宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
あやことだっこのささやきトークショー
私の授業のゲスト講話に、小澤綾子さんと朝霧裕さんをお招きしました。お二人の「ささやきトークショー」はYouTubeに連載されています。
小澤さんは進行性筋ジストロフィー、朝霧さんはウエルドニッヒ・ホフマン症によって、全身の機能に何らかの困難の生じる状態があり、ホームヘルプ・サービスを利用しています。小沢さんは週2回、朝霧さんは毎日24時間介助です。
津久井やまゆり園事件を機に、お二人は障害のある人からの情報発信がとても大切だと考えるようになりました。多数の障害のある人たちに死傷者を出したこの事件に対して、インターネット上では「犯人よくやった」という書き込みが相次いだことに衝撃を受けての取り組みです。
「私たちのように全身性の障害のある人間は、“生きたい”と自分から叫ばなければ生きることさえ許されないのか」という危機感を抱いたと言います。
先にゲスト講話にお招きした下肢障害のある女性と同様、このお二人も車いすに乗って街中にいると、突然、「ジャマだ、どけよ」「外出するな」などと罵声を浴びせられる耐え難い経験をお持ちです。
人の大勢いる街中で差別的な罵声を浴びた場合、周囲の人たちは例外なく「傍観者」です。使用者や施設従事者等による虐待においてさえ、同じ職場にいる同僚や支援者が虐待者に対する傍観者になることがあります。ましてや、顔見知りでもない障害のある人の味方になるような市民は街中では現れませんから、身の危険を感じるのは当然です。
また、この2年近くのCovid-19禍は、ホームヘルプ・サービスの奪い合いを招きました。感染を恐れたヘルパーの退職や短時間勤務への変更があり、新たな入職者がほとんどいなかった事情も加わって、サービスの供給量そのものが減少したのです。
その上、障害福祉サービスのホームヘルプは、介護保険サービスのそれよりも事業者数もヘルパー人数も少ないことから需給関係のひっ迫が起きやすく、生きるために必要不可欠な日々のサービス利用の継続はまさに綱渡りの連続だったとお聞きしました。
わが国のホームヘルパーの4人に1人は高齢者ですから、移乗や入浴などの重介護では、「あわや事故でケガをするか」というリスク寸前の場面がこの2年間に増えたといいます。
Covid-19の第5波の時、医療崩壊が出来して「災害時医療に突入した」というニュースが流れていました。実は、介護の世界も同様に「災害時介護」に突入していたのです。この事実のマスコミ報道が見当たらないことに驚きと憤りを覚えます。
人手不足のホームヘルパーの「奪い合い状態」はさらに進行し、ヘルパーの派遣事業所から、利用者が女性であっても「男性のヘルパーでいいでしょ、女性は派遣できませんから」と言ってくるまでになりました。入浴や排泄の介助は必要不可欠であるのに、同性介助の原則はあっけなく踏みにじられていたのです。
人間の性を踏みにじる行為は、個人の尊厳を引き裂く卑劣な人権侵害です。この極めつけの人権侵害が、ヘルパーの人手不足を理由に全国でまかり通っていたとすれば、日本が障害者権利条約の締約国であることに深い疑念を抱かざるを得ません。
サービス提供事業者と利用者の対等平等性のあり様は、書面で契約を締結するかどうかではなく、実際にはサービスの需給関係に規定され、事業者側に圧倒的な力の優位性をもたらす構造が継続しています。
しかも、わが国のホームヘルプ・サービスの仕事内容は、制度上、古典的な最低生活の水準を維持する範囲に押しとどめられています。
例えば、飲み水をコップに入れることは介助に該当するが、花瓶の水を換えることは介助の範囲外に区別されるためにしてもらえません。全身性障害のある人の居宅に友人が訪れてお花を花瓶に活けて帰ったとしても、ヘルパーはその花瓶に水を足すことや交換するのは、職務外として、することはないのです。
同居する夫婦の妻に障害があり、ホームヘルパーが洗濯をする場合は、障害のある妻の衣服のみを洗濯し、夫の分を洗濯することはありません。食事を作る家事支援においても、障害のある妻の分だけとなります。
このようなホームヘルプ・サービスの現実は、「健康で文化的な最低限度の生活」を実現する水準であるとはとても思えないし、生活の基礎的なユニットである家族とともにある障害のある人の暮らしを丸ごと支援するための合理的配慮は欠如しています。
杓子定規な形式要件を振りかざすことによって、ホームヘルプ・サービスの内容を削ぎ落とし、ホームヘルパーの圧倒的な人手不足を糊塗しようとしているのでしょうか。
「生きたい」と自ら声を上げなければ生きることさえ許されないような書き込みがインターネット上に氾濫し、街中でも罵声を浴びることもある。そして、生きる上で必要不可欠なホームヘルプ・サービスは、障害のある生活者のニーズに即した内容を担保することなく、同性介助の原則さえ曖昧にしている。
先週の木曜日のNHKのEテレ番組のバリバラは、小澤さんも出演して、障害のある女性の生理への対応や介助の問題を特集していました。もし、生理への対応や介助を男性ヘルパーがするとしたら、耐え難い屈辱と羞恥を被ることは間違いありません。このような人権侵害が起こりかねない現実が、わが国の「今ここに」あるのです。
この数年間、障害のある人とそのご家族の抱く率直な疑問は、日本が障害者権利条約の締約国になったというのに、暮らしの中の人権保障がどこでどのように進んだのかがさっぱり分からないし、実感もないということだと受け止めています。
差別解消法の規定する差別とまでは言えず、また、虐待防止法上の虐待とまでは言えない、それぞれのグレーゾーンに放置された不適切な支援と制度のあり方が障害のある人の生き辛さを招いています。このような構造の人権侵害の問題を小澤さんと朝霧さんは指摘しているのではないでしょうか。
富士山の夕景
前回のブログに出てきたNHKの「グレート・トラバース」には、山上からの美しい朝焼けと夕焼けの眺望が出てきます。この写真は、残念ながら荒川の河川敷である田んぼからのもの。前回のブログで「グレート・トラバース」は修験者のような登山だと締めくくりましたが、私の思い違いでした。この番組とその主人公は、登山を「競技スポーツ化」しているのです。ここに強迫性を感じさせる魔物が潜んでいるのでしょう。