宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
社会的引きこもりと虐待防止
浜松市の高齢者虐待防止研修に講師として参加しました。テーマは、「虐待防止のための養護者支援」です。
研修参加者からあらかじめ戴いたご質問には、「養護者に何らかの障害があるような場合、どう対応すれば良いのか」や「虐待防止のための養護者支援とはどこまですればいいのか」というものがありました。
「障害のある養護者」については、残念ながら、時代錯誤の理解が一部に残っているようです。心身の障害による禁治産・準禁治産宣告を定めていたかつての民法の感覚から、障害のある人には「養護者の資格がない」ため「支援対象にならない」と考える人がいると聞きます。
これは明白な誤りで、もし自治体職員がこのような判断をしたとすれば、障害者差別解消法に基づく差別事案として認定できます。自治体職員の決定は、組織の決定だからです。
このような初歩的な問題はさておき、研修参加者の質問の核心部分は、いささか接近困難な虐待ケースの問題です。
8050問題のような社会的引きこもりの構造があって、「50」の息子・娘に何らかの障害が疑われるようなケースについては、虐待対応に係るアプローチとその後の養護者支援に大きな困難が立ちはだかるという課題です。
18歳以上65歳未満の社会的引きこもりは115万人であることを政府は明らかにしています。すると、「8050」というのはほんの一部です。
8月26日の「子どもの自殺」のブログ に記したように、日本財団が明らかにした中学生の不登校が43万人に及ぶ事実を含めると、社会的引きこもりの若年段階は、「4010」(親40歳くらい、子10歳くらい)から存在することになります。
社会的引きこもりの発生要因は多様であるとしても、ライフサイクルの進行に応じて、4010から5020、6030、7040、8050、9060という広範囲なライフステージにまたがる生活困難の生じていることが分かります。
ここで高齢者虐待が発生するとすれば、個人と家族の長年に及ぶ「生き辛さ」や「すれ違い」が積もり積もって出来上がった所産としての性質は免れません。すると、親子に共生関係や共依存があることは多く、支援者は虐待関係当事者からの大きな抵抗や拒否に直面することになりがちです。被虐待者からも「家の問題なんだから放っておいてください」と言われることもしばしばです。
息子・娘の側に何らかの障害が疑われる場合、保健所や精神保健福祉センターを含む障害者支援システムとの連携が必要であることは当たり前だとしても、支援に行き着くまでの条件づくりはとても難しい。
「障害と向き合う」契機と日常を喪失してきた50代以上に、改めて「障害の告知」から「障害の受容」を培い、障害者手帳の取得まで行って障害福祉サービスによる支援を始めるような見通しは、にわかに立つわけがありません。
支援者の望む虐待防止支援までには行き着けなくとも、「最悪の事態は回避できる確実な状況をつくること」、「事態を完全に改善することはできないにせよ、一つ改善した状態を作る」ための視点と方法を、事例とグループワーク・セッションから皆さんとともに深めました。
そのためのキーポイントは、社会との接点を個人と家族が喪失して「引きこもり」になっている状態から、虐待対応を契機とした社会との接点の回復にあります。
従来から、多問題家族の接近困難なクライエントについての指摘はありました。しかし、接近困難性がどのような経緯によって生成・発展してきたのかについての解明にもとづいて、問題克服に向けた処方箋を明らかにする方針は乏しいように思います。
「社会的引きこもり」について論じた精神科医の斉藤環さんは、個人と家族が社会の接点を喪失した状態から「社会的引きこもり」を読み解き、その接点を回復していくための支援を構想しています(斉藤環著『社会的引きこもり-終わらない思春期』、PHP新書、1998年)。
斎藤さんの本が書かれた時点では、6030より若年層の問題を扱っているように思えますが、本の副題に「終わらない思春期」とある点に私は注目したいと考えます。「思春期」とは「社会への参入」に向かって進むライフステージに当たります。
わが国の現状は、「社会への参入」に係る多大な困難、場合によってはブラック職場における残酷なまでの困難が「社会的引きこもり」を産出し、「若者が大人になれない」(ジル・ジョーンズ他著『若者はなぜ大人になれないのか』、新評論、2002年)を社会の構造にしてしまいます。そして、わが国特有の民法第877条にもとづく「扶養義務」(=民法上の含み資産)の枠組みの中で「親子の社会引きこもり」に仕上げていくのでしょう。
家族という親密圏を丸ごと支援の対象に据えた法制度が、通常の福祉・介護支援には明確ではなく、「高齢者の虐待防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」の虐待防止法によってはじめて登場したという事実は、わが国のDV防止と虐待防止に係る多様な法制度が、今のところ、あらゆる年代に対する、長年にわたる人権軽視のツケを一手に尻拭いする位置づけにあることを示すものでしょう。
今回の浜松行きは、台風15号による新幹線の「計画運休」を避けるために、一日早く浜松入りをしました。せっかくだからと思って、舘山寺温泉に立ち寄り、舘山寺ロープウェーに乗ると、意外にも、結構な人数のお客さんです。台風接近による強風があって、いささかロープウェーが揺れるというのに。
地元の方の話よると「マツコ効果」さまさまで、NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の井伊直虎ブームの比ではないそうです。
昨年末に「マツコの知らない世界」で「日本で唯一の湖上ロープウェー」が、この8月には「有吉・マツコのかりそめ天国」で「浜名湖パルパル」(ロープウェーの起点にあります)のジェットコースターがそれぞれ取り上げられて、一挙に「全国区の観光地」としてブレークしているようです。
それにしても、台風による鉄道各社の「計画運休」は運休からの立ち直りが「無計画」ですね。日本では今のところ、鉄道の運休と福祉・介護に「計画」がつくと、ろくなことにならないのかも知れません。