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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

あやことだっこのささやきトークショー-生きる意味を考える

 津久井やまゆり園事件から、昨日の26日で4年が経ちました。これを機に、やまゆり園事件と命の選別をテーマに、障害のあるなしにかかわらず「生きる」ことのかけがえのなさを素敵に語るトークショーが公開されています。ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=SyUzBzyQ69k&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1Rp9eTm1UxKD9KnohsHe1mSdhn942F1H7CF4xnzZ8VNSRIW_vnPJ5m9hI

 小澤綾子さんと朝霧裕さんのトークショーです。お二人には、進行性筋ジストロフィーと進行性脊髄性筋萎縮症というそれぞれの難病がありながら、歌手活動で活躍されている共通点があります。

 朝霧さんとは、さいたま市のノーマライゼーション条例づくりの中で知り合いになりました。「歌姫」としての活動の他、『バリアフリーのその先へ―車いすの3.11』(2014年、岩波書店)などの著作もあり、一見小柄な女性でありながら、進行性の難病のある人の自立した地域生活を切り拓いてきたパイオニアです。

 先週、やまゆり園事件の発生した日にかぶせるように、何とも忌まわしい事件が明らかになりました。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性が2人の医師に殺害された事件です。

 この医師2人の共著に『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』があり、安楽死肯定論者だとする向きもあるようです。

 しかし、東海大学附属病院安楽死事件の判決(1995年)が明らかにした安楽死の4要件(耐え難い肉体的苦痛、死が避けられず死期が迫っている、肉体的苦痛を除去・緩和する他の方法がない、患者の明らかな意思表示)を全く満たさない殺人行為に過ぎません。

 しかも、この女性から医師に130万円が振り込まれていた事実が明らかになっています。容疑者の医師がネット掲示板で「安楽死がバレない方法」を募っていたことを合わせて推測すると、自殺願望や「扱いに困った人を殺してほしい願望」のある人を食い物に「アルバイトで稼ごう」としていた殺人鬼ではないかと思います。

 やまゆり園事件は「言葉も意思もない障害者」を選別して殺人する犯行であったのに対し、京都殺人鬼医師事件には「死のニーズ」をあぶり出して死に誘う市場型「殺人サービス」のような趣があります。背筋がぞっとします。

 ただ、これらの犯人に共通して、奇妙な軽薄さがあると思えて仕方ありません。「優生思想」や「安楽死思想」を突き詰めて考えたような形跡はなく、個人的な欲求不満を晴らすための行為であり、衝動性と残虐さの痕跡だけが残る犯行だと思います。

 この医師による殺人事件に対して、朝霧さんは次のように発信しています。(ご本人の了解を得て、このページで読みやすい体裁に加工して転載しています。この他にも大切な発言もあり、ぜひ次をご覧ください。https://www.facebook.com/asagiri.yuh

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 わたし思うんだけど難病になったら死にたくなることくらいあるよ。
 しかも繰り返しある場合もあるよ。

 わたしレベルで「寝たきりのかたよりはまだ動ける」って思われている人でさえ そういう日もある っていう日はあるんだよ。

 でも そのときに、たとえ障害が重度になってもサポートできる介護事業所や 身体的に対等な立場で話をききあえる障害当事者と つながってさえすれば「いや、まだ今日はやめとこう」って揺れる心の波の中でも死なずに済むという日もまた繰り返しあるのよ。

 いつもね こういう事件があるときにすごく気になる。
 ALSでも筋ジスやホフマン症で、気切で寝たきりでも、結婚・出産して地域に生きていらっしゃるかた、就労も旅行も趣味もなんだって、一生病院とか、一生施設と思わないでも暮らしている実例をわたしは身近に複数知ってる。

 ご本人も、お医者さんや看護師さんも、それらの実例の方々を知っていての、知っている上での、判断だったかどうか。

 わたし去年に入院したとき、若い20代のリハビリの先生に「あなたのように施設や病院じゃなく、介助さんと地域に暮らしていらっしゃるかたにはじめてお会いしました」って言われたの。

 「(今の時代でも)そんなことあります?!」って内心ものすごくそのときびっくりしたの。病院の医療現場に携わる方々と在宅介護現場に携わる方々の「包括的な横のつながり」が両方の現場が常に業務多忙だから、ありそうでないんだな、こんなに希薄なんだなと、
 去年一回だけびっくりしたことがあるのよ。

 人の生き死にとは他人が干渉すべきことではないとも思うんだけど、でも「ALSでもこんなひといるよ?」って 幾人か知ってたら この人死ななかったんじゃないか? と思われる死がこのような事件になることは日本の歴史の中で必ずあって(障害をもつ子の親子心中とかも含めて)、『障害当事者やそのサポーターたちの生きかた、ありかたの実例』を、

 どんどん見せていく、どんどんメディアに出る、どんどんさらけ出す、見せる。
 そのことの 重要性を物凄く思う。

 たとえば医療費とかで家族に迷惑をかけるから呼吸器をつけないとか、介護を家族に負担させたくないとか、そういった理由でつけたらまだまだ生きられる呼吸器をつけないで死を選ぶ人も難病当事者のかたの中にはきっとたくさんいるけど、いつ何時だれに何が起きたときにも助け合えるために「国」が「国」としての意味を成しているわけだから、

 生きるほうへ行きたいし、生かすほうへ行ってほしい。
 その権利がこんな脆弱にグラッグラに揺らいでいる今の時代は、なんだかこわいです。
 何年かにいっぺんこうして難病当事者同士、もしくはなにであっても困難の当事者同士の
 横のつながりの大切さを強烈に思い出させるできごとがあります。

 難病当事者のひとりずつのかたが、今外出しづらいですが、おうちを拠点にどんどんじゃんじゃん人前に出ることを今やめてはいけないなと思います。
わたしも然りです。

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 冒頭に紹介したトークショーと朝霧さんの発言に、このお二人のすべての人間に対する温かいまなざしを感じます。犯人の「軽薄さ」とは対照的な「信実さ」に溢れています。お二人のメッセージには、次のような内容があると私は受け止めました。

 障害のあるなしにかかわらず、福祉・介護サービスの利用者であるか支援者であるかにかかわらず、日常生活世界を共に生きるということは、命ある限り、例外なく、それぞれにふさわしい幸福の追求を支え合い、そのためのコミュニケーションと意思決定の支え合いを豊かにする営みである、と。

 わが国におけるあらゆる支援(医療・保健・福祉・教育・労働など)の現実は、幸福追求権の行使に資する意思疎通・意思決定支援の充実が遅れています。このような支援の貧しさにも、自殺願望や自殺企図を食い物にする「医師のお手伝い」を暴走させた一因があるように思います。

希望の花火