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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

松本哲也著『空白』(2004年、幻冬舎)から

 シンガーソングライターの松本哲也さんの半生を告白した書です。人が生きることにつきまとう罪深さと甦りについて、嘘偽りなく語られています。

 父はヤクザ、母は覚醒剤中毒で、子ども期の被虐経験と思春期における非行の繰り返しがありました。

 養護施設(現、児童養護施設)から教護院(現、児童自立支援施設)の暮らしを経て、中華料理や焼肉店のコックなどの仕事を通じて社会に参入し、シンガーソングライターになるまでの道行きが綴られています。

 この物語には、決して見過ごすことのできない時代の情景が描かれているように思います。北東北の貧困、地のヤクザと覚醒剤、精神科医療の時代的制約、1980年代における荒れた中学と力で抑え込む管理主義教育の横行…。

 このような時代の深刻な矛盾をくぐって生きざるを得ない民衆には、虐待や暴力にまみれた罪深さが恰も宿命づけられていたようです。

 虐待や暴力の源泉となる「力の優位性」とその濫用の多様なあり方は、1980年代において既に、家族と地域社会のあらゆるところで不断に産出されていた事実が克明に描かれています。

 この時代に竹内常一さんが著した『子どもの自分くずしと自分つくり』(UP叢書)が、当時の子どもたちの世界に広がる「支配-従属」関係に着目していたことを私は彷彿と想起します。

 男女の関係、夫婦・親子の関係性、学校における教師-児童生徒関係、養護施設の子どもと一般家庭の子どもの関係、教護院の子ども同士の関係、お店の経営者と従業員の関係等、暮らしと労働のすべての営みの中に虐待や暴力の源泉のあることが分かります。

 これらの営みの中では、「力の優位(支配)・劣位(従属)」関係を不断に創出し、暴力やネグレクトによる力の濫用を通じて社会制作するという循環が起きています。

 つまり、「支配-従属」関係を基軸とする社会秩序を維持し続けるための装置として、何らかの暴力やネグレクトによる力の濫用が常に機能し、拡大再生産し続けている社会システムです。対等・平等な市民による協働と参画による社会制作とは、真逆の世界です。

 梶川義人さんが今日の虐待の発生に係わって「コントロールフリーク」という現象に着目されているのは、「他者を思い通りに支配しようとする」関係性を不断に創出する日常生活世界の広がりを指しているのだと思います。

 力の優位・劣位を決めるせめぎ合いのプロセスを通じて、それぞれの社会的地位と根の張り方が規定される社会システムは、「格差(差別)と不安」を原動力にしています。そこでは、力の優位性のある立場に居続けることへの力の濫用が自らに安心をもたらすことにつながります。

 もちろん、このような「安心」は束の間のものに過ぎませんから、不断に力の濫用が継続することになります。本書を読むと、このような悪循環を自ら断ち切り、離脱して立ち直りに向かう分岐点は、人(支援者)との出会いと関係性が決定的に重要ではないかと感じます。

 本書にはもう一つ、実に興味深い内容があります。それは、松本哲也さんの甦りにはかり知れない意味をもつものは音楽だという事実です。養護施設の新人職員が弾いていたギターとの出会いがあり、教護院の音楽先生が音楽の世界の素晴らしさを広げていったようです。

 「空白」という曲をはじめ、松本さんの楽曲には静けさとクライマックスがあり、歌詞はかつての生活の情景をバックにこれからに向けた音楽シーンを創作しているようです。

 CDを聴いて、「売れてメジャーになりたい」という欲望には、決して還元することのできない音楽性があると受け止めました。悲しみと喜びを噛みしめながら「I wish」とあるように、「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」(ベートーベン)に通じるスピリットがあると感じます。

 このような音楽が、「空白」を抱える多くの人たちと共に生きるメッセージである続けるとき、松本哲也さんにとっての音楽の創造は、虐待や暴力にまみれた過去の世界を、力を合わせて生きる世界へ変えていく認知行動療法(虐待に伴う精神的外傷への治療的アプローチである暴露療法)になっているのではないかと考えています。

 ぜひご本人にお会いして、この辺りについてお話を伺えればと期待しています。

飛躍して困難を乗り越える象徴-バッタ

 さて、この8月11日に教育実習や介護等体験に係る代替措置が文科省から明らかにされました。Covid-19の問題から、教育学部の実習関係も大わらわでバタバタです。大学の介護等体験に係る仕事で疲れて帰ってくると、玄関傍でバッタが跳ねてハスの葉にとまりました。

 バッタは跳ねるので、飛躍して困難を乗り越える象徴だとか。ほんまかいな(笑)。