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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

大阪の教育改革(その1)

 永尾俊彦さんの『ルポ 大阪の教育改革とは何だったのか』(岩波ブックレット、2022年5月10日の新刊ものです)を一読し、「大阪の教育改革」は学校教育の公共性をギリギリまで縮減・解体する試みだと受け止めました。

 このブックレットは、今後の日本の学校教育のあり方を展望する上で重要な問題が簡潔に論じられているため、大阪という一地方都市の問題であると脇に置かず、全国の多くの方に読んでいただきたいと思います。

 大阪の教育改革をめぐる問題は、大阪市立木川南小学校の久保敬校長(当時)の、松井一郎大阪市長宛の「大阪市教育行政への提言『豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために』(2021年5月17日付)」がマスコミで大きく報じられ、全国に知れ渡るようになりました。

 大阪の教育改革は、イギリスのサッチャーリズムにもとづく教育改革をモデルに、この15年間、政治主導で進められてきた取り組みです。マーガレット・サッチャーはハイエクに心酔していた政治家で、新自由主義にもとづく「小さな政府」に向けた構造改革を断行しました(2022年1月24日ブログ参照)。

 「小さな政府」を目指す構造改革とは、従来、国家の独占してきた公共性を市場に開放し、市場を利するものへと変えていくことです。この変質をわが国で進めた代表的な制度領域の一つは福祉・介護の世界です。

 自治体の福祉・介護領域における種々の計画(障害者計画・障害福祉計画や介護保険業務計画など)では、支援者の非正規雇用化の推進の陰に隠れて、ヘルパー等の支援者数の数値目標を「常勤換算」で記載するようになりました。

 専門性の必要不可欠な対人支援の領域において、非正規雇用職員をどのように組み合わせようと、「常勤換算」の支援者数に相当することはありません。見かけ上の数合わせに過ぎず、正規雇用職員への過重負担のしわ寄せが深刻化します。

 それと同様に、今、社会問題になっている教員不足の実態を示すとき、「常勤換算教員で〇〇人分不足している」という表現が用いられるようになっています。すでに、この時点で学校教育をめぐる構造改革は重大な局面にあると言わざるを得ません。

私はこの間、福祉・介護の領域で先行した構造改革と同様の波が、学校教育の世界に押し寄せており、教育の公共性を縮減・解体するする最終局面に入りつつあるのではないかと考えてきました。

 そこで、大阪の教育改革について論じる前に、今回のブログではまず、福祉・介護領域で先行した構造改革の実態を要約しておきたいと思います。学校教育関係者の中には、このような構造改革についてご存じない方が少なからずいるかも知れないと考えるからです。

 2000年から実行に移された社会福祉基礎構造改革の初期段階においては、従来の制度枠組みの中で福祉・介護の仕事をしてきた人たちの中にも、構造改革に関する無理解がかなりあったように思います。

 長い措置費制度時代に培われた職場の文化・風習がある上、2000年の4月1日から支援現場の様子が一変するわけではないし、それぞれの職場が島状に「独立王国化」してきた領域ですから、福祉・介護の実施体制や原理原則の変更について直ぐにはピンとこなかったのではないでしょうか。

 以前の行政責任を柱とする一元的な福祉の実施体制においては、行政対抗型の運動を高めることによって行政責任を引き出すことができました。しかし、構造改革後、行政対抗型の取り組みだけでは、まるで「ザルに水を注ぐ」結果になりがちなのです。

 2000年以降の新しい法制度は、選択の自由、自己決定と自己責任、そして競争原理という新自由主義的な原理原則が働くような仕組みになりました。この構造改革が、利用者・支援現場・職員・地域支援システムにどのような具体的変化をもたらすかは、必ずしも予測できていなかった。

 地方議会議員はもっと鈍感でした。私が、保育所や介護の領域から始まる構造改革について講演をした直後、「福祉現場出身」を看板にする革新系の有力議員は「介護保険は、要するに福祉削減であることがよく分かりました」と発言するのです。

