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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

3世代を通した欲と願い

 垣谷美雨(かきや みう)著『子育てはもう卒業します』(祥伝社、2013年)という小説を読みました。大きな書店でたまたま見つけたのですが、読み終わるまでずっと興味の尽きない本でした。1970年代後半から今日までの、専業主婦を余儀なくされた3人の母親の立場から、日本における子育てと親密圏の変容をとても面白く表していると思います。

 3人の女性の子育てストーリーには、親が子育てに見通しを持つことはとても困難であるという現実と、少なくとも3世代の生活史に分け入らない限り生活上の困難やニーズは理解できない背景が見事に書き表されている点で、福祉的支援者の方にはぜひとも一読をおすすめしたい書です。

 「日本全体を見渡せば大学進学率は26パーセントしかない」時代で、しかも「男子が40パーセント、女子は4年制が12パーセント、短大が21パーセント」と男女の格差が大きく、就職でも女子は短大の方が良くて4年制の女子大生には求人票に「自宅通勤者に限る」とあって、仮に就職を果たしたとしても男性社員のアシスタントとして秘書・受付などを担当しながらお茶くみにコピーの毎日が続くという明白な女性差別が職場にあった時代からお話が始まっています。

 淳子、明美、紫(しおり)の3人は、「就職の修英大学」と評価された東京の4年制中堅私立大学の文学部に入学します。男女雇用機会均等法や男女共同参画などという男女平等の実態はほとんど全くない時代ですから、女性が4年制大学に進学する場合の選択肢は、教員養成系教育学部か文学部となることが支配的でした。

 淳子は北海道の牧場主の長女で、父親はチーズケーキの生産も軌道に乗せた実業家の一面を持っています。明美は高知の一つ奥に入った地域で税理士の父親と金物屋を切り盛りする母親の下で育ちました。紫は、貴族院議員だった祖父をもつ博多の旧家出身です。

 3人に共通するのは、4年制大学に上京してまで入学できる出身家庭の裕福さと、旧家や地方の封建的秩序につきまとう窮屈さや息苦しさから逃れて東京という都会の自由や刺激を求めていたことでした。

 しかし、地方出身の4大女子の彼女たちは、就職における著しい差別に直面します。淳子は法律事務所に勤め、お茶くみとコピー取りの仕事でした。明美は中堅のアパレル会社、紫は新宿駅前の電気店の店員で、それぞれ会社は異なるものの男性社員とは明白に異なる従属的な扱われ方に遭遇するのです。

 淳子は、東京の裕福な家庭出身の大学時代からの彼氏と結婚し、専業主婦になります。淳子自身が、地方出身で大学受験で一浪した上に就職活動でも苦労したことから、子どもたちを名門私立大学の付属中学に入れたいと切望するようになります。姑や義姉たちの子育てへの介入には辟易してきたのですが、教育費を捻出するためにはやむを得ないと腹をくくり、夫の実家の広い敷地の離れを改造して住むことを決意し、住居費を節約までするのです。

 明美は、就職した会社の男性社員と結ばれ、退社します。高校の同窓会に出席した折、女子の大学進学者の中で、小学校や幼稚園の教師、看護師をしている人たちだけが、仕事を続けていることを思い知ることになります。そこで、文学部に入って就職にも苦労したことを踏まえて、娘には看護師か薬剤師の道に進ませようとするのです。

 紫は、郷里の祖父や父が「一歩下がって男ば立てるのが女子衆の本分ばい」と言う実家に息が詰まる思いを募らせます。つまらない仕事の続く会社が退けてからフランス語の語学学校に通いだしたところ、そこで知り合ったフランス人の男性講師と結ばれることとなります。

 彼と一緒にいると、「日本人男性というものをすべて嫌いになりそう」というほど魅かれて結婚したにもかかわらず、彼はあまり働こうとせず、これからの暮らしに不安を募らせることになるのです。そこで、混血の娘の可愛らしさに目をとめた赤ちゃんモデルのスカウトに勧められて娘を芸能界に入れたところ、思春期には女優として出世し、娘の収入で豪邸まで建つことにはなるのですが、紫は女優なんていつまで続くが分からない仕事だと考え、何か固い資格を取得させるべく大学への進学を娘に勧めるのです。

 彼女たちの子育ては、すべて思い通りの結末にはなりません。専業主婦を続けてきたのですから、子どものことを延々と心配し続けることもできるのですが、彼女たちは「子育てはもう卒業します」と考えを運ぶのです。この辺りは、本書を読んで味わってください。

 さて、女子の高学歴化の進展と雇用機会の男女平等化とは、80年代から今日までの間に不均等な発展を辿ってきました。自分たちの生い立ちからは、古い封建的秩序から解放されたいとの願いを抱いています。それでいて、彼女たちが4大女子だった時代には、学歴や専門性にふさわしい就職に女性はありつけない制約があったために、経済的には夫や夫の実家(紫は娘の稼ぎ)に人格的・経済的に従属する一面を余儀なくされました。この小説の中では、妻としての彼女たちが夫に愛情を保持しているとはとても思えないストーリーの展開になっています。これまでの人生の運びに由来するやむを得ない枠組みとしての家族が描かれているように思えます。

 そして、専業主婦としての彼女たちは、自分たちが果たせなかった近代的な自立を子どもたちに託して、私立中への受験や資格を取らせようと子どもたちに迫ります。自分たちがなめた辛酸を子どもたちには味あわせたくないという点で親の「願い」は正当化されています。しかし、自分たちが大学を受験した当時、封建的秩序から解放されたいと思って自分の親との価値観のギャップに悩まされたのと同様に、親になった自分と子どもとの間にも何らかのギャップがありうることが想定されないところで、子どもに対する過剰な教育熱や願いの押しつけが親の欲として肥大化する構造がくっきりと浮かび上がります。

 祖父母-両親-子どもたちの3世代を通じて、戦後の経済発展の中で繰り広げられた地域間と男女間における不均等な生活世界の展開が描写されています。親の子への願いは、時代の制約と矛盾を反映することによって、子育てへの見通しを歪ませてしまうのです。

 このように3世代の生活史を通してはじめて親や子どもたちのリアルな姿を描いたこの小説の技法は、支援の事例検討において本来は3世代の生活史を分析する必要があることと符牒が合います。事例報告の家族図で3世代分が書かれていないものは、決してジェノグラムとは呼べないのです。

 実は、拙編著『障害者虐待-その理解と防止のために』(中央法規出版)の中の事例に出てくる家族図をジェノグラムと表記していないのは、このような理由からです。ただ、わが国の都市部の事例検討で3世代分の資料を明らかにすることは、まず不可能であるというのが現実です。さいたま市のケースのほとんどは、他県からの流入者だからです。

 しかし、事例検討において生活上の困難・矛盾・ニーズの真実に迫るためには、なるほど3世代の生活史が必要不可欠であることを改めて思い知らせてくれる書として、私はこの小説をとても面白い作品と考えました。