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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

コロナ後の社会不安の背景に

 緊急事態宣言が解除された後、北九州市や東京都では感染者の拡大がありました。この事態を受けて、二つの自治体の首長は、記者会見にくしくも同じフレーズを用いています。

 それは、感染者の増加要因については「積極的な検査を行った結果としての数字」であるという表現です。

 北九州市の場合は、医療機関の院内感染と小学校のクラスターに関連して「積極的な検査を実施した結果」でした。6月14日の東京都の新たな感染者47人の場合は、新宿区の集団検査による18人、院内感染5人、夜の街の接触4人となっており、以前のように「医療体制(検査体制のことでしょうか?)が十分でなかったときとは状況が違っている」といいます。

 しかし、当局が「感染があやしい」と睨んだところに「積極的な検査を実施」すれば、ぞろぞろ感染者が判明するというのであれば、感染実態の全体像は依然として把握できていないことを示しているだけです。

 このような「あやしい」説明を繰り返していると、第二波や第三波がきたとき、どのような説明をしても信用してもらえない事態を招来するだけではありませんか。ドイツのメルケル首相(元は物理学者です)や台湾の陳時中(衛生福利部長)の新型コロナ対策をめぐる指揮と説明に国民から絶大な信頼があるのは、科学的根拠が明確で分かりやすいからです。

 東京アラートは解除され、この19日に休業要請も全面解除となります。32兆円近くに上る第2次補正予算も成立しました。これらの動きに、社会と経済をまず元通りにして発展軌道に乗せて行こうという方針があることは間違いないように思えます。

 でも、はたして、これで大丈夫なのでしょうか。

 インバウンド需要が確実に元に戻るのは、ワクチンや特効薬の開発以降のことです。経済界の太鼓持ちのエコノミストや自分は結局何もしないコンサルの中には、「今年度の後半からインバウンド需要の戻りがくる」なんて言う人もいますが、根拠を示してほしい。

 休業要請を解除しても、「3密回避」のための手立てを講じなければならない飲食店などが「元の経営に戻る」ことは考えられない。夏の猛暑でクーラーを使うときに窓や入口を開放しておくことはできないし、お客さん同士の間隔を開けたり透明アクリル板を設置すると客の収容人数は減少するから、客単価がうんと上がらない限り収益が元に戻ることはありません。

 平たくまとめてしまうと、人とモノを集中・集積して賑やかに繁盛することの一切が元通りにはならない。東京商工リサーチや帝国バンクなどは、これまでにない倒産件数の増大を予想しています。人通りで歩けないほどの外国人で溢れるインバウンド需要や東京2020のイベントはもはや「なくなった」といっていい。

 すると、当面の経営の安定と継続を図るための施策は重要であるとしても、元には戻らない社会をこれからどのよう展望するのかについての政策的デザインは必要不可欠です。たとえば、オランダのアムステルダムは、「ドーナツ経済学」の考え方を採用することをすでに発表しています(https://cehub.jp/news/amsterdam-doughnut/)。

 人とモノの流通と交わり方の様式が一変する事態は、新しい時代の始まりを意味します。古代から中世、中世から近代への歴史社会的な変化の根幹には、人とモノの流通・交通様式にかかわる抜本的な変革がありました。

 ところが、現時点でこれからを見通すには余りにも不透明感が強い。私の抱く不透明感のコアには、新しい人とモノとの流通・交通様式を変革する担い手と思われる人たちに、次代を切り拓く思想や人間性をまったく見いだせない不信感があります。

 これまでとは根本的に異なる流通・交通様式を産みだす柱はICT(情報通信技術)です。金融市場の変化や、テレワーク、オンラインの会議や授業、インターネット・ショッピングなど労働と生活のあらゆるところで巨大な変化をもたらしています。

 ところが、このような巨大な歴史的変化を産出する技術やシステムを生み出してきた人たちに、新しい社会哲学があり、これまでにない公共性を建設するにふさわしいムーヴメントへの関与があるかというと、私の知る限りめぼしいものは何もありません。

 現在私たちが享受しているメールの技術の出自はアメリカ軍の通信技術で、アメリカの軍事技術として確立したアカウント形式を採用することによって、エシュロン等による通信傍受・盗聴システムが確立していると言います。実際、EUはアメリカによる一方的な通信傍受を回避するために、メールアドレスの形式を変えるための抵抗を長年試みてきましたが、未だに成功していません。

 ICTの出自の一端が軍事産業にあったとすれば、GAFAMの巨万の富の源には軍需と国家権力との途方もない癒着があったと考えるのが自然です。つまり、新しい産業領域を形成発展させるための実質的な国家資本がGAFAMではなかったか。(日本の明治初期の官営による八幡製鉄所や富岡製糸場が国家資本に該当し、軌道に乗れば産業資本に移行します。)

 中国におけるファーウェイも同様で、通信傍受や軍事技術等の国家の利害と密接に関連する領域であるからこそ、米中対立の火種にもなり続けているのでしょう。天安門事件に係るZOOM会議をZOOM運営企業が、中国の要請にもとづいて中止させた事実は、国家権力とICT業界との根深い癒着を露わに示したものです。

 だから、これらの起業家で大富豪になっている人たちは、慈善活動や寄付はするけれども、民衆と共に新しい社会制作をしようとする人たちはほとんどいません。これはわが国におけるICT業界や新しいビジネスモデルの旗手と称される富豪も全く同様です。

 中には、新自由主義と規制緩和の恩恵を追求して大富豪になったにも拘らず、「死ぬ間際の罪滅ぼし」のように、原発反対や国家の役割の再構築を叫び出す人たちがいます。「国家を市場に埋め戻す」信奉者が大儲けに成功したら、収奪し続ける民衆が痩せ細って「絞り続ける」ことができなくなる不安が溜まり、「国家による富の分配や規制が必要」だと言い出したようにもみえます。

 6月5日の朝日新聞に掲載された起業家・ベンチャーキャピタリストのニック・ハノーアさんの「富豪が憂える資本主義」は、率直に言うと、私にとっては笑止千万でした。

 自由主義的な国家体制と経済政策が貧困を拡大し、民衆に疾病を蔓延させることくらい、公共性を不断に考慮する市民としての教養があって、19世紀から20世紀にかけての経済と社会保障のイロハを学んでいれば普通に分かることです。

 公共性を追求するための教養と哲学のない人がお金儲けに夢中で、時流に運よく乗ることができたので、新しいビジネスモデルの旗手やICT関連の大富豪になっただけというのが実態ではありませんか。

 このようにみてくると、新しいビジネスモデルやICT関連の技術開発と事業そのものに、はたして新しい公共性を育む要素があるのかどうかは疑わしい。むしろ、民衆支配の道具としての使い勝手に、これらの技術と事業の旨みがあったのでしょう。この点が、ICTの成功者や新ビジネスモデルの旗手たちの、これからの社会制作に資する哲学とムーヴメントにかかわる致命的で本質的な貧しさをもたらしているのです。

目玉おやじ-一畑薬師で

 黄泉と現世との往来ができて、閻魔大王からの依頼を引き受けたこともある目玉おやじはとても博学です。この目玉おやじは茶碗風呂が大好きなので、茶碗が貨幣で埋まると不機嫌なようです。