宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
小説家田辺聖子さんを偲ぶ
小説家の田辺聖子さんが今月の6日にお亡くなりになりました。田辺さんの小説にはたくさんの思い出があり、「お世話になってきた」感謝が込み上げてきます。心からご冥福をお祈り申し上げます。
大阪出身の私が大阪を離れて暮らすようになって以来、田辺聖子さんの小説を求めて読むようになりました。田辺さんの小説には、懐かしい大阪、知らなかった大阪、大阪弁の柔らかさ、市井の人々の日常、恋愛や夫婦・親子関係に宿る親密圏の機微などが艶やかに描かれていると思います。
天下国家を論じ、職場組織の一大事に日々忙殺する向きには、「あんたらアホとちゃうか」「人生にはもっと楽しいことがいっぱいあるやろ、恋もあるし、美味しいもんもあるし…」と言い返す趣が常にありました。
芥川賞の受賞が決まりそうだというときに、田辺さんは金物屋に行って一番大きなやかんを買ってきます。若い頃の田辺さんは、金物屋で働きながら小説を書いていたという縁もあるのでしょうか、「芥川賞が決まって大勢の人が自分の家にやってきたら、ものすごい量のお茶を用意せなあかんな」と心配して、大きなやかんを買ってくるのです。
この辺りの行動様式は、田辺さんの小説の主人公のようです(笑)。
1980年代の作品の一つに「姥シリーズ」があります。船場商人の家に嫁いだ主人公の歌子さん。同業者が没落していく時代に、あかんたれの亭主を脇に置いて、番頭と商売を切り盛りしながら暖簾を守り抜き、会社組織に大きくして、ビルを建てるまでに成功します。
長男夫婦に西宮の大きな家と会社を任せ、引退した自分は神戸のマンションに一人住み移り、人生を謳歌しはじめます。このシリーズの始まりで、主人公歌子さんの年齢は70代半ばあたりに描かれていました。
そして、「老いては子に従わない」「若い人には合わせない」と。シリーズの中のどの作品だったかは覚えていないのですが、次のような内容のくだりがありました。
敬老の日に地域の高齢者を招いて会を催すというお知らせを市役所からもらって、その会に参加した歌子さん。市の用意した座興に、就学前の子どもたちが登場して歌やお遊戯を披露するのを見て腹を立てます。
年寄りなら、「孫のような子ども」が出てくるとみんな悦ぶと決めつけているのかと怒るのです。どうして、ジャニーズのようなイケメンを用意して、私をときめかしてくれないのか。
娘ざかりや女ざかりというが、煩わしい月のものが来なくなってからが、本当に輝くことのできる女ざかりの季節が来るのだ、と歌子さんは言います。今から30年以上前に、高齢女性の自立と幸福追求権の行使を余すところなく描いているように思います。今読んでも、実に新鮮ですね。
もっとも抱腹絶倒した作品は『私本・イソップ物語』(1988年、講談社)。「奸智にたけながら結局不如意な狐」を主人公にして描かれる動物村の物語です。田辺さんが大阪の天王寺動物園に通い詰めて、小説に登場させる動物ごとのキャラクターを構想したと言われています。
狐は貧しい生まれでありながら狡猾な知恵にたけ、それでいて「学歴コンプレックス」「家柄コンプレックス」を持っています。この狐には、自身よりも学歴が上の女狐の妻がおり、共働きです。
この妻は「高校時代、弁論部の部長」をしていたから弁は立つは、自説を曲げない。「なんで、あたしばっかり家事をしなきゃならないのよ」と言われ、「黙って米を磨ぎはじめた」ところからこの物語が始まります。
狐の仕事は、動物村の政権を握っている獅子の秘書。奸智にたける狐にふさわしい仕事です。この狐とは対照的に、商売は妻に任せたまま軽いアル中で、いつも酒を飲み歩いているバクが登場します。
狐は、バクの姿形や仕草の一切合切が気に食わず、生理的に嫌っています。が、バクの方は狐を尊敬していて、ことあるごとに狐にまとわりついてきます。
ある高級寿司店で狐が飲んでいた時に、バクがお店に入ってきて、自分が浮気をしていて「女房(ヨメハン)、ワタエ嫉(ヤ)きよりましてなあ。お珍々にやいと据える、いいまんねん。ファッ、ファッ、ファッ」と言い出すのです。
狐が憤懣やるかたない想いを募らせているところに、「風のように美しい」兎の娘が入ってくるのですが、狐には目もくれずに、狐が忌まわしくも嫌っているバクにしなだれかかります。バクは「こいつが、金やない、いいよりまんねん。そういわれるとまた、可愛おましてなあ。」と言い、美少女兎は「パパの、阿呆。パパ大好き」と返す。
狐は、美少女の兎のバクに言った「パパの、阿呆」という甘ったるい声によって、「狐のすべての既成概念を打ち砕いて」しまわれるのです。
アンナ・ハーレントは、ナチス・ドイツを生み出した歴史を省察する中で、人間と社会をダメにする根源として親密圏の問題をみていました。戦時中の大阪の空襲で実家やお父さんをなくされた田辺聖子さんは、親密圏のかけがえのなさの復権を描いていたように思います。
『私本・イソップ物語』を読んでからというもの、私はとにかくバクの大ファンです(笑)なお、この小説に登場するバクは、おそらくマレーバクでしょう。