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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

橋本治さんを振り返って

 このお正月は、昨年からの様々な出来事を受けて、逝去から2年経つ橋本治さんについて振り返ることにしました。

 2019年の1月に永眠された橋本さんの追悼総特集『橋本治-橋本治とは何だったのか?』(河出書房新社、2019年)は、購入したまま積み上がった本の中に紛れ込んでいました。

 文芸評論は私の目的ではありません(そんなことはとてもできません)。橋本さんの小説である『ふらんだーすの犬』や『橋』に子ども虐待や配偶者間暴力が描かれており、とても考えさせられるところがありました(『橋』については、2011年5月23日ブログ参照)。

 そこでは、社会経済のあり方とともに変容していく親密圏としての「家族」がテーマにあり、虐待やDVの発生に至るまでの経緯に複雑な要因の交錯や行き違いがリアルに描かれています。

 野間文芸賞を受賞した『草薙の剣』(新潮社、2018年)の表紙裏に次のような一節があります。

 「敗戦、高度経済成長、オイルショック、昭和の終焉、バブル崩壊、二つの大震災。みな懸命に生きながらも親と子は常に断絶を抱え、夫婦はしばしば離婚する。人はつねに、思い描いたことの外にある」

 虐待対応の中で、発生した虐待をアセスメントし支援の連携を組み上げていくという論理とは次元の異なる視座が橋本さんによって拓かれています。

 「今ここで」の虐待対応におけるアセスメントを表層的なものだと仮定すれば、橋本さんの小説は、さまざまな物語が編み込まれた歴史的な深層の中から虐待を浮上させ彫り上げていくということができるでしょう。

 橋本さんの小説における虐待は、「ふつうの人」すべてが様々な物語を編み込んだ歴史的深層の「共有者」でありながら、「当事者」となるか否かは「思い描いたことの外にある」問題であることを指し示しています。

 虐待事例の検討で3世代前まで遡ることができた場合に、私はときおり戦争の影を感じることがあります。施設従事者等による虐待ケースにおいても、その虐待が発生に至るまでの経緯の深層中にすでに亡くなった社会福祉法人の創設者が作り出した〈支配=従属〉の根深い痕跡を認めざるを得ないことがあります。このような歴史的深層の中で、特定の虐待事案が発生していると見ることができるのです。

 これまでの虐待研究の中では未だに明確な光を当て切れていない問題の所在について、小説という技法だからこそ、淡々とした文体によって呵責なきまでのリアルを明るみに出していくところに、橋本さんの小説のはかりしれない重みを感じます。

 さらに、虐待やDVの登場する先に紹介した小説の主人公は、すべて女性です。前掲の追悼総特集の高橋源一郎さんと安藤礼二さんの対談(前掲書2-19頁)では、橋本さんは「おんなこども」という「マイノリティの語り」によって「批評的な感性とそれを表現する豊かな言葉」を担保している点を指摘します。

 つまり、「家族」という親密圏をテーマにした小説を家父長制的秩序の退屈さから解放し、女性を基軸とする物語の展開にすることによって、事の真相に肉薄するのです。それは、虐待という事象の責任を、虐待者だけに還元できないことを浮き彫りにしていると言っていいでしょう。

 虐待対応件数が20万件に迫る子ども虐待や、増加して止まない施設従事者等による虐待は、虐待防止法による「今ここで」の対応をあざ笑っているように思えて仕方ありません。虐待防止につながる深層へのアプローチがどこにも見えてこないからです。

 今年は、虐待原論について突き詰めて考える予定です。

人出の少ない初詣-川越喜多院

 Covid-19の感染防止も同様です。感染防止にはほど遠い感染拡大が続いている現実は、神妙な顔をしながら口先だけで「ステイホーム」を訴える政治家を嘲笑うかのように見えてきます。

 ウイルス感染が都道府県単位で仕切られた現象であることなどあり得ないのに、感染防止対策は都道府県単位を基本に据えています。この無策を背景にして、感染者の中から死に至る人が絶えず、医療関係者の疲弊にそのご家族の暮らしへの大変なしわ寄せが甚大なものへと拡大しています。

 大阪大学の三浦麻子教授の研究によると、「Covid-19に感染する人は自業自得だと思うか」の質問に対して、「どちらかと言えばそう思う」「ややそう思う」「非常にそう思う」の回答の合計は、アメリカ人が1.0%、イギリス人が1.49%、イタリア人が2.51%、中国人が4.83%であるのに対し、日本人は11.5%と突出して高いことを明らかにしています。

 三浦さんは「社会は本来、安全で公正ものである」という「公正世界仮説」によって「想定外の悪い出来事が発生したのは悪いことをしたからだ」と言う理解に帰結させているとひとまず説明しているようです。感染拡大に関する表層的な理解にとどまり、感染拡大の続く深層を国民が共有しているとはとても言えないようです。

 虐待は虐待者が悪者で、感染者は自業自得-橋本治さんがご存命なら、現在のCovid-19感染拡大について、どのように批評したでしょうか。

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