宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
社長さん、退職後に保育所のボランティアはどうでしょう?
小説家の高杉良さんの「経営者は惜しまれてこそ」というインタヴュー記事が、11月14日朝日新聞朝刊に掲載されていました。この記事の冒頭には、「みんなとは言いませんが、今の経営者は、自分が社内で一番、もっとも貴重な存在だと勘違いしています」とあります。
「長く経営トップを務めた知り合いに、『もう長すぎないか』とアドバイスしたことがありますが、『次がいない』『私が辞めたら、だれがやりますか』と言われました。」
「でも、それは自身が後継者を育てていないからです。」
「自分にごまをする人を後継者に指名する経営者が多い。顧問や相談役にして、自らを厚遇してくれる人を選ぶ。だから、いつまでも人事に口出しをする。結果、正論を進言する人もいなくなります。」
高杉さんの指摘は企業だけの話ではなく、学校、社会福祉法人、NPOにも蔓延する日本型経営の病理ではないかとしばしば思います。その背景をなす高杉さんの問題指摘が続きます。
「日本のサラリーマン社長の経験者に多いのですが、会社にしか、自分の居場所がないのでしょうか。退任しても、お金もあるのなら、世の中や社会のためにやるべきことは、たくさんあると思いますよ。」
高杉さんの指摘に同感です。今から100年余り前に思いを馳せてみると、20世紀の福祉国家建設の礎を築いた貧困調査を実施したのは、企業を経営する社長さんや重役さんたちでした。
ベンジャミン・シーボーム・ラウントリー(1871-1954)はココアやチョコレートの製造会社を父から引き継いだ経営者でありながら、1899年、1935年及び1951年の3回にわたるヨーク貧困調査を実施しています。
ライフサイクルとライフステージの観点から、平均的な労働者世帯が貧困に陥る時期を貧困線で示しました。貧困は労働者の怠惰や飲酒等の生活態度に起因するものではなく、疾病・多子と貧困との悪循環等を明らかにしました。ラウントリーの第一次貧困線と第二次貧困線の考え方は、大阪の方面委員の取り組みにも活用されていた記録が残っています。
チャールズ・ブース(1840-1916)は、船舶と海運業で成功した実業家です。ブースは、労働者の街であるイースト・ロンドンの調査(1886~89)を通じて、当時は世界一豊かな国であったイギリスに発生する貧困の原因は、個人の怠惰等の労働者の生活態度にあるのではなく、臨時雇用・不規則労働・低賃金にあることを明らかにしました。
雇用と社会階層のあり方を明らかにすることによって、最低賃金・完全雇用・国家扶助(生活保護制度)・老齢年金制度等の、福祉国家のナショナル・ミニマム(国民的最低限)の実現に重要な根拠を与える調査でした。
日本にも、倉敷紡績(現、クラレ)や現在の中国電力等の事業経営に成功した大原孫三郎(1880-1943)がいます。彼は、大原美術館と共に、貧困・労働問題の調査・研究のための大原社会問題研究所(現、法政大学大原社会問題研究所)を設立しました。
大原さんは、岡山孤児院を創設した石井十次の支援者としても有名で、大阪で石井記念愛染園を設立(1917)して貧困児童を対象とする夜間学校を経営するなど、当初は社会事業に熱心な実業家でした。しかし、慈善事業から社会事業に発展していく大正時代にあって、大原さんは慈善事業・社会事業の結果に失望し、社会問題の根本的な解決に資する調査・研究のための研究所の創設を決意したのです(https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/about/laboratoey/histroy/)。
大学の私のゼミで、ある女子学生が原純輔他『社会階層-豊かさの中の不平等』(東京大学出版会、1999年)から、わが国における女性の子育て困難や働きづらさについてレポートしてくれました。ほんの一部を抜粋してみると次のようです。
「日本社会で結婚しながら就業を継続していく条件は、とりわけ大卒にとって依然として難しい。」
大卒女性は大都市圏で働き、そこで家族を形成することになるが、住むことは「郊外に移住しなければならなくなるため、通勤時間が非常に長くなり、家事・育児と仕事を両立させることが難しい。」
「夫及び本人が国内外の様々な場所に転勤する可能性が高く、これを前提にすると少なくとも夫婦のうちどちらか一方が、就業を中断しなければ家庭生活を維持することができない。」
「日本の大企業における終身雇用の慣行は入社後の女性にとっては居心地の悪いものにしている。この慣行は、社員の会社に対する全面的なコミットメントを期待しているが、結婚している女性の場合は、男性社員ほどには家庭を顧みないで仕事や付き合いに精を出すことは難しいからである。」
このような女性の「働き辛さ」に「保活」の厳しさが追い打ちをかければ、働きながら育児負担も抱える女性の心労・苦労は大変なものになることが分かります。高杉さんが指摘するように、日本のサラリーマン社長さんたちは、「会社にしか、自分の居場所がない」男性であるのに対して、「会社だけに居場所を限る訳にはいかない」女性たちが生き辛さを抱えているということです。
この現実を企業の男性社長さんたちが正視して、社会的に解決しなければならない課題だとお考えになっているのでしょうか。せっかく保育所の新設費用を財界をあげて負担しましょうという機運ですから、もう一歩踏み込んでみてはどうですか。
ラウントリー、ブースそして大原孫三郎らの100年余り前に社会問題を直視した実業家の皆さんは、働く人たちの困難を知り尽くすことに私財を投じ、働く人たちの生活現実の中に自ら足を運ぶ行動をとった人たちです。ブースは労働者の貧民街であるロンドンのイーストエンドに足を運び、大原は岡山孤児院に通い続けて深い感銘を受けました。
社長さんである間に保育所のボランティア活動をするのはさすがに難しいでしょうから、社長を退いた後、保育所に足を運んでボランティア活動をするのです。これは決して「罪滅ぼし」のためではありません。少子化を加速させる原因となっている子育て困難の現実に分け入って考えることによって、働き方改革を柱に据えた経営の改善課題を明らかするのです。現代の大原孫三郎の出現を期待したいですね。
近年、関東平野の紅葉はしっかりと色づく前に落葉してしまうことが続いていました。今年は、久しぶりにしっかりと色づいて美しいですね。