宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
戦争に正義は存在しない
ロシアのウクライナ侵攻が始まって一か月以上が経ちました。戦争をめぐるすべての出来事に胸が痛みます。子ども、病人、お年寄り、障害のある人など、社会的に弱い立場にある人たちには、すでに夥しい犠牲者が出ているでしょう。
戦争と障害者の問題は、さまざまな当事者や研究者がこれまでに掘り下げてきたテーマの一つです。第二次世界大戦中の障害のある人に係わる人道危機の証言は、NHK戦争証言アーカイブス「障害者と戦争」でもリアルに知ることができます。
戦時中の日本において、兵力になれず、労働力としても役立たずの烙印を押された多くの障害のある人たちは、「非国民」「米食い虫」と罵られ、家族を含めた激しい差別と抑圧を受けました。
戦時は兵力や労働力として「より高い能力」を持つ者を優遇し高く評価しますから、優生思想を強力に正当化します。障害のある子どもを「殺す」ために、母親や身近な関係者に兵士が青酸カリを渡していた事実も明らかになっています。
このような著しい差別と抑圧の下で、多くの障害のある人たちは反戦の方向に行くのではなく、「少しでもお国の役に立ちたい」と戦争協力に向かったと言われています。
先述のNHK戦争証言アーカイブスの中で、周囲からのいじめに耐えながら軍需工場で懸命に働こうとしたという当事者の証言が登場します。それは、承認欲求を満たそうとしたのではなく、生き延びるためのギリギリの対処だったのでしょう。
戦争を始めるときには、為政者は何らかの理由があるかのように言うとしても、いざ戦争に突入してみるといかなる正義も存在しないことが分かります。子ども、高齢者、障害のある人を含む民間人に犠牲者の出ない戦争など、これまでにあった試しがありません。
戦時における障害のある人の問題について、「マガジン9」に連載の第588回「雨宮処凛が行く!」の「戦争と障害者~『戦えない人』は戦時にどう扱われてきたか」はとても秀逸な論稿です。ぜひ、お読みください(https://maga9.jp/220323-1/)。
ロシアのウクライナ侵攻は時代錯誤の侵略としか思えません。しかし、雨宮さんは、ロシアへの経済制裁を強化すると、ロシアの病人や子どもたちの医薬品が払底し命を落とす人の出てくることを指摘します。
国境では、家族みんなで避難してきた人たちの中から、父親や若い男性を選別してウクライナの国外に出ないようにしている事実(ニューズウィーク日本版「ウクライナ難民ルポ」https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/400-14.php)が報じられています。兵力にするためです。すると、男性だけがウクライナから出られないのですから、家族は引き裂かれていきます
ニューズウィークの記事によると、列車に乗ることや国境越えをする順番について、兵士がウクライナ人を優先し、インド人やアフリカ人が強制的に後回しにされている実態もルポしています。いつの時代の戦争も、レイシズムを強めます。
モビリティに困難の高い高齢者や障害のある人たちは、避難してどこかに逃げることができません。精神病院を含む医療機関をロシアはミサイル攻撃していますから、病人や障害のある人たちを支援する社会資源は、すでに機能を十分に果たすことのできない可能性が高いでしょう。
そして、この戦争でも、夥しい死者と障害のある人を産み出すのです。戦争は共に生きる営みを破壊しつくし、究極の社会的排除を産出します。
ゼレンスキー大統領の日本の国会での演説は、「抑制の効いたものだった」という評価がマスコミでは支配的な意見でした。私はいささかニュアンスを異にして、ゼレンスキー大統領は、戦争を放棄する平和主義に立脚した「日本国憲法を持つ国へのメッセージ」を意識して用意した内容ではなかったかと考えています。
先の論考で雨宮さんは、1996年まで旧優生保護法が存続してきたわが国に住む人間の一人として、「戦争や戦う人が賛美される時、戦えない、戦わない人の目線から世界を見たいと改めて思っている」と言います。全く同感です。
私たちは、今こそ「戦える国」になることを追求するのではなく、「戦わない国として世界平和を創造できる国」であることの国際的使命の実現に全力を挙げるべきではないでしょうか。
平和祈念像-三鷹市仙川公園
核兵器や生物化学兵器を使用する可能性が報じられるようになりました。断じて許されることではありませんが、それが戦争の真の姿だということもできます。実際、わが国は被爆国なのですから。
この像は、長崎の平和公園にある平和祈念像をそのまま縮小し、三鷹市の仙川公園に設置されたものです。作者の北村西望は、長崎の平和祈念像を三鷹市に隣接する井の頭公園内のアトリエで制作したため、三鷹市ともつながりがあった方です。1989年に三鷹市の百周年記念事業で設置されました。