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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

君たちはどう生きるか

 吉野源三郎さんの名著『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス社)が新たな漫画版と共に復刻されて話題になっています。私も中学生の時に読んで以来、久しぶりに読み返しました。

 この本は、中学生の時にワクワクしながら読み進んだ記憶が鮮明に残っています。復刻版の巻頭で、池上彰さんが紹介されている通り、この本はもともと1937(昭和12)年7月に発行されています。まさにこの年のこの月に盧溝橋事件が起き、日中が全面戦争に突入していきます。

 著者の吉野源三郎さんは、ドイツとイタリアを席巻するファシズムや当時の日本を支配した軍国主義・国粋主義に加担するのではなく、ヒューマニズムを貫いて自分の頭で考えることのできる子どもたちを育む志を持って、この書を著したと言われています。

 この時代にあって、何をどのように表して、子どもたちへのメッセージとするのか。吉野さんは、時代と格闘し、練りにねって物語をつづられたのではないでしょうか。

 そして、この書のタイトルであり、本の最後に読者に対して投げかけられる「君たちはどう生きるか」という言葉に、さまざまな〈支配-従属〉から解放されたところで自分の生き方を考え抜く個人とヒューマニズムの課題をメッセージとして託したように思います。

 学生時代に演劇を通じて社会と人間の課題と向き合い続けた、ブレヒトの演劇論にふれる機会がありました。ブレヒト著『今日の世界は演劇によって再現できるか』(白水社、1962年)の「民衆性とリアリズム」の中で「真実を書く際の5つの困難」が次のように論じられています。

「現在、虚偽や無知とたたかって、真実を書こうとする者は、少なくとも五つの困難にうちかたねばならない。真実が至る所で押さえつけられているにもかかわらずこれを書く勇気、、を、真実がいたるところでおおいかくされているにもかかわらずこれを認識する賢明さ、、、を、真実を武器として役立つようにする技術、、を、その手に渡ったとき真実がほんとうに力を発揮するような人々を選び出す判断力、、、を、そういう人々の間に真実を広める策略、、をもたなければならない。」(ブレヒト前掲書10頁、傍点は原文のまま)

 吉野さんもきっと、ブレヒトが指摘する5つの困難と格闘して、この書を著したのではないかと思うのです。

 改めて読み返してみると、やっぱりワクワクします。まず、中学生のときにワクワクしたところと全く同じところでワクワクしました。それは、「ニュートンの林檎と粉ミルク」のところです(吉野前掲書66-106頁)。

 ニュートンが万有引力の法則を発見するとき、林檎の実が木から落ちることから考えたというエピソードは有名です。中学生の私にはこの話にリアリティがあるとはまったく考えず、作り話だろうと勝手に決めつけていました。しかし、この本を読むとまさに目からウロコです。

 林檎は重力に従って、木から落ちてくる。何百メートルという高さまで持っていってもやっぱり落ちてくる。「だが、その高さを、もっともっとも増していって、何千メートル、何万メートルという高さを越し、とうとう月の高さまでいったと考える。それでも林檎は落ちてくるのだろうか。」でも、「月は落ちてこないじゃないか。」(吉野前掲書86頁)

 そうして、「地球が月を引っぱっている力と、月がグルグルまわる勢いでどこかに飛んでいってしまおうとする力と、二つの力がちょうど釣り合っている」ところに、重力の法則から天体間の引力の法則を発見したと、叔父さんは主人公のコペル君に解説するのです。今読んでも「なるほど」と感心してしまいます。

 それだけではありません。この「ニュートンと林檎」の話から、今度はコペル君が「人間分子の関係、網目の法則」というものを発見します。ニュートンが林檎の高さを月まで上げていったように、自宅にある赤ちゃんのときに呑んでいた粉ミルクの空き缶から、これがどこから家にやってきたのかをどんどんさかのぼって考えていくのです。

 粉ミルクが日本に来るまでに、オーストラリアで「牛、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人、工場で粉ミルクにする人、かんにつめる人。かんを荷造りする人、それをトラックかなんかで鉄道に運ぶ人、汽車に積みこむ人、汽車を動かす人、汽船に積みこむ人…」、そして汽船が日本の港に着いてからも、多くの人の手を介してわが家にたどり着くことに思いを馳せるのです。

 そして、まわりの物を見渡してみると、どれもこれも同じようにつながり合った人間の手を経た物ばかりだと気づくのです。そして、「人間の結びつき」が網目のようにあることを発見します。

 この本は、現代の社会問題でもあり続ける貧困、いじめ、いじめに対する傍観者的態度と勇気の問題、そして真実を明らかにするための学問のあり方など、多様なテーマから「君たちはどう生きるか」を問いかける名著です。とりわけ、今読み返して感銘を受けるのは、「共に生きるとは何か」を鋭く問いかけるテーマが、戦前の時代に据えられている点です。

 一方では、自分たちの周りにある貧困やいじめの問題を通じて日常生活世界における「共に生きる結びつき」の課題と向き合い、他方では、生活必需品が世界中の人たちの「結びつき」によって支えられ、インドではじまった仏教の最初の仏像がギリシャ人によってつくられたように人類の文化もまた世界中の人たちの「結びつき」に支えられていることを提示しています。

 このような人間の豊かな「結びつき」の中で、盧溝橋事件から日中戦争、そして太平洋戦争へと戦争を拡大していくのか、平和な人間同士の「結びつき」を護り抜くのかを、1937年に吉野さんは問いかけようとしたのではないでしょうか。

八分咲きの桜

 さて、桜の季節が来ました。川越はまだ満開ではなく八分咲きといったところです。この冬の寒さが厳しかった分、春の空気と桜の花にいとおしさを感じさせてくれます。

大勢の人が訪れる桜並木

 やはり、中国の方やベトナムの方たちも大勢お見えになっているようです。公共の場でお酒を飲むことを禁じている国も多く、日本人が桜の下で楽しそうに酒宴を開いているさまを見ると、驚く外国人もいることでしょう。

入桃の花芽

 山梨に行けば、桃の花もきっと満開でしょうね。画像はわが家の桃の花芽ですけれど(笑)

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