宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
何と、111倍!
先週の木曜日、平成29年度全国児童福祉主管課長・児童相談所長会議が開催され、平成28年度における全国の児童相談所の虐待対応件数(速報値)を公表しました。前年度比18.7%増の、12万2578件です(まだ資料がアップされていない段階でのブログ記事のため、新聞報道の範囲内のデータによるものです。)
この統計の始まった平成2年は1101件ですから、この26年の間に、111.3倍増加した勘定になります。この間の特徴は、面前DV(⇒これも心理的虐待)や他の心理的虐待が半数を占めていることと、警察からの通告が増加して全体の45%と最も多くなったことにあると指摘しています。
ここには、面前DVが心理的虐待に当たることを明確にしたことや警察との連携を強めてきた点など、虐待対応の精度と迅速化に向けた関係者の多大な努力のあったことは間違いありません。
しかし、問題の焦点は、子どもの人権擁護がはたして進んでいるのかどうかという点にあるでしょう。虐待の定義をより包括的に手直ししたことに加え、警察との連携強化と関係機関の意識の高まりによって、虐待通報と虐待対応件数が増えた一面はあります。しかし、少なくとも虐待そのものが発生しない状況に一歩でも接近しているのかという観点からみれば、事態は悪化の一途をたどっているではありませんか。
「児童虐待の防止等に関する法律」の第1条は、「児童虐待の防止等に関する施策を促進し、もって児童の権利利益の擁護に資することを目的とする」と明記しています。つまり、「児童虐待対応法」ではないのです。
この間、虐待対応件数の増加を「説明」するには、虐待の定義の拡大や関係機関の意識の向上によるもの等のフレーズがつきものでした。ここには、子どもの人権擁護についてはみるべき進捗がない点と「虐待そのものが増加しているかどうかはよく分からない」とする傾きが払拭できない点で大きな問題をはらんでいると考えます。
警察関係者の方々には、子ども・高齢者・障害者の虐待対応だけでなく、DVやストーカーへの対応を含めての大変な努力があるものと受け止めています。このことを前提したうえで、虐待相談や通報の経路が警察に偏って拡大していく事実は、虐待・DV・ストーカーの実態が、警察権力による介入が必要なまでに深刻化しているとみるべきです。
このままいくと、虐待の発見・通報から事実確認は警察の仕事で、それ以降の支援の仕事を児童相談所と棲み分ける方針が出てくるかも知れません。警察を排除する必要は全くありませんが、虐待防止法の範囲内の取り組みについては、通報から事実確認の仕事を専門的に担う別の民生機関の設置が必要不可欠であると考えます(たとえば成年の場合の、APSのような組織)。
したがって、本来ならば慈しみ合いの期待される諸関係において、かくもさように暴力やネグレクトが減少しない問題はどのような諸要因にもとづくのかを明らかにし、これまでとは異なる新次元の虐待防止対策を進めない限り、子どもの人権擁護にまでたどり着くことは難しいのではないか。
ここには、貧困、アディクション、単親家庭問題、不安定雇用にもとづく不安定収入・不安定生活など、多様な問題が交錯したハイリスク要因のあることは常識です。しかし、今日の虐待発生はそれだけにはとどまらない。「心理的虐待」が半数を占める事実の中に、「親による子へのいじめ」があるのか、「愛情の強迫化」がこれまでになく進行しているのか等、「本来であれば慈しみ合う関係」が期待される家族等の親密圏にこれまでにない大きな変質が絡んではいないのか。
極点化した核家族が支配的になることによって、家族内部ですべてを充足できるようにすることが要請(個人と家族単位の「自立」!)され、家族内部にまで効率主義・成果主義・評価主義が浸透してきた問題はないのか。
極点化した核家族が地域社会や親族ネットワークとは無縁なまま自立生活を営むためには、自立心と高い収入を担保しうる就労と生活上(家事・育児)の高い能力が必要不可欠であり、これらのどこかに弱さを抱える人間に対しては「強迫的要求(愛情の体裁をとるであろう)」と「見限り」を産んではいないのか。
今回、厚労省が発表した児童虐待対応件数の統計が始まった平成2年度は、年度末にバブル経済の崩壊のあった時期に当たります。それ以降、「失われた20年」という長期不況に陥っただけでなく、産業・雇用構造の抜本的な変化をベースに、民衆の暮らし向きや関係性・生き方等にも大きな変容が見られた時代です。
この下では、一方で、家族内部の慈しみ合いの変質が進行し、他方では、「保育所落ちた日本死ね」という言葉に象徴される育児の私化と社会サービスの当てにならなさが一挙に進行した。もし、虐待発生が一向に減少しない問題の深刻さに、このような諸要因が絡んでいるとすれば、虐待防止対策は虐待対応の強化にとどまらず、民衆の慈しみ合う暮らしをどのようにして再建するのかという課題になるのではないでしょうか。
この2週間に、大田区障害者虐待防止中級研修と静岡県虐待防止研修に参加してきました。できるだけ参加型の研修スタイルにするように心がけています。ただ、今年は天候がとにかく変ですから、研修参加者も雨具必携はむろんのこと、ゲリラ豪雨に雷雨竜巻にまで注意しての参加が続いていますね。
東京一円は、気温も低めの日々が続いて来ましたから、コーヒーを飲むにしても私はホットばかりでした。スーパーマーケットに入ると、まともなキュウリが見当たらない。街路樹から聞こえる蝉の声も、ツクツクボウシは何となくリズム感に欠け、ミーミーゼミの声は張りがなくてとても岩にまで染み入りそうにありません。最近、いろんなところで「〇〇ファースト」というネーミングが流行っているようですが、「地球ファースト」の時代性を忘れているんじゃないでしょうか。