宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
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- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
安心をもたらさない仕組み
新刊書『地域共生ホーム-知的障害のある人のこれからの住まいと暮らし』(全国知的障害者施設家族会連合会編著、中央法規出版)の第3章と第5章では、障害者支援施設における職員配置率と事業者報酬について、利用者からは理解しがたい仕組みのあることが明らかにされています。
前回のブログにも記したように、職員配置に厚みを持たせて報酬加算がついても、職員一人当たりの報酬は低くなるという理解しがたい仕組みです。
本書のこの部分は、利用者には理解しづらい制度の仕組みについて、表や計算式を駆使して解説していますから、多くの利用者・家族のみなさんに読んでいただきたいところです。
しかし、措置費制度の時代との対比でみると、どうしてこんなにも複雑で、利用者の立場から言えば、不合理な仕組みが作られているのでしょうか?
措置費は、事務費と事業費から構成され、利用者の生活支援にかかわる費用部分は事業費でした。物価や人件費を考慮した地域と施設定員ごとの単価が定められ、職員配置も利用者○人に1人の基本形の上に、「重度加算」がついていたはずです。
措置費の仕組みは、行政資料さえあれば、学生にもすぐに理解でき、計算することも可能でした。しかし、今日の事業者報酬は、とてもそうはいきません。この分かりづらい構造を生み出す根本問題はどこにあるのかを仮説的に考えてみます。
現在の介護保険法と障害者総合支援法の事業者に対する報酬の仕組みは、フィナンシャル・マネジメントの手法を駆使して、財政規模を増大させず、利用者・事業者の不平・不満を適宜、吸収したり逸らしながら、政策目標の実現を最大化するためのものなのでしょう。
民間企業の財政・経理は、以前は、会社の内部にある「経理課」が中心に担当していました。が、企業規模が大きくなり、多彩な事業展開をするようになってくると、財政・経理だけを担当する子会社「○○フィナンシャル・マネジメント」を100%の出資でつくるようになっていきます。
多彩な事業展開の下で、財政効率と資本蓄積の最大化を図るマネジメントを専門に担当する子会社です。本体の親企業が新たに事業展開する部分とスクラップすべき部分について「集中と選択」を図るためのデータも、この子会社で明らかにされるのでしょう。
今日の社会福祉は、福祉国家型福祉ではありません。ニュー・マネジャリズムの下で多様なサービス給付にかかわる政策を展開していますから、介護・福祉サービスに関する財政管理は、民間企業と同様の、フィナンシャル・マネジメントの手法を最大限に活用しているはずです。
そして、毎年度の報酬改定は、役所からの手直し部分に関する「オーダー」を決めて、計算センターと制度設計を担う民間企業に委託するのです。この仕組みの運用原理に「利用者主体の原則」が据えられているのであれば、何の問題もありません。
ところが、この手法の運用目的は、社会保障・社会福祉にかかわる財政支出を抑制するという政府の利害を優先していますから、あらゆるところに国の支出が膨らまないためのリスク・ヘッジがかけられているのです。
たとえば、障害のある利用者にとって、障害者支援施設の職員配置率が良くなることはとても大切なことですから、制度上は「加算報酬」と呼称しています。しかし、「加算」といいながら、実際には「職員一人当たりの報酬は低減する」仕組みにしておくのです。
「加算報酬」のつく職員配置率を採用する施設が増えると財政規模は膨らむ方向に振れますが、施設の経営・運営主体にとっては「割に合わない」仕組みにしておくことによって、結局、財規支出は増大しない仕掛けにしておくという「リスク・ヘッジ」です。
このようなからくりは、国民・利用者にとっては、分かりづらさだけの問題ではありません。現行制度に起因する谷間やサービス水準の低い問題について、支援を要する国民・利用者の側から制度改善を見通すことがほとんどできないような仕組みになっている点で、「利用者主体」からは全く逸脱しています。
これと同様の問題構造をもつものが、携帯電話等の通信料金の仕組みのように思えます。多様なプランが展開されているけれども、どれがお得なのか、どうしてこんなに複雑なのか、利用者はとても理解できない。ただひたすら、「今ここで、お得」であると判断したものに乗り換えていくか、置いてきぼりにされるかの世界です。
この仕組み全体を鳥瞰してみると、携帯電話の利用者が右往左往して振り回されている間に、携帯電話の会社の方は大儲けを続けていくという仕組みであることが分かります。
このようなからくりが、今のところ、「情報化社会」における「消費者主権」「利用者主体」の実態です。社会的に作られた仕組みの分かりづらさを土台にして、「○○マネジャ」やコンサルティング・保険商品の会社が雨後のタケノコのように出現して、これがまた新たな「相談ビジネス」を作り出す。
いつでもどこでも「もめ事」が発生しやすくなるので、司法ビジネスにもチャンス到来というところなのでしょうか。
障害のある人の住まいと暮らしに、慈しみ合いと安心のあふれる落ち着きを実現するために『地域共生ホーム』を著しました。しかし、今日の政策とビジネスは、消費者や利用者に安心と落ち着きをもたらさない仕組みを本質とすることによって、成立しているように思えて仕方ありません。
埼玉県日高市にある巾着田曼殊沙華公園の花が見ごろを迎えています。一面、500万本もの彼岸花で埋め尽くされています。
巾着田は、8世紀に渡来した高句麗の人たちが開墾し、わが国に稲作を伝えたとされるところです。わが国を形づくる重要な文化の多くが、朝鮮半島の人たちを通じて伝来していることが分かります。
近くには、高麗神社があります。『続日本書紀』に大和朝廷の創設した高麗郡の初代長官に高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)が任命されたとあり、この若光が祀られています。この神社を参拝した人の中から総理大臣が輩出されるなど、パワースポットとしても人気があるそうです。