宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
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- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
障害者差別解消研修会
先週、内閣府主催の障害者差別解消地域協議会体制整備・強化ブロック研修会がオンラインで開催されました。私は、さいたま市の差別解消地域協議会ならびにさいたま市障害者権利擁護委員会の委員長として、さいたま市の担当職員とともに参加しました。
この研修会は、改正障害者差別解消法が2024(令和6)年中に施行されることを控え、自治体や地域の取り組みの充実に向けた情報交換と学習に主な目的がありました。
差別を克服していく営みには粘り強さが求められます。歩みが漸進的であるからといって、障害のある人たちのあきらめや失望を生むのではなく、みんなで力強く、着実に前進しているという実感につなげられるような地域全体の取り組みが必要です。
改正障害者差別解消法の要点は、次の三つです。
- 1.民間事業所の合理的配慮の提供は、これまでの「努力義務」から「義務」になること
- 2.国・地方自治体の、障害者差別に係わる相談人材の育成と確保を図る責務を明確にすること
- 3.地方自治体の、障害者差別とその解消に係わる情報(事例等)の収集、整理および提供が努力義務となること
障害者差別解消法やさいたま市ノーマライゼーション条例にもとづく差別解消の取り組みは、一つ一つの差別事案にふさわしい建設的な話し合いと相互理解を培いながら、差別の解消を図ろうとするものです。
差別した人・事業者を告発や処罰によって正そうとするのではありません。差別を乗りこえていくための知恵、工夫および所作の共有を進めながら、共に生きる地域社会の実現に向けた取り組みを弛みなく積み重ねていくことが大切です。
ただし、差別の中には、強い力のある企業や個人が、ある種の「確信犯的な差別」をすることも全くないとはいえません。障害のある人たちが訴訟でも起こさない限り、「過重な負担」があることを盾に、建設的な対話を始めるまでに至らないような事例もあるからです。
このような場合は、国と自治体が毅然とした態度で差別に該当する事案であることを指摘し、話し合いのテーブルづくりと適切な権限行使が必要となる場合もあります。
今回は関東甲信越ブロックの研修会で、他の自治体の取り組みの現状や方向性について、貴重な情報交換と学びがありました。とくに、差別を解消するための建設的な話し合いや手立てのあり方を含む「好事例」の収集に多くの参加者に共通する課題意識がありました。
今回の法改正では、民間事業者にも合理的配慮の提供が法的義務となるため、障害のある人からだけでなく、事業者からの相談も増えることは間違いありません。
ここでは、「このようにすれば障害のある人の困難やご不便を解消できますよ」という具体的な処方箋を提供できるかどうかが、地域の建設的な対話によって差別を克服していく営みを左右することになります。だからこそ「好事例の収集」に意味があるのです。
地域協議会を設置することのメリットには、商工会議所や公共交通機関(鉄道・バス・タクシーなど)の関係者にも地域協議会に参加してもらうことによって、地域生活のさまざまな場面で発生する問題への建設的な対応への道が拓かれることや、地域協議会をプラットホームにさまざまな情報と知恵の収集を行い、機関連携を活かした国・自治体の持つ権限の適切な行使につなげていくことなどがあると確認されました。
このようにまことに有意義な研修会でしたが、時間の制約もあり、私個人としては、もう少し突っ込んで議論したかった点も残りました。
その一つは、差別解消法で取り扱う事案の対象は、個人ではなく組織・事業所となっている点についてです。この点は、障害当事者の生活現実と生活感情から言うと、納得し辛いところが多々あります。
たとえば、車いすを利用する人が街角で「外を出歩くな」と大声で罵詈雑言を浴びせかけられる差別体験は、全国各地の障害のある人たちから頻繁に寄せられる現実です。とくに、津久井やまゆり園事件以降は、街角で差別発言をする人の手に傘を持っているだけで、体中が凍り付くような恐怖感情を覚えるという人も珍しくありません。
もう一つは、グループホームや障害者支援施設の設置に係わる反対運動についてです。この背景には「地価が下がる」というような似非情報があるという指摘もありますが、そう単純ものでもないと考えています。
東京都港区で児童相談所の設置反対の住民運動が起きたように、マイノリティに対する明白な差別感情に裏打ちされた「確信犯的嫌がらせ」であるケースを数多く体験してきました。
何とかグルーフーホームを設置した後も、「障害のある入居者に窓から外を見させるな」とか、世話人が夕飯のために魚を焼く調理をしていると「魚臭いから、魚を焼くな」とクレームをつけてくる事例はありふれています。決して珍しくありません。
このような現実に加えて、現代はサイバー空間における差別を看過できない事態が広まっています。
この間、有名人によるさまざまな差別的な発言が問題になってきました。あるお笑い芸人が風俗で働く女性を食い物にするような侮辱的発言、生活困窮者に対する芸能人の差別的な発言、プロゲーマーの「(男の身長は)170(センチ)ないと、正直人権ないんで。170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら生きていってください」という発言等が、大問題になりました。
東京オリンピック開会式の楽曲制作に参加していたミュージシャンは、邦楽誌「ロッキング・オン・ジャパン」の1994(平成6)年1月号で、学生時代に、いじめに加担していたことを認めた上で次のように発言しています。
「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。喰わした上にバックドロップしたりさ」「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイデアを提供するだけ(笑)」(原文のまま)と。
これらの発言に対する問題指摘や批判と反論の多くは、今日、サイバー空間が主戦場となっています。ここでは、社会的な制裁につながることもないわけではありませんが、サイバー空間で障害のある人に対する差別的なヘイトスピーチをすることは「個人の発言の自由」であるから障害者差別解消法は関知しないというのであれば、いささか時代錯誤で筋違いではないのでしょうか。
FBが差別やヘイトスピーチを野放しにしてきたことへの批判が高まっているサイバー空間の今日的問題は、これまでにない新しい形の差別に係わる注意を喚起しています。個人による差別的発言がサイバー空間で束になって社会的な力をもち、これまでにない文脈で差別が拡大する恐れがあります。
差別解消法の対象とする事案について、個人か組織かという機械的な二分法で区別する枠組みを再検討する課題はありませんか。「個人の発言」を隠れ蓑に、サイバー空間で差別的考えを束ねることのできる時代であることへの適切な対処が求められると考えます。
内閣府
私が参加した研修会のグループの皆さんは、差別解消に向けた課題意識と積極的な取り組みに努力をされている方ばかりでした。しかし、小さな町村では、約半数の自治体で地域協議会が設置できていませんし、設置した自治体といっても「休眠中の地域協議会」のようになっているところもあり、取り組みの地域間格差はかなりあるように思えます。
法制度の問題もあるとは思いますが、差別解消については地域住民による自治に立脚した共生文化づくりというところに、とても重要な基本的土台を置くべきです。地域の実情に応じて、できるところから着手していくことが肝要です。