宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
三田市に不作為責任はないのか?
三田市で発生した障害のある人の監禁事件について、9月20日、第三者委員会は市に検証報告書を提出しました。これに関するさまざまな報道内容を含めて、私にはどうしても釈然としない気持ちが残ります。
その理由は、第三者委員会報告書や報道の言説の中で、三田市の不作為責任を指摘したものがないからです。障害者虐待に係わるサン・グループ事件の確定判決では次のようになっています(引用はいずれもサン・グループ裁判出版委員会編『いのちの手紙-障害者虐待はどう裁かれたか』、2004年、大月書店)。
まず、福祉事務所の法的義務について(同書186‐188頁)
「福祉事務所には、社会福祉法及び知的障害者福祉法上、管内の知的障害のある人について実情を把握し、相談・調査・指導などを行うことが義務づけられている」という一般的な規定を確認した上で、福祉事務所が「『特定の障害者と一定程度以上の関わり』がある場合については、危険を認識できうる状態であれば、調査、指導を怠ったことが違法となる可能性があるという判断が示された」。
三田市の事案では、父親が1993年に市の職員に相談した当時、檻を職員に見せたと公判で陳述しています。つまり、「特定の障害者と一定程度以上の関わり」があって、「危険を認識できる状態」でありながら、調査と支援を怠った違法性があるとするのが妥当ではないのでしょうか。
次に、県障害福祉課・関係機関との連携義務について(同書188‐189頁)。
「県障害福祉課として、各福祉事務所との連携を密にして情報交換を行い、福祉事務所だけでは対応できない問題には各福祉事務所と協議して対応し、国などの関係機関とも協議すべき場合があるとした。県障害福祉課がこのような連携作業を通じて問題を認識できた場合に、その対応が不十分で、対応をしないことが合理的判断を越えているときには、その不作為が違法となる可能性があると判断した」。
この虐待事案の発生当時は、知的障害者福祉に関する権限が都道府県にあったために県の障害福祉課となっていますが、現在は市町村に権限があるため、「市町村の障害福祉課・関係機関」と読み替える必要があります。
三田市の場合は、サン・グループ事件の判決の言う福祉事務所や障害福祉課は市役所の中にありますから、地域に点在する県のシステムの場合よりもはるかに、情報交換と連携を速やかに行えたはずです。
三田市の事案は、精神科医が20年間も対面での診察を一度もしないまま精神安定剤を処方し続けていた問題や、精神障害が疑われながら三田市保健所との連携がなぜされていないのかの問題がまったく明らかにもなっていないなど、今後の虐待防止の教訓にされているとはとても言い難い。
最後に、保護者の責任についてです(同書202‐203頁)。
サン・グループ事件の裁判では、国の機関である労働基準監督署と職業安定所の責任が問われ、判決ではこれらの機関の責任を認め断罪されたのです。裁判の中で、国は「過失相殺の主張」を展開していました。
国の主張は、「保護者らは同意の下でサン・グループに入社させたのだし、1993年ごろには和田(肩パッド製造会社サン・グループの社長で虐待者)の虐待の事実に気がついていたのに、そのままにしてきたのだから、その過失をもとに損害は減額されるべきだ」と。
国の主張に対し、判決は、「原告らは障害があるとはいえ、成人した大人」であり、「その親や兄弟姉妹の対応をもって過失を相殺することはおかしい」と明確な判断を示しました。つまり、保護者に責任はないとの判決です。
朝日新聞は10月14日朝刊の「子の監禁 家族を孤立させない」と題した社説の冒頭で、「子の人権を踏みにじる行為であり、親が刑事責任を問われるのは当然だ」と主張し、自治体行政の不作為責任を明確にしないまま、「事件から教訓を導き、それを広く生かさねばならない」と通り一遍の言説に終始します。
未成年の子に対する親権者でもない保護者は、民法上の扶養義務者でしかありません。養護者としての責任のあり方を、親権者と民法上の扶養義務者を同一に捉える考え方は間違っています。障害のある子どもが成年に達してもなお、子ども時代と同様の親としての責任と負担が社会的に強要されてきたことの問題を直視する必要があります。
他の報道によるとこの親御さんには、障害のあるお子さんがもう一人いるとあり、親権のあった段階でも、大変なご苦労があったことと思います。だからといって、この父親が「監禁し続けた」事実に法的責任がまったくないと主張する気はありません。
しかし、父親は三田市に複数回相談しているにも拘らず、三田市による事態の放置があり、精神科医は薬を出すだけだったのです。この父親は、社会的な支援を得られないままパワレスな状況に追い込まれて、自分がなしうる不味い対応をやむを得ずしただけではないのか。
どうして「親が刑事責任を問われるのは当然」なのか? このような無責任な言説がまかり通っていいのか? サン・グループ事件の当時にはまだ制定されていなかった障害者虐待防止法がある現在、まず問われるべき問題点は三田市の不作為責任ではないのでしょうか?
さて、ようやく秋らしさがやって来ましたね。9月の下旬辺りから、そこかしこでモズの高鳴きが聞こえます。平地にはコスモスが満開です。