宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
-
大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
日本からノーベル賞が遠のく?ー教育・研究の危機
今年のノーベル賞は、昨年に続いて日本人候補者が有力だとの報道が相次ぐ中で、NHKは一昨日の秋分の日に「日本人はノーベル賞をとれなくなる? 過去の受賞者が懸念」と題するニュースを流しました(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170923/k10011153701000.html)。
このNHKニュースからいくつかの指摘を拾い上げると、次のようです。
去年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隈良典さんは、「日本の大学の状況は危機的でこのままいくと10年後、20年後にはノーベル賞受賞者は出なくなると思う」と強い危機感を表明します。
一昨年、ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さんは「2000年以降、世界の国々で科学技術の重要性が強く認識され、多くの国で科学技術予算を増やした」一方で、日本の大学などの研究現場では、研究者数、研究時間、予算という3つの要素がいずれも減っていて、特に研究時間の減少が顕著だと言います。そして、「残念ながら日本が科学技術で優れた国であるとはもはや言えないと思う」と。
実際、「研究するために研究者になった」という東京大学助教の高山あかりさんは、「研究時間にさける時間がほとんどないのが現状だ」と訴えています。
大学の片隅に身を置く私としても、学問の性格や研究領域に全く拘わらず、大学の教育と研究には深刻な危機を感じます。研究費や経常的予算の縮減の問題もありますが、何よりも「雑務の時間が肥大化していって、肝心かなめの研究のための時間が作れない」問題が深刻です。
「人・カネ・モノ・時間」の不足が独立行政法人化以降の国立大学の研究者に共通する悩みであることに、異論のある大学人はおそらくいないでしょう。
では、雑務に労力と時間を取られて本来の仕事に集中できないのは、大学だけの問題かというと、わが国の学校教育のすべてに共通する深刻な問題となっています。
9月12日にOECDは、加盟国の教育に関する調査結果を公表しました(朝日新聞9月13日付朝刊)。これによると、わが国の小学校から高等学校までの教員の労働時間は最も長く、労働時間の中で授業にあてる割合は最も低いというのです。まさに、本末転倒の事態です。
新聞は、教育相談や課外活動などの授業以外に時間を取られていると報じています。が、埼玉大学の大学院に来ている現職教員の方々の声の十数年分をまとめてみると、「仕事にパソコンとインターネットを使うようになって、一挙に雑務が増えた」というのが共通項でした。
業務の効率化や成果主義の導入の下で、実は、教員の雑務負担だけが拡大していくというパラドックスがありはしませんか?
大学でもあらゆるものから紙媒体が駆逐され、電子的な処理に変更されました。それで、何が変わったかというと、大学の経費削減にはつながっているのでしょうが、教員の負担は減るどころか煩雑で労力が増えるだけなのです。つまり、研究時間を減らして、IT業界の仕事を作っているのではないかと思うことさえしばしばです。
さらに、OECDは、調査結果から次のような重要な指摘をしています(前述の朝日新聞から)。
「日本は幼児教育と高等教育における家計支出の割合が50%を超えており、加盟国の中でも特に高」く、「高等教育の場合は家計支出が51%と、加盟国の中で最も多く、平均の22%の倍以上だった」。つまり、OECD加盟国の平均的な姿は、幼児教育と高等教育に必要な経費の約8割は公費負担で賄われているというのです。
「日本は高等教育の授業料がもっとも高い国の一つでありながら、学生に対する公的支援の仕組みも少ない」と指摘した上で、OECDのアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長は、「授業料の負担が高いにもかかわらず、支援も限定されているのは(加盟国の中で)、日本と韓国だけだ」と述べています。
そして、さらに深刻な問題は、教育・研究従事者のワーキング・プアーの増大です。オーバードクター問題は史上最悪の深刻さにありますし、小中学校の先生方の非正規雇用の割合も、この20年間で一段と高まりました。
京都新聞は、担任も含む一人前の教師としての重要業務を担う教員の12人に1人が「非正規の常勤講師」であると報じています(http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20170903000094)。
「非正規の常勤講師」というのは、「1年限りの正式雇用」のことで、3月末に雇用の空白期間を設けて年度をまたがる継続雇用をせず、4月初めにまた新たな「1年限りの正式雇用」で契約する仕組みです。
何年働いても給料は上がらないし、勤続年数に応じた退職手当があるわけでもありません。しかも、「非正規」ですから、管理職に不満でもいいようものなら「再雇用」の道が閉ざされることもしばしばです。しかし、小中学校の「非正規」中でも「1年限りの正式雇用」はもっとも待遇がいいのです。曜日と時間数限定のパート教員も大勢いるようになりました。
あるとき、「教採試験に落ちたけれども、有望な学生はいませんか? いい話がありましてね。珍しくも、正規雇用の話があるんですよ」と、とある自治体の教育関係者から話が回ってきました。そこで、私は「継続雇用ですか」と尋ねると「1年限りの正式雇用」だと言います。これが現在の「いい話」です。
不安定就労と不安定生活にさらされて「結婚もできない」から、少子化が一層進んで、国内の市場が一層縮減していく。「人・カネ・モノ・時間」を教育・研究から奪っていって、「科学技術立国」どころか、教育と研究がOECD加盟国中最低のレベルになりつつある。それでいて、世界第3位のGDPを誇ります。
資源の乏しい小さな国が、教育・研究を通じて人を育めなくなり、社会保障・社会福祉を通じて国民の暮らし向きを支えることができなくなるとすれば、わが国に残るものは一体何なのでしょう? タワーマンションを筆頭に、「宴の残骸」と化した「負動産」だけが、オリンピックの前後から山のように残ることだけは間違いなさそうです。
この夏は、いつまでが梅雨で、いつが真夏なのか結局分からずじまいのまま、台風と秋雨前線が来るようになりました。先週の束の間の晴れた日の夕方には、リズム感の乏しいツクツクボウシが弱々しく泣いている一方で、コオロギが鳴きだす有様に出くわしました。
いろいろな生き物の冬に向かう秋支度も、いつもより難しいのかも知れません。わが家の庭に、ひょっこりとクロアゲハの終齢幼虫が表れました。ほどなく蛹に変態して、長い冬を過ごすのでしょうか。