宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
観光開発への疑問
東京墨田区にある東京スカイツリーは、かつてさいたま新都心と誘致を争った経緯があります。個人的な感想ですが、さいたま市に来なくて本当に良かったと思っています。
東京スカイツリー人気で観光客が大勢訪れて、ソラマチなどのスカイツリータウンは賑わっても、地元商店は閑古鳥(観光鳥?)が鳴いています(https://next.rikunabi.com/journal/entry/20150521_1)。隅田川を挟んで台東区側に位置する浅草も、新しい急激な観光開発によって、浅草本来の「下町らしさ」をどんどん喪失しつつあると言われています。
東京スカイツリーの周辺地域の固定資産税は、おそらく大幅にアップしているでしょうから、スカイツリー人気を当て込んだもののさっぱりだった商店やこの地域にかつてから普通に暮らしてきた人にとっては、とんだ災難かもしれません。
東京スカイツリーが開業する前年度に、墨田区の観光振興プランに目を通しました。率直に言って、目が点になりました。不確かな記憶による数値ですが、訪れる年間観光客数を8千万人と想定し、地元に夢のような経済的潤いをもたらすかのようなイメージを中心に作り込まれていました。
開業直前の当時、NHKや民放各局は、地元商店街の飲食店によるスカイツリーの形状に見立てたメニューの新作を盛んに取り上げては、いかにも墨田区の地元商店街全体が活況を呈するような報道を無責任にも垂れ流していました。
ここで、地元商店街を「応援するための報道だった」という言い訳は通用しません。スカイツリーを訪れた観光客が墨田区内にとどまる想定はどう考えても成り立たないからです。東武線の一駅で浅草ですし、都心に出るのにさほど時間は要しません。つまり、墨田区内で観光客が食事をする見込みさえほとんどないと言っていいのです。
地方からスカイツリーに訪れたついでに墨田区内に留まる観光客が、相当限られてしまうのはやむを得ないことです。東京は見どころ満載で、交通の便もすこぶるいい。しかも、観光客が地元に落としていくのは、お金よりもゴミだという現実まであって、今や「シャッター通りが復活する」と指摘されています。
このような簡単で当たり前の「想定」を捻じ曲げてでも、地域の観光開発をしようとする自治体行政が最近あまりにも目立つようになってはいないでしょうか。このような観光開発に潜む「作意」にはたしてどれほどの意味があるのでしょう。むしろ、一部の業者・団体に関連する利権構造が独り歩きするようにさえなっていませんか。
この背後には、人口減少に伴う市町村消滅の危機を前にして、地域の生き残り戦略をかけた「自治体間競争」があります。自治体のコーポレート・アイデンティティのような「ユルキャラ」ブームと軌を一にして生まれた動きです。
この自治体間競争は、「ブランド米の産地間競争」ととても良く似ています。美味しいお米を作る産地間競争の結果、これといったアドバンテージを持つブランド米は、結局なくなっています。
29年産米の食味評価で、魚沼産コシヒカリが28年間守り続けてきた特AをAに落としたことが話題になりました。この魚沼産コシヒカリと宮城県ササニシキが登場して以来、全国で新種の美味しいお米の開発が進みました。北海道の「ゆめぴりか」「ななつぼし」の特Aをはじめとして、青森の「青天の霹靂」…、ずっと南に下っていって、途中の埼玉県は「彩のきずな」…、そして鹿児島の「あきほなみ」に至るまで、今や全国ほとんどの都道府県に特Aのお米が溢れています。
このような事態に至るプロセスでは、新しい美味な品種が出たばかりのときに一時的な高値をつけますが、全国各地に美味しいお米が溢れるように出回っていて、高値のままのお米を消費者は買い続けないことから、特定の産地が十分報われる結果にはならないのです。
行政施策を柱とする「作意」に満ちた多くの観光開発の実態は、ブランド米よりもさらに空疎だと思います。地域にある歴史的文化的な価値よりも、観光による経済効果を当て込んだ消費文化的価値を売りにすることに主眼が置かれているからです。
『観光化する社会』(ナカニシヤ出版、2008年)の著者として有名な北九州市立大学名誉教授の須藤廣さんは、「門司港レトロ」の観光開発について、次のように指摘します。
「行政が『上から』力を入れて開発を始めた経緯があり、住民の力で『観光地』を創り上げてきたわけではない。そうであるだけに、観光地化に対する『歓迎』と『不信感』とが交錯していることが調査結果から浮き彫りになった。」
数多くの自治体の施策形成にかかわる研修をされてきた岡野勝志さんは、「観光ブームの光と影」と題したブログで、まことに的確な指摘をしています。
「観光客のための街づくりという考え方にぼくは与(くみ)しない。旅人だけに指向して整備された街はやがて飽きられるし、俄(にわ)か観光地のふりをするにとどまる。そうではなく、住民がふつうに日常生活を送っていなければならない。」
「フィレンツェ、ボローニャ、ウィーン、パリ、バルセロナに滞在してみれば、生活空間と観光価値が自然発生してきたことが分かる。もちろん、これらの都市でも観光客を対象にした政策やビジネスは存在する。けれども、その都市ならではの固有の特性までは損なわれていない。土産物通りが出しゃばって主役の歴史を食うなどということはないのである。」
「わが国はどうか。残念ながら、観光に強いと言われる都市にさえ、観光客向けの強い作意を感じてしまう。観光客のための意匠が歴史地区の持ち味を土足で穢(けが)しているのである。魅力ある街のほとんどは、観光地である前に、歴史的文化的キャンパスの上で生活を営んでいるものだ。」
私の住む川越は、平成29年に訪れた観光客数が662万人余りです。消費文化的価値を追求するテレビは相変わらず川越をよく取り上げますが、観光客数は28年より6%近く減少しました(http://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankobenrijoho/kankotokeishiryo/irikomi.html)。
川越の中心部は地域住民の暮らしをほとんど考慮しないまま、作意に満ちた観光開発を行政が先導してきたように感じてきました。30年ほど前の昔に蔵造りの街並みを「残した」という功績はあるとしても、現在は街づくりの街並みで営業する店舗の8割が外から入ってきた業者(地元の商店ではない)だというのが実態です。
実際、巣鴨の地蔵商店街や福岡の大宰府天満宮の参道に並ぶ事業者店舗とほとんど同じ構成でお店がたくさん並んでいます。観光地化が進むとテナント代が跳ね上がりますから、観光地での営業ノウハウを持つ業者が「出しゃばって」くるのは当然なのかもしれません。
蔵造りの通りは、地域の交通の大動脈である中央通りとなっています。この通りの観光開発と公共交通機関の利便性確保の両立問題についてはまともな施策が検討されてきたとはとてもいえません。土日祝のバスの遅延ははなはだしく、地域住民の苛立ちは高まるばかりです。
地域住民にとって必要不可欠な足であるバス通りの交通障害を直視することなく、観光客をただ増やそうとする。観光客は歩道部分をはみ出して歩き、突然道を渡ろうとしたり、はたまた人力車の営業まで放置して、バスは「バスにご注意ください」と観光客に注意を促すアナウンスを流しながら止まったり、ちょっと進んだり…。
地域住民の暮らしを考慮せずに、ただ観光客を増やして経済効果を追求しようとする観光地化は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて今よりも拍車がかかるでしょう。しかし、経済効果を当て込んだ消費文化的価値は、使い捨てられる宿命を持っています。いずれ「歴史的文化的キャンパスの上で生活を営む」本物の観光地に客足のほとんどが向いていくことでしょう。
もうすぐ、川越は桜のシーズンを迎えます。近年は、川越の桜にも中国やベトナムからの観光客が訪れるようになりました。多くの観光客に来ていただける活気のある街には、確かに魅力があります。しかし、桜の時節の観光客が通り去った後には、タバコの吸い殻、ビールと缶チューハイの空き缶が街角のそこかしこに散乱している現実もあるのです。
住民生活と観光化のキャパシティには、それぞれの地域にふさわしい臨界点があると考えます。