宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
二つの事件から
この間、悲惨な事件が相次いで発生ました。5月29日に川崎殺傷事件が、6月1日には練馬で父親による息子殺害事件がありました
二つの事件の共通点に「ひきこもり」があることから、その事実を殺人事件に短絡的に結びつけてしまいかねない報道やインターネット上の言説には、批判的な点検が求められます。
その点で、一般社団法人ひきこもりUX会議は「川崎殺傷事件の報道について(声明文)」を発表し、引きこもり問題に関する予断と偏見をただし、事実を冷静に受けとめた報道と議論の必要性を明らかにしています。
この声明文の柱は、「『ひきこもり』への偏見の助長の懸念」、「『犯罪者予備軍』というイメージに苦しめられる」、「『8050問題』への誤解をひき起こす」の3つで構成され、時宜にかなうまことに適切な内容を指し示しています。
これらの事件にかかわる報道やインターネットのキーワードを拾ってみると、ざっと見ただけでも、次のようです。
ひきこもり、孤立、親子関係(のこじれ)、家庭内暴力、発達障害、ネトゲ廃人(インターネットゲームへの依存から抜け出せなくなって社会生活ができない状態になっている人)、何万個に1個の「不良品」、就職氷河期世代、8050問題…。
これらを鳥瞰すると、問題の核心は、決して「殺人事件」にあるのではなく、わが国の政府と社会が長年にわたって積み残し放置してきた問題の集積であることが分かります。積み残したままの政策課題の放置は、もはやわが国社会の「持続可能性」そのものを危機に陥らせているのではないでしょうか。
このような社会問題の深刻な構造から事実に迫ることなく、テレビを中心に「殺人事件」をコアにした報道を振り撒いていくのですから、歪曲した報道が「ひきこもり」問題への偏見・特別視の助長を生みだすのは、必然と言っていいでしょう。
一方では、深刻な人手不足の現実があり、他方には、40歳未満「ひきこもり」54.1万人(内閣府2016年9月)と40歳以上64歳未満「ひきこもり」61.3万人(同2019年3月)の計115.4万人もの「ひきこもり」状態の人がいて、「一億総活躍社会の実現」というのです。
わが国社会の現在は、さまざまな事柄の間尺が合わなくなり、きしみとひび割れが拡大し、内側から崩壊していくプロセスにあるかのように思えてきます。
就職氷河期の問題が発生した時代に有効な対策を打つことなく、今になって「支援プログラム」と言い出したところで、どうしても「後追い」の限界が透けて見えるのではないでしょうか。優秀な人材である「ポスドク」(博士課程修了の後に就職できずにいる人)に自殺が相次いでいることは、このブログでも指摘した通りです
「ひきこもり」と「虐待」に係る問題の特質として、「崩壊した親密圏」が「公共圏に拓くチャンネル」を断ち切ってしまう点の共通性が指摘できるように思います。問題の発生関連要因が複雑に錯綜している点にも共通性があります。
それにしても、未だに「ひきこもり」問題の全体と構造は明らかにされておらず、実効性のある問題克服への政策上の手立ては恐ろしいほど不十分です。
冒頭にご紹介した声明文を発表した一般社団法人ひきこもりUX会議は、「ひきこもり女子」だけで50万人を超え、その1/4は専業主婦だと指摘しています。これらのひきこもり者は、内閣府の調査の定義には入っていません。
ひきこもりUX会議の取り組みを報じたノンフィクションライター中原一歩さんの記事は、内閣府の定義が「学校や仕事に行かない状態」を引きこもりの定義としているため、「家事という仕事」をしている主婦や「家事手伝い」をしている未婚女性が除外されている問題を指摘しています。
この定義についての問題指摘は、とても重要です。わが国における「失業者」の定義の問題や、在宅障害女性のもつ支援ニーズを捕捉することへの政策的無頓着と通底しているからです。つまり、政策課題に積み残しと放置が生まれるのは、問題の全体構造性を決して正視しようとしない「実態調査」「統計調査」の不備にあると考えます。
さて、今年も庭のブラックベリーの花にミツバチたちがやって来ました。彼らは、何事も無いかのように、淡々と「共に生きて」いますね。