宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
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- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
隔たりが大きい
旧優生保護法(1948~96)によって、強制不妊手術を被った障害のある人を救済する法律が、この4月に成立する見込みとなりました。しかし、疑問が残ります。
まず、責任の所在についてです。
ハンセン病訴訟への国の対応では、行政府、立法府、裁判所の三権それぞれが人権侵害に対する責任を認め、謝罪する声明文を発表しています。それに対して、今回の救済法では、責任の所在がどこにあるのかは明文化されず、違憲性についての判断も曖昧なままになっています。
旧優生保護法は、1948年に第2回国会において全会一致の議員立法によって成立しています。時代の制約はあったと思いますが、法制度によって障害のある人たちの人権を侵害した歴史的な事実に対する国会の責任は明白です。
成立した翌年の49年、強制不妊手術の申請は医師の任意から義務へと「改正」されました。この時点で、厚生省公衆衛生局長は法務府法制意見第一局長に対して、日本国憲法の基本的人権の保障を論点として、照会文を発しています。
内容は、次の通りです(岡村美保子「旧優生保護法の歴史と問題-強制不妊手術問題を中心として」、国立国会図書館調査及び立法考査局編集レファレンス、2019年1月より)。
◇厚生省公衆衛生局長からの照会文(「優生保護法に関する疑義について」昭和24年9 月20日衛発第968号)内閣法制局第一部『法務総裁意見年報2巻 昭和24年pp.331-332)
- (1)強制優生手術を受ける者が手術を拒否した場合であっても基本的人権の尊重という点より見て本人の意思に反してあくまで手術を強行することができるか否か
- (2)具体的な強制の方法としてどの程度までの強制が許容され得るか
◇法務府法制意見第一局長の回答(「強制優生手術実施の手段について」(昭和24年10月11日法務府法意一発第62 号)同上、 pp.325-330)
- (1)強制優生手術は手術を受ける本人の同意を要件としていないことから見れば、当然に本人の意思に反しても手術を行うことができるものと解しなければならず、本人が拒否した場合にも手術を強行することができるものと解しなければならない
- (2)その場合に許される強制の方法は、手術の実施に際し必要な最小限度であるべきはいうまでもないことであるから、なるべく有形力の行使は慎むべきとしつつ、具体的場合に応じ、真に必要やむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔(きぼう-あざむくこと。だますこと。宗澤注)等の手段を用いることも許される場合があるとする。
その上で、こうした解釈が基本的人権の制限を伴うものであることはいうまでもないが、そもそも優生保護法自体に「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という公益上の目的が掲げられている上に、医師により「公益上必要である」と認められることを前提とするものであるから、決して憲法の精神に背くものであるということはできず、手続は慎重であり人権の保障について法は十分な配慮をしており、優生手術は格別危険を伴うものでないので、なんら憲法の保障を裏切るものということはできない。
以上の厚生省(現厚労省)と法務府(現内閣法制局)のやり取りから、強制不妊手術には本人の同意は不要であり、「身体拘束」「麻酔」「だまし打ちする」等の手続きを含めて不妊手術の強制は合憲であると内閣が確認していたことは明らかです。つまり、旧優生保護法による強制不妊手術を遂行した責任が行政府にあることは、明白なのではないでしょうか。
次に、被害認定の機関についてです。
被害認定の機関については、被害弁護団の主張は「行政から独立した第三者機関」とするのに対し、強制不妊救済法は厚労省が設置する「第三者機関」である「認定審査会」としています。この点もよく理解できません。
強制不妊手術を遂行してきた厚労省が「第三者機関」を設置するというのは、私の頭が悪いのかもしれませんが、まったく意味不明です。被害者の立場から考えてみると、「加害者」の設置した「第三者機関」に信頼を置けるわけがないでしょう。厚労省の設置する機関を「第三者機関」と言えるのかどうかが、そもそも疑わしい。
最後に、補償金(一時金)算定の根拠についてです。
ハンセン病訴訟に対する補償金は、療養所への入所時期によって、800万円から1400万円の4段階になっているのに対し、今回は「第一歩」の一時金として一人当たり320万円としています。被害弁護団の提示する補償金額は、3000万円/人です。新たな立法によってこの金額を決めるのですから、「第二歩」はないと考えるのが普通でしょう。
強制不妊救済法の補償金額は、スウェーデンで実施された補償金額を基準に決めたと言い、報道に登場する「有識者」のコメントも、ドイツやスウェーデンの補償金額と比べて「遜色はない」と言います。ここで私は、絶句してしまいます。
まず、優生思想にもとづく断種法が障害のある人に対して強制不妊手術をしてきたことが明るみに出たのは、ドイツが1980年代初頭、スウェーデンは1990年代の後半です。両政府は、事実が明らかになった時点で、直ちに、救済のための国家的措置を実行しました。
これに対し、わが国政府は、1998年に国連人権委員会から強制不妊手術の被害者への補償を実施するよう勧告を受け、2016年にも国連女子差別撤廃委員会から法的救済を重ねて勧告されていたにもかかわらず、何もしてこなかったのです。このネグレクトに対する責任は、ドイツやスウェーデンとは比較にならないほど大きいはずです。
もう一つ、ドイツやスウェーデンを基準に補償を決めたというならば、障害のある人に対する社会保障・社会福祉のすべてについて、ドイツやスウェーデンの施策基準に合わせてわが国でも実行するべきです。どうして、今回の件だけ、ピンポイントで、ドイツやスウェーデンを基準にするのでしょうか?
障害のある人に係る社会保障・社会福祉の施策の内容と水準の総体からみた人権保障の状況は、ドイツやスウェーデンよりわが国は貧しいと言わざるを得ません。そのわが国の現実を考慮せず、強制不妊手術の「補償金額」の相場だけ取り出して「遜色がない」などという「有識者」とはいったい何者なのでしょう?
川越は、蔵造の街並みで観光を売り込んでいるようですが、神社仏閣にもさまざまな見どころがあります。画像は、広済寺にある二つの地蔵尊で、あごなし地蔵は「歯痛、歯痛治療」に、しわぶきさまは縄で縛って「喘息、咳が治ること」に百日願をかけると、それぞれにご利益があると言われています。