宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
1985年男女雇用機会均等法以降
この8月2日から「男女が生きる」と題した特集記事が朝日新聞に掲載されました。ここで、1985年男女雇用機会均等法の成立以降に総合職として就職した女性に関する記事のタイトルは「社長就任 男性に同化してきた」「子持ちの気配消している」「主婦選択 娘は社会で可能性を」とありました。
私の子育ては1989年から始まりましたから、保育所や学童保育で父母会をともにしたお母さん方は、この男女雇用機会均等法以降に働き続けてきた女性ばかりでした。この法律は、企業に対し採用・昇進・職種の変更等で男女の異なる取り扱いを禁止し、妊娠や出産を理由に退職の強要や不当な配置転換をすることも禁止しています。本年7月の同法施行規則の改正では、採用・昇進などで転勤を条件とすることも実質的に女性が不利となる間接差別であるとして禁止されました。
このようにみると、働くことをめぐる男女平等を推進する法律であるかのようですが、「機会均等」の実態はこれまでの男性社員の働き方を女性にも強いるものだったのです。そうして、キャリア・ウーマンとして企業社会で昇進を果たしてきた女性総合職の多くは、「社長就任 男性に同化してきた」「子持ちの気配を消している」という生き方・働き方を余儀なくされてきたのです。
保育所や学童保育の父母会の実態は、少なくとも私が父母会長をしていた当時、「母会」でした。平日の午後7時30分から始める月ごとの父母会に参加することのできる父親と言えば公務員か教員しかおらず、民間企業に勤務する父親でこの時間帯の父母会に出席できる人はまずいませんでした。
父親の父母会参加はイベント型で、日曜の行事とその直後の飲み会に限られていました。父母会にたまたま出席してみたら、「こんなに面白い地域活動があったのか」と目からうろこで父母会活動に目覚めるお父さんもいましたが、あくまでも例外的でした。
この冒頭の朝日新聞の記事で立命館大学教授の筒井淳也さん(家族社会学)は、次のようにコメントを寄せています(抄)。
「日本型雇用の総合職はいつでも、どんな仕事でも、会社の命令に従って働く『無限定社員』だ。家事や育児を担う専業主婦かパートの妻がいて初めて可能になる。均等法はそんな働き方に女性を組み込んだに過ぎず、夫婦ともに総合職の場合、育児や家事の多くを誰かに委託しなければ生活は成り立たない。」
つまり、高度経済成長時代の男性の姿であった「働きバチ」「企業戦士」「エコノミックアニマル」の実態を何ら改善しないまま、このような異常な働き方の世界に女性を巻き込んでいった点を否めないのです。独り身のまま男性に同化し、結婚をしても子持ちの気配を消して、社長や執行役員に昇進する女性のあり方は、家族という親密圏を解体しながら進められた、歪な男女機会均等の姿ではなかったのでしょうか。
保育所の夥しい待機児童数の実態に明らかなように、社会的な子育て支援は乏しい一方で、働くことを継続するには残業をいとわない「無限定社員」でなければならない。1985年以降、多くの女性がこのような狭間にあって、さまざまな社会的抑圧にさらされることになったのです。
正社員として働くためには非婚のライフコースを選択するか、子育ての気配を隠すというのですから、少子高齢化を推進した元凶です。健康で文化的な生活に必要不可欠である「身近な人と慈しみあい、労わりあう」親密圏を知らない人たちだけがさまざまな職場と経済界の中枢を闊歩するというのは、男女平等というよりも、かつての男性性を基準としたユニ・セクシュアリティ化の進展に過ぎないでしょう。
非正規雇用とブラック企業の下では、貧困と著しい人権侵害がまかり通るようになり、働く男女は恋愛さえできず非婚化が進み、少子高齢化に拍車をかけています。
それぞれの人にふさわしい家族・親密圏を自分の暮らしと人生で創造する課題は、人間の文化や品性の保持・発展にとって抜き差しならない重要性をもっています。この課題が忘れ去られたところに成立している現代の経済活動と暮らしは、身近な人同士が慈しみあうことのかけがえのなさと品性を放棄し、個人の欲望が露出するところとなりました。
男女雇用機会均等法の成立した1985年は、プラザ合意に端を発するバブル経済へとわが国が突入する始まりでもあります。ここから家族も変容を余儀なくされるプロセスに入り、グローバリゼーションの下で今を生きる競争的人間にとっての「欲望圏」という性質を強めていったのではないか。ここに非婚化・少子高齢化と一体のものとしての虐待やDVがあると私は考えています。