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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

二つの番組を観て

 先週の土曜日、NHKは障害のある人の尊厳と人権にかかわる二つの番組を放映しました。一つは、NHKスペシャル「“ともに、生きる”~障害者殺傷事件2年の記録」であり、もう一つは、ETV特集「私は産みたかった~旧優生保護法の下で~」です。

 前者は、津久井やまゆり園の事件から2年間の被害者とその家族の営みをドキュメントし、後者は、1948年施行の優生保護法の下で、何も知らされないまま「優生手術」されてしまった女性の無念と抗議を軸にドキュメントしていました。

 「優生手術」の被害にあった女性は、中学生のころから「自分の子を産み育てたい」と将来の夢を抱いていたと語っていましたから、その無念さはさぞや、です。

 当時の中学校の担任教師からきた手紙は、この女性をさらに傷つける文面があり、次のようにありました。

 「周囲の人たちは、あなたの幸せを望んでいたはずです。それが結果として、あなたに大きな不幸をもたらしたことは、本当に残念でなりません。善意が裏目に出たことに自責の念に駆られています」と。

 これに対して、「善意でも何でもないと思っています。この人たちの勝手な考えであって、何を悪いことをしたんだ」と返したこの女性の肉声には、信実な正当性と説得力がありました。

 中学時代の担任教師の手紙は、当時の「善意」を前に出して「残念」とか「自責の念」などと言いながら、誠実に謝罪さえしていないのです。ましてや児童生徒の人権を擁護すべき教師という立場にあった人間として、社会的責任の所在を明らかにしようとする姿勢をいささかたりとも持たないパターナリズムの無責任さを露骨に表しています。

 実は、この担任教師の手紙に象徴される社会的責任の所在を明確にしない傾向的態度にこそ、障害のある人の人権擁護を発展させない病巣があると思うのです。差別や人生を左右するほどの人権侵害を行った人・仕組み・社会制度の、どこにも責任が結局は問われないまま通り過ぎる。このような構造の下で、明白な利得を得ている人・組織があるというのに、それは絶対に前に出して裁かれることはない。

 津久井やまゆり園の事件については、神奈川県の報告書は施設の防犯体制の問題として、厚労省の報告は措置入院制度の問題としてそれぞれ文書を綴っただけで、この事件の真実にアプローチする努力を意図的に回避した傾きさえあると感じてきました。

 その上、津久井やまゆり園の事件からほどなくしてリオデジャネイロ・オリンピックがはじまり、あっという間に、この事件の報道があらゆるメディアから消えていく成り行きを見せました。それで、しばらくたってみると、犯人の「優生思想」のみに焦点を当てた言説が溢れるようになりました。

 出生前診断によってダウン症であることが分かると、その多くが中絶しているという事実を前にすると、現代の私たちにも「優生思想」が巣食う深刻な問題があるのかも知れません。また、健康であることへの強迫観念を「介護予防」や「生活習慣病予防」からつくり上げようとしてきた政策のバックラッシュとして、障害に関する社会的・制度的なネガティヴ・イメージは間違いなく強化されたと考えます。

 さらに、「障害の受容」という課題の捉え方は、障害に係るネガティヴ・イメージを起点に据えた考え方として重大な問題をはらんでいると考えるようになりました。

 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)は2010年の総会において、ナチス時代、ドイツ精神医学の名の下で強制移住、強制断種、強制研究を推し進め、多くの患者を死に至らしめたことにかかわる謝罪声明を出しました(70年の沈黙を破って-ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年総会における謝罪声明(付)追悼式典におけるDGPPNフランク・シュナイダー会長の談話「ナチ時代の精神医学-回想と責任」(邦訳)、『精神神経学雑誌』113(8)、2011(日本精神医学会編)、782-796頁)。

 次は、ほんのささやかな抜粋です。

「皆さん
 われわれ精神科医は、ナチ時代に侮蔑し、自分たちに信頼を寄せてきた患者の信頼を裏切り、だまし、家族を誘導し、患者を強制断種し、死に至らせ、自らも殺しました。患者を用いて不当な研究を行いました。患者を傷つけ、それどころか死亡させるような研究でした。」

 「『精神的死』、『お荷物的存在』、『生きるに値しない人生』-これらすべての言葉は、口にするだけでもつらい言葉です。これらは深く衝撃を与え、動揺させる言葉です。そして、精神科医が言論統制、強制断種、殺人に積極的に関与していたことを知ると、われわれは恥と怒りと大きな哀しみで一杯になります。」

 「苦悩と不正、まして死は、取り返しがつきません。しかしわれわれは学ぶことができます。そして多くを学びました。精神医学、そして医学全体、政治、社会を、そしてわれわれは皆で、人道的な人間的な、個々の人間を指向した精神医学を打ち出し、作業し、犠牲者を常に念頭におきつつ、心的患者の烙印や排除に対して戦うことができます。」

 この謝罪声明の全文には、ぜひ目を通していただきたいと思います。

 わが国における優生思想政策の責任は、ドイツと異なり、精神医学会の責任に帰するものではありません。障害のある人の取り返しのつかない人権侵害を二度と繰り返さないために必要な、問題の解明、反省、これからの対策を徹底して明らかにしようとするドイツ精神医学精神療法神経学会に、われわれは多くのことを学ぶべきです。

 1948年施行の優生保護法の下で強制断種された人たちが、今ようやく声を上げ、全国各地で国・地方自治体を相手に裁判を起こす運びとなりました。障害者権利条約の締約国であるわが国が、この裁判にどのように臨むのか。問題の所在を明らかにし、このようなことが二度と起こらないように手立てを講じようとするのかが問われています。

宮城蔵王のお釜

 さて、旧優生保護法に係る被害者が多数報告されている地域に宮城県があります。問題の関係者の話を伺う機会があり、宮城まで足を運びました。

 その他、北海道も多く報告されていますが、決して宮城県や北海道だけの問題ではありません。すでに公文書を廃棄しているために、過去の事実に迫ることのできない自治体はかなりの数にのぼるでしょう。

 この問題には、教育・福祉・保健・医療の専門家や業界団体・自治体の諸組織が多数関与していたはずです。これらの歴史的問題の構造を明らかにする責任が政府と社会、そして私たちにあります。