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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

エッセンシャルと言われても

 エッセンシャル(essential)とは、本来「絶対必要な」「必要欠くべからざる」という意味です。

 食い意地の張った私としては、本題に入る前に少し寄り道をして、エッセンシャル・フードについて考えてみます。

 私の選んだエッセンシャル・フードの代表格は、お米、卵、牛乳。これらは多くの家庭の毎日の食事に必要不可欠な食品です。

 しかし、これらの生産者は売値が一向に上がらないため、慢性的な経営困難に直面しているところが多いのも特徴です。

 乳牛の酪農家の方は言います。「地下水に砂糖と人工香料を工場で混ぜ込んで500mlペットボトルに詰め込んだものが150円。それに対して、生き物の牛に毎日餌をやって世話をして、乳搾りして、殺菌して、紙パックに1000ml詰めたものが\150~200くらい。どうみても、間尺が合うとは思えない」と。

 お米や卵の生産者も同じような思いをしながら、消費者にとってのエッセンシャル・フードを作り続けているのではないでしょうか。このようにみてくると、「エッセンシャル」と評される現実には、「割に合わない」実態が含まれているようです。

 さて、「エッセンシャル・ワーカー」という用語は、2021年4月15日の小池東京都知事の記者会見で使われて以来、広まりました。Covid-19禍において、社会の基礎的な機能を支える仕事で働く人たちを指しているようです。

 最近では、オミクロン株の急速な感染拡大から社会機能がマヒすることを回避するために、エッセンシャル・ワーカーに係わる措置が厚労省から発表されています。

 濃厚接触者の待機期間を14日から10日に短縮し、とりわけ、介護や育児サービス、生活必需品の小売などの「命と暮らしを支える」エッセンシャル・ワーカーについては、検査で陰性を確認して最短6日間に短縮できるという方針です。

 ここで、私にはどうしても疑問が湧くのです。特定の業種の、特定の仕事に就く人だけを取り出して、どうしてエッセンシャルと言うのでしょうか。

 不織布マスクや消毒用アルコールを製造している人たちも、石鹸を製造している人たちもエッセンシャルだし、これらの容器を製造している人、これらを配送・保管する人たちも、販売する人たちも、すべてエッセンシャルです。

 この点は、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』に登場するコペル君が、すでに発見しています(私の手持ちは、1983年の岩波文庫版です。59-98頁、「ニュートンの林檎と粉ミルク」)

 コペル君は、「粉ミルク」が自分の家にやって来るまでに、自分の見たことも会ってみたこともない大勢の人たちが網の目のようにつながり合っていることを発見するのです。

 このことを「人間分子の関係、網の目の法則」とコペル君は命名し、時計、机、電灯など部屋の中のありとあらゆるものが、大勢の人のつながり中で生産され、運搬され、販売されていることを発見します。

 そして、コペル君はこの結びつきを構成するすべての人たちが「エッセンシャル」である事実に目を留めるのです。ふつうに働く大勢の人たちはすべてエッセンシャルであるのです。だから、ネットショップの流れに乗った成金で、宇宙旅行をつまみ食いしているような元実業家は、エッセンシャルではありません。

 私はコペル君の発見したように、普通に働く人のすべてがエッセンシャルであり、つながり合って社会を構成していると考えます。ではどうして、小池知事はCovid-19禍において特定の仕事に働く人たちを指して「エッセンシャル・ワーカー」という流行語を作り上げたのでしょうか。

 感染を恐れて数の減った訪問介護のヘルパーのような現象が、医療従事者や子育て・介護・福祉の領域で広範に進行すれば、社会に大混乱と犠牲者が発生すると考えるからでしょう。だから、何としてでも「よいしょ」して持ち上げて、働いてもらわないといけないと考えを運ぶのはいかがなものでしょうか。

 この人たちの仕事だけが、社会機能を支えている訳ではないのです。でも、「よいしょ」しないと「まずい」と思う節があるでしょう。

 障害領域の支援現場の人から私に、次のようなメールが届きました。

 「一部の医師達を除いてエッセンシャル・ワーカーとは、日本では低賃金で心が折れそうになりながら働く人であると思い始めています。最近、そんな人たちを急にエッセンシャル・ワーカーと表現して、何か特別な社会的立場を持っているかのように持ち上げるようになりました。でも結局は、労働力不足を理由に、濃厚接触者になっても健康観察期間を短くして『すぐに働け』と尻を叩くだけのことです。一体、何なのでしょうね。」

 和製英語の「エッセンシャル」の意味は、「必要不可欠だけれども割に合わない」です。

大学共通テスト当日の埼玉大学

 大学共通テストの初日に、東京大学のテスト会場ではまことに痛ましい刺傷事件が起き、二日目には岩手県宮古市の会場でトンガ噴火による津波の影響でテストが中止となりました。その他の会場は、平穏無事に進行したようです。大学入試センター試験の時代までは、埼玉大学の正門のところに試験会場であることを示す大きな看板が設置されていましたが、共通テストになって以降、看板がなくなっています。これは、SDGsの取り組みなのでしょうか。

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