予算削減の問題ではなく、実施体制の根本的な変質であることを丁寧に説明したにも拘わらず、理解する能力がないか、理解する気がないのでしょう。

 国と自治体は構造改革によって学校教育や福祉・介護について全く責任を負わなくなるのではありません。重要な問題点は、行政責任と実施体制の変質です。それを端的に示すのは、社会福祉事業法から社会福祉法への移行です。

社会福祉事業法第5条2項に明記されていた「公的責任原理」が廃止されることによって、行政の責任は施策のプランニングと実施体制の管理(介護保険財政の管理を含む)になりました。最悪の場合、行政の責任が拡大しないように管理する仕組みに運用することもできるでしょう。

 支援サービスの内容については、利用契約制に伴うケアマネジメントシステムに苦情解決体制等を添えたところで個別支援計画を策定することになりましたから、利用者とサービス提供事業者の間で折り合いをつける仕組みになっています。

 したがって、かつて自治体の福祉事務所に必ず存在した老人福祉台帳や障害福祉台帳は今や影も形もありません。地域住民の誰が、どのような困難や事情で、どのようなサービスを利用しているのかの記録情報は、自治体から一切消えたのです。サービスの内容と質にかかわる責任が、もはや市町村にはない仕組みになったことを意味します。

 地域の福祉・介護の実施体制とサービスの質に自治体が責任を持つ仕組みを確保するためには、これまでにない工夫が必要不可欠です。それは、地域住民の自治に立脚した公共性を自治体のシステムに組み込んでいくことです。

たとえば、福祉・介護施策を形成するプロセスに地域住民が参画するシステムの構築、支援の中から明らかにされる改善課題(社会資源の拡充、連携ネットワークの改善等)を自治体に集約する仕組みづくり、これらの取り組みと情報を自治体が地域住民・支援者と共有できるシステムの体制整備などです。

 障害福祉の領域で、私はさいたま市で真っ先に取り組んだことは、このような討議と民主主義にもとづく参画のための体制整備でした(拙著『地域に活かす私たちの障害福祉計画』、中央法規出版)。そうして、障害福祉に係わる台帳をさいたま市では残したのです。

 社会福祉基礎構造改革後の実施システムは、支援サービスや社会資源の拡充に自治体が全面的な責任を負うわけではありません。「新しい公共」を「イチジクの葉」に活用して地域の多様な資源を動員しながら、結局は、市場サービスの拡大につなげていくのです。

 そこで、「新しい公共」が上から推進される状況には、地域住民の参画を柱に据えた市民的公共性を対置しなければならないのです。上からの公共性の縮減・解体は、新自由主義的な原理原則にもとづくシステムの私化と市場サービスの拡大に政策目的があるため、市民的公共性の創造に直結することはありません。

 このような社会福祉基礎構造改革の成りゆきを、学校教育の世界で創出しようとしているのが、この15年に及ぶ「大阪の教育改革」ではないでしょうか。次回のブログに続きます。

三省堂書店神保町本店-一時閉店

 神田神保町のランドマークである老舗の三省堂書店の本店が5月8日から一時閉店となりました。老朽化したビルを建て替えて戻ってくる予定だそうです。ネット・ショッピングで本の流通が一変し、新刊書の数も減少して、全国書店の実店舗数はついに1万店を割り込みました。本当に戻ってくることができるのか、いささか心配です。

 全国大学生協連の第58回学生生活実態調査によると、大学生の48%が読書時間ゼロだそうで、書籍に使うお金は月2000円を下回り、通信費に遠く及びません。

 ネット・サーフィンで必要な情報をインスタントに入手することが主流となった今、書店でたまたま手に取った本を読んだら、意外にも素晴らしい知的冒険になったという読書の妙味を伝承する必要もあるでしょう。でもその前に、給付型奨学金の拡充が必要ですね。