対する教師です。1999年国旗国歌法の制定を境に、大学を含めて全国の学校では、国旗掲揚と国歌斉唱に教師が従うことを徹底するようになりました。これに従おうとしない教師に対しては、「分限処分」を含めて、徹底した圧力をかけました。
これは、組合系の教師の排除が目的でしょうか。大阪の教育改革は、サッチャー改革をモデルとしていますから、労働関係法の改正を盾に労働組合や左翼系の活動家を徹底して弾圧したマーガレット・サッチャーと同様の政治手法をとったのかも知れません。
もう一つは、学力を「テストの点数」に還元した教育観の下で、子どもたちのテストの点数の実績からクラス担任や学校長を評価し、その評価を給料に直結して反映する仕組みを作ったことです。
つまり、子どもたちのはじき出すテストの点数は、それぞれの教師の「売り上げた営業成績」となっています。
「全国学テ」に加えて「チャレンジテスト」などの大阪独自の統一テストを実施して、その点数による成績を内申書に活用する仕組みをつくりました。ここでは、テストの点数が同じ子どもは「等価」扱いです。つまり、子どもの学力評価は、点数という通貨(交換価値)によるものへと収斂します。
そして、競争に勝ち抜く人材の養成が大阪の教育政策の目標ですから、それぞれの子どもたちは自らの交換価値を上げようと教育産業への依存を強めるか、点数を上げることを諦めるかのどちらかに振り切れます。
もっとも重要な点は、この「改革」の最終目標がどこにつながっているのかという問題です。それは、これまでの義務教育の仕組みそのものを構造改革することにあるのではないでしょうか。
大阪では学区制を廃止し、学校ごとに公表する学力テストの結果情報を元に、親と子どもに学校を選択してもらう仕組みにしようとしています。「自分で選ぶのだから結果責任も自分でとる」(前掲書26頁)とあります。
「選択の自由」「自己決定と自己責任」「競争原理」の、まさに新自由主義です。
そして、この改革の先につながる構造改革の具体的なあり様が重要な問題です。それは、「個別の教育」にもとづく学校の選択制を採用することによって、義務教育の仕組みそのものを抜本的に変質することではないでしょうか。
不登校の子どもたちを引き合いに、義務教育諸学校だけではなく、フリースクールや塾で学ぶ選択肢を公教育に導入しようと、「個別の教育」という考え方が文科省から盛んに出されるようになりました。
それぞれの子どもたちの教育ニーズに即して教育の場を「選択する」というと聞こえはいいかも知れませんが、どうして現行の学校教育でいじめや不登校が増加しているのかという問題にはまったく応えないのです。教員不足だけでも深刻な問題だというのに。
つまり、現在の公的教育では、すべての子どもたちのニーズに応えることができないから、NPOのフリースクールや塾産業という地域の教育資源を動員して教育を再編構築するのです。つまり、「新しい公共による義務教育体制」が最終目標ではないか。
ここでは、義務教育に係わる施設設備の基準は大幅に緩和されてガイドラインに変質し(つまり基準を遵守する義務はなくなる)、義務教育諸学校の教員の給与に対する国庫補助は廃止され、子どもたちの教育に必要な教育費支援をそれぞれの子どもたちに支給する仕組みに変えることもあり得ます。これらはすべて、社会福祉基礎構造改革で実行した仕組みの変更です。
社会福祉基礎構造改革は、従来の社会福祉施設の枠組の解体、施設整備の国家基準の廃止(現在は、自治体ごとに条例で定める仕組み)、利用者人数に応じた措置費支給による運営安定性の破壊などを、「個別のニーズにもとづく支援システム」への変更をテコにして実行したのです。
これと同様に、学校教育の構造改革を断行するための「イチジクの葉」が、「個別の教育」を実現するための「選択制」にあると考えています。
大阪で実施しようとしている親と子どもによる学校の選択制に、不登校や特別支援教育に求められている「個別の教育」を接合して構造改革を進めることによって、現行の学校教育の枠組みと教員給与の国庫負担を解体し、公教育の教育産業への開放を推進するところに教育基礎構造改革の本丸があると考えます。
大阪のさびれた商店街
「シャッター通りの商店街」は全国各地にあって、珍しいものではありません。しかし、大阪市内で今でも生きている商店街は、天六商店街以外に私は思いつきません。他にあるとしてもごく少数だと思います。東京の特別区であれば、まだ生きている商店街はかなりの数があるでしょう。
衰退過程にある商都大阪の地域振興策について、従来からの保守系や革新系の会派は、施策形成の発想と力量を刷新することにはたして成功しているのでしょうか。この弱点につけ入った野蛮なリーダーシップによる「大阪の教育改革」を許してきた側面があるように思います。大阪の野蛮なリーダーシップに、私はアーバニティを全く感じません。ただの田舎者です。