宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
平成からの心機一転
今日は新しい年号が発表されます。年号が替わったからと言って、時代が変わるとは思わないのですが、一つの区切りにはなるでしょう。
私にとっての平成は、社会福祉基礎構造改革が進められた時代です。20世紀後半、日本はOECD加盟国の中で福祉国家の後進国と指摘され続けていました。
21世紀に入ると、日本型福祉社会の考え方にもとづいて、「公助」に「共助」「自助」を混ぜ合わせて、社会福祉における公的支援を薄めていきました。
介護保険制度の導入は、社会福祉基礎構造改革における一つの柱です。介護保険の導入に積極的な女性論者の多くは、家庭内介護の役割を女性に強いてきた問題が介護保険によって抜本的に改善されていくと主張していました。
介護保険法の施行から、19年が経ちました。
先日のブログでも明らかにしたように、家庭内介護の必要から女性がさまざまな犠牲を強いられている状況は、基本的に何も変わっていません。子どもの養育役割をもっぱら母親に置く実態も、岩盤のように残っています。
介護保険制度を否定する考えは全くないのですが、介護保険制度を活かす方針を間違ってきたのではないかと思います。介護保険制度は、財源と実施体制の面で「共助」を取り入れています。それを「公助」を薄める手立てとしてきた点に問題があるのではないでしょうか。
社会福祉基礎構造改革以降の子育て支援策にも、数々の疑問が湧いてきます。かつて保育所や学童保育でご一緒した父母と私には、すでに子育てを終えた体験から、現代の子育てについて次のような言葉が出てくるのです。
「今、現役で子育てをしている父母の苦労は自分たちの世代よりもはるかに重い」
「保育所や学童保育に入れない心配をしないといけない」
「園庭のないような保育施設は、子どもの檻でしょう」
「保育の質が信用できない認可外施設があるのは、行政の怠慢」
「子どもを託している就学前施設が倒産するなんてね」
「学童保育の指導員さんの待遇は、一向に上がらないね」
そして、この一週間に報道された国民生活にかかわるタイトルを取り出してみても、わが国は殆ど「根太の腐った状態」になっているのではないかと心配してしまいます。
「公立福生病院透析問題-倫理委員会開かず計5人死亡か」
「医師残業月155時間まで認める-過労死ラインの倍」
「長期欠席児童2,656人 虐待の恐れ」
「DV摘発最多9,088件」
「高齢者虐待最多1.7万件」
「ストーカー被害2万件超える」
「中高年引きこもり61万人-若年層上回る推計」
「引きこもり100万人超-15~39歳を合わせて」
「外国人技能実習生171人死亡 759人失踪」
「東京福祉大留学生700人所在不明」
「特定技能-介護の日本語能力 心配の声」
「無期雇用申請の社員解雇」
「文書改ざん不起訴不当」
「内閣府の調査-統計法違反か」
「統一地方選 女性候補13%止まり」
「日本幸福度ランキング世界54位 OECD加盟35国中27位 G7最下位」
これをざっと眺めて、「もうすぐ日本の床が抜けるのではないか」と心配するのは果たして私だけなのでしょうか。
子育て、高齢者介護、男女共同参画の推進、真の働き方改革(残業廃止、有期の正規雇用化、同一労働同一賃金等)等の推進のために、「公助」を太い柱に据え直す課題があると思います。
かつてのように、「公助一本槍」にしなければならないと主張しているわけではありません。「公助」と「共助」が相乗効果を生むように、「公助」を厚くする必要がある。そこまでの公的支援を拡充しなかったことに起因して、今の深刻な問題の噴出があることを直視しなければならないと考えます。
虐待防止や男女共同参画の推進は、家族・子育て・仕事という生活と労働の基本的なあり方に直結している課題です。これらの問題が「根太が腐ったような状態」にまで悪化するのは、生活の基礎を支える社会保障と福祉サービスが貧しいからです。
民衆の生活困難に普段から手入れをする財政をケチって、生活の土台がダメになるまでに事態が悪化してしまった。すると、その修復にかかる政策費用は、普段から手当てをしていれば済んだはずの費用よりもはるかに莫大な財政出動になります。この点で、重大な政策判断の誤りはなかったのでしょうか。
公的支援は「共に生きる」ことと代替できる関係にはありません。公的支援は「共に生きる」ための条件であって、公的支援を薄めていく手立てにはならないのです。
すべての子育て世代が、家族生活と子育てが安心して営めるまでの公的支援策を拡充することによってはじめて、「子ども食堂」や「学習支援ボランティア」のような「共助」との相乗効果が生まれるのではないでしょうか。
「共生社会」「我が事丸ごと」などというフレーズを、現在の政策上のキーワードにすることには、リアリティをまったく感じません。もう一度、公的支援を太い柱に据えなおすことによって、「共に生きる」ことと「幸福追求権の行使としての自立」との関係を作り替えていくべき時だと思います。
さて、仕事で神戸に行った帰り、極上のビーフカツレツサンドを戴きました。ふわふわ、旨っ!