宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
出世大名家康君を垣間見て
先週は、浜松市虐待防止研修に講師として参加しました。浜松駅を出でバスターミナルに向かうところで、「2015ゆるキャラグランプリ」に輝いたモザイカルチャーの家康君が、出迎えてくれます。
1570年に浜松城を築き、「浜松」という地名の名付け親でもある徳川家康のゆるキャラです。ちょんまげは浜名湖のