宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
幻想ではないのか
「緊急事態宣言」が発出されました。首都圏の主要なターミナルの人出が減少したものの、1回目の緊急事態宣言のときより減少幅は少ないとマスコミは報じています。前回の宣言時、多くの人は得体の知れない新種のウイルスに怯えて外出を抑制しました。
今回の非常事態宣言は、まったく文脈が異なります。GOTOで「気をつけて旅や飲食で外出するなら大丈夫」とけしかけてきた後ですから、すぐさま「外出自粛」とならないのは当たり前です。
この年末年始から昨日まで、どうしても外せない用事のために私は都心に出かけました。確かに、都内の街角を行き交う人の数や公共交通機関の混雑度は、さほど変化したようにはみえません。
夕方の飲食店をちょっと覗いてみると人は結構入っています。酒盛りの客はマスクを外して乾杯して飲み食いし、完璧な3密状態です。若者のグループもいれば、おじさん・おばさんのグループもいます。
夜8時にお店が閉まるため、短い時間で盛り上がって締めくくりたいのでしょうか、店内には、いうなら「圧縮酒盛り」の濃密な雰囲気が漂っています。私は注文することなく、逃げるようにお店を出ました。
都心でタクシーを使いました。70歳近い運転手さんによると、都心のタクシー運転手の収入は3分の1に減っているそうです。夜分の飲食の制限がタクシー利用の減少に直結しているのに「協力金」もないと、しきりにぼやきました。
「私なんか、もう子どもが就職して自立していますから、老夫婦が当面何とか食いつなぐことができればいいと観念できます。でもね、子どもが高校や大学生の運ちゃんは大変ですよ。ひとまず借金するとしても、この先の見通しが立たないようなら、後は首を括るしかないなんて言ってますね。」
「運転手仲間の情報なんですけどね。夕方になると決まって迎車の依頼をしてくる議員さんがいるそうで、行先は銀座の超高級クラブだって聞きました。都心の夜を空車のまま流しているとこの話を思い出して、虚しさと憤りが込み上げてきます。」
先日のブログで、出張先の高松市でかいまみたGOTOトラベルの実態は「懐寒い系の若者」が目立つと述べました。この施策には、経済の専門家の批判的見解も目立ちます(https://www.newsweekjapan.jp/obata/2020/10/go-to-travel.php)。誰が考えても、一時しのぎの策としか思えません。
しかし、もし今の私が貧乏学生だったらどうしただろうと考えてみると、GOTOトラベルとGOTOイートを組み合わせて最大限に活用しただろうと思います。若者が抱く旅と食への憧れに貧乏学生の「矜持」をもって、「千載一遇のチャンス」だと捉えたでしょう。
“GOTO〇〇”は、そのネーミングの通り、行動を制限するのではなく、積極的に出かけることをよしとしています。経済のためには「もっとはじけて遊ぼうよ」と国家的に誘いました。そして、食って飲んで旅ではじける人間が増えたら、「エビデンス」がある訳ではありませんが、とにかく感染拡大が急速に進んでしまった。
よくよく考えてみると、議論の出発点が間違っていたのではありませんか?
マスコミ、有識者及び政府は、自明のように、議論の出発点を「経済と感染防止のバランスをとる」ことに置いてきました。が、それはただの幻想だったのではないのでしょうか。その幻想に、飲食店や観光業をはじめみんなが振り回されて、幻滅に直面している。
新型インフルエンザ等特別措置法に基づく「緊急事態宣言」は、諸外国で実施されているロックダウンとは異なり、外出は「禁止」ではなく「自粛要請」であるし、飲食店に対しては「営業時間短縮要請」で「命令」ではありません(https://corona.go.jp/emergency/)。
すると、二度目の「緊急事態宣言」による「お願い」ベースで、人々の行動を根本的に変えることはできないのではないか。日本の特質であると指摘される「同調圧力」を強めて、感染拡大を収束できるだけの実効性があるとはとても思えない。
だからといって、「緊急事態」を「非常事態」にすり替え、それを口実に国家が強権を発動して国民の主権を制限する方向を正当化することには強い疑問を感じます。
平成の間に格差がますます拡大してきた現実があるのに、Covid-19が登場した途端、感染防止に努めるのはみんなの共同責任だと言わんばかりのコミュニタリアニズム(共同体主義)を振りかざす「自粛要請」に、唯々諾々と従おうとしないのは必然です。社会の分断が進んだ帰結に過ぎません。
外出は「禁止」ではないから、行動と人身の自由があり、若者には若者にふさわしく幸福追求権を追求していいと考えてはいないでしょう。すると、今回は「同調圧力」にさほど効果のない分、個人が析出して民度が高いと言えるのかもしれない。
だから、各人の感染防止に資する自覚が、補償・営業・働き方等のあり方の議論と最適化を通じて、社会的な連帯に向かう方向に歩めるメッセージと具体的な施策が必要であると考えます。
経済のために「外に出てはじけよう」と仕掛けておいて、感染拡大を止めるためには、メッセージ性頼みの「要請」とセットの手薄い「補償」で済ましている限りは、このまま感染の波を繰り返すだけに終始するでしょう。
もし、このまま経済は回らず、感染拡大にも歯止めがかからず、後に出てくるのは積み上げられた死者数と後遺障害の実態と超緊縮財政だとなれば、アジアの中で再び「ルック・イースト」と言われるときがやってくるのかも知れません。