宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
「暴力」の社会的創出
デーヴ・グロスマン著『「人殺し」の心理学』は、人間の人間に対する暴力が社会的に創出されるメカニズムを考える上でとても重要な文献です(原本“ON KILING”は1996年、原書邦訳本は1998年、ちくま学芸文庫版(2004)は『戦争における「人殺し」の心理学』とタイトルを変える)。
アメリカ軍の第二次大戦における兵士の発砲率は15~20%であったのに対し、ベトナム戦争では「脱感作、条件づけ、そして訓練の体系的プロセスによって、つねに95パーセントもの効率を維持するまでになった」(同書466頁、以下同様)といいます。
そして、「これとよく似た体系的な脱感作、条件づけ、代理学習というプロセスが、今日アメリカに疫病を解き放とうとしている。暴力というウイルス性の疫病を。」(467頁)
この本は、「ハンナ・アーレントの『悪は陳腐である』」と題したブログ(2017年10月17日)でお伝えしたミルグラム実験が、兵士の「効果的」訓練に用いられてきたことに直接言及しています。兵士の発砲率を上げるための訓練をより効果的にするためにです。
ベトナム戦争の中でもっとも悪名高い虐殺事件があります。カリー中佐の率いる小隊が関与した「ミライ村大虐殺」です。この事件の重大な要因の一つは、中隊指揮官メディーナ大尉が「われわれの任務は、急襲してなにもかも破壊することだ。全員殺せ」と命令したことにあります(308頁)。
この命令に対して兵士は「女子供もですか?」と尋ねるのですが、「全員と言ったんだ」と大尉は応えています。「正当かつ敬うべき権威者」からの要求が「大虐殺」の重大な要因をなしていたのです。
暴力が成立する「方程式」に「すべての要因を盛り込む」(302~311頁)と、ミルグラムの三つの要因である「権威者の要求」「集団免責」「犠牲者との総合的距離」が交錯して組み込まれることとなり、暴力を行う者の責任と罪悪感の拡散してしまう構造が作り出されていることを提示します。
本書は文庫本で500頁を超える長文ですから、詳しい内容はお読みいただくほかありません。ただ、私たちが今こそ考えなければならない点は、1948~1996年の間に優生保護法による不妊手術という夥しい数の「法制度的暴力」に、何人もの行政官や医師が組織的に関与していたという事実です。
ナチス時代の組織的で巨大な殺人行為ではなく、日本国憲法の下で、「法の下に基本的人権を剥奪する」行為が、どのような構造と要因によって行われていたかを明らかにする必要があります。ハンナ・アーレントが言う「陳腐な悪」である組織的な暴力が、どのような構造で成立したのかを私たちは直すべき責任があると考えます。
本書の指摘から考えるべきもう一つの点は、暴力を社会的に創出する柱である「脱感作」「条件づけ」「役割モデル」について、虐待発生の関連において考察することです。
これらの諸要因は、戦場ものの映画、法を逸脱する警官・刑事ヒーロー映画、テレビゲーム等であり、兵士の訓練以上に悪影響をもたらしていると言います。兵士の訓練では、「命令に従った発砲」には何某かの褒美が与えられ、「命令に違反した発砲」に対しては厳しい処罰が実行されるのに対して、バーチャル・リアリティの世界では、何でもありの無法状態です。
とくに、暴力に対する抵抗を喪失させてしまう「脱感作」は、暴力が日常生活世界のありふれた、当たり前の行為であるところに成立します。さまざまなメディア、ソーシャルゲーム、そして学校における子ども同士のいじめ、教師による体罰、職場におけるハラスメント等の広範囲な暴力の日常化は、暴力に対する閾値を大幅に低下させているのではないかと考えます。
本書の内容には、異論のあるところも多々ありますが、暴力が社会的に創出されることについての有意義な示唆を与えてくれます。ただ、各国の軍隊で実施されている最先端の兵士訓練は、本書に記載されているよりもはるかに発展した「効果的訓練」を行っていると想像するだけで、ぞっとしますけれど…。
以前、NHKの特集で無人機プレデターによる攻撃の実態を取り上げた番組を視聴しました。アフガニスタンのタリバン勢力に対する無人機による攻撃を、アメリカ本国にある操作基地で作戦展開しているのです。プレデターから送られてくる画像を見ながら攻撃操作を行っていた兵士が、操作室から出てきたところでインタビューがあり、「テレビゲームをしているみたいですよ」と兵士が笑顔で語った場面に戦慄を覚えた記憶があります。
今後は、兵士が生身の人間ではなくなり、人工知能のついたロボットと化していくそうですが、このままいくと暴力や人殺しに対する人類の脱感作は、最悪の極みに突き進んでいく可能性も否定できないでしょう。
川越市の初雁公園内にある三芳野神社は、2019年春までの予定で、現在修復中です。この神社は、わらべ唄「通りゃんせ」の発祥した天神様です。三芳野神社の創立は、平安時代初めの807年とされています。
わらべ唄「通りゃんせ」の歌詞の中に、「行きはよいよい帰りは怖い、怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ」とあって、昔からいささか不気味に感じていました。川越にくるとこの謎は氷解。この神社は、川越城が築城されて城内の鎮守となって以来、出入りの門を見張る怖い警護の侍が参道にいたためだそうです。
今回の修復は2期目で、本殿の朱塗りの完全な修復を行っているそうです。天神様ですから、学問の神様で合格祈願の参拝者も絶えません。修復を終える来春には、ぜひお越しいただければと思います。