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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

学びのあれこれ

 大学の授業がオンライン化されて1か月余りが経ちました。当初はどうなるかとやきもきしましたが、教師も学生もオンライン授業に慣れてきたようで、多くの授業に順調な運びが出てきたように思います。

 もっとも、先日のブログでもふれたように、通信機器や通信環境の問題を抱える学生は今でも苦労をしています。きょうだいがそろって大学生でオンライン授業を受けていると、途中で切れてしまうことがあるそうです。バイト収入がなくなったのに、パソコンやWEBカメラを購入せざるを得なかった学生もいます。

 オンライン授業での私の悩みの種は、出欠の確認です。個人的には、決して出欠の確認で悩みたくはないのですが、不本意ながら、致し方なく悩まされてしまうのです。

 オンライン授業のシステムは大学によって異なりますが、私の職場の場合は、簡単に出欠をとる方法がなく、いささか面倒な手順を踏むことになるのです。ここで出席確認の手順を間違った学生が必ず毎回の授業にいて、「ちゃんと出席していましたから確認してください、よろしくお願いします」とメールをしてきます。

 受講生の多い授業では、一回の授業で20件以上のメールに襲われます。対面式の授業を教室で実施しているのであれば、学生が学生証を電子端末にかざすだけで大学のサーバーに出席記録が保管されるのに、今はいちいち手作業での出席確認に追われるのです。

 新型コロナウイルスの問題から授業が突然オンライン化されたために面倒な手順になってしまった経緯があると考えて、私は学生に最大限の配慮をしています。でも、内心釈然としない思いがくすぶり続けています。

 出席確認のメールだけがわんさか押し寄せてはくるが、授業内容にかかわる質問メールはこの間の合計で4件だけです。端的に言うと、単位評価にかかわる出席の最低基準をクリアしておくことには細心の注意を払うが、授業内容に対する「問」をもつことには傾向的希薄さがあるということでしょう。

 つまり、オンライン授業は対面授業にある人間同士の「出会い」のリアリティが希薄なために、いろんな問題を通り過ぎてしまう危うさがあると思います。これは、オンライン授業に対する学生の「授業評価」がいいとか悪いとかの問題ではありません。

 先生の声と表情、学生の顔、授業を受ける姿勢、授業内容のメモ、居眠り、内職、無駄なおしゃべり、遅刻して教室に入って来た学生のバツの悪そうな表情…、これらすべてが受講生の多い授業ではありません。ここでは、人間は抽象化して学問や教育に必要不可欠な人間同士の相互作用が欠如したところで、「単位評価」という「成果商品」を購入することだけが独り歩きしがちです。

 NHKの首都圏ニュースなどでは、公共放送であることを放り投げて、アナウンサー同士が無駄なおしゃべりをして笑っている光景をよく見かけます。この背景には、視聴者に関するリアリティがないまま、視聴率をとることだけにかまける怠惰があります。視聴者は抽象化していますから、自分の怠惰に気づく契機を失っているのです。

 これと同様に、学びの内容づくりに必要な「問」を省いてしまい、いい「単位」という「成果商品」が手っ取り早く手に入ればいいという傾向を強めている落とし穴はないのでしょうか。教育の魂や骨の髄を「市場化」して、教育の営みを破壊してしまうリスクがあります。

 私は大学に職を得る以前、NHK学園高等学校専攻科のコミュニティ・スクールで社会福祉に関する通信教育の講師をしていました。この時代のNHK学園コミュニティ・スクールは福祉関係の資格とは無関係のコースでしたが、バブルの時代とは言え、市民として社会福祉を学ぼうとする大勢の熱意に満ちた受講者がいました。

 ここで、私は自分が教師として生涯自信を持つことはないと観念する経験をしたのです。

 NHK学園は通信教育をしていますから、全国各地の主要都市に出向いて、定期的なスクーリングを実施します。札幌での夏のスクーリングでした。旭川近辺の牧場の、障害のある子どもを育てている40歳前後のお母さんが受講者の中にいました。

 スクーリングの学習相談で面談すると、子どもと自分の家族の生涯のことだから、学ぶ体力と気力のある内に社会福祉のことを学んでおきたい、夏の牧場は午前4時から仕事が始まるので自分は夜中の2時30分に起きて毎日90分テキストを読んでレポートを書く時間にあてている、スクーリングに来てようやく直に先生方に質問したり他の受講生と議論できることが楽しみだったこと、などをいきいき話されるのです。

 このスクーリングの当日も、夜中の2時に起床して、家族の食事を用意して、朝一番の電車で札幌に出てきたというのです。この女性を前にして、暮らしの中で幸福を追求する営みとは何か、生活をゆたかにするための社会的支援の法制度とサービスはいかなるものなのか、を教え共に考えることが自分の仕事であることにただただ怖れを抱くほかありませんでした。

 東京のスクーリングには、外国航路の船員の仕事をしているお父さんが参加していました。この方も奥さんと共に障害のあるお子さんを育てていて、学びたいと受講するようになったと言います。

 外国航路の船員ですから、気象による海洋事情によって、神戸に寄港したタイミングで大阪のスクーリングに出るのがいいのか、横浜の寄港で東京スクーリングに出るのがいいのか、ずっと船舶電話で相談されてきた方でした。

 そして、前日の夜中に横浜港に着いて、朝には東京のスクーリングに出てくるのです。牧場のお母さんもそうですが、スクーリングの授業の最中の眼光はするどく、貴重な対面授業に集中していることが分かります。

 外国航路の船員をしながらレポートを送ってくる事情があるため、ときどきレポート提出の〆切に間に合わない時がありました。そこで、私はお仕事の多忙さを配慮して「できた範囲でレポートを送っていただければいいですよ」と言うと、いかにも心外だと反論されてしまったのです。

 「自分が納得できるレポートを仕上げたいとつねづね思っているのです。だから、〆切の日程は先に来ないんですね。納得できるところまでレポートを仕上げないと、学んでいる気がしないんですよ」と。う~ん、どこかの大学生にこのお父さんの爪の垢を煎じて飲ませたい!!

 教育と研究の営みの基軸には、人間の事実に迫ることが必要不可欠です。断片的知識や単位を取得することに還元できるものではありません。

北海道の牧場の夕暮れ

 あのスクーリングの時の、牧場のお母さんはお元気に過ごされているでしょうか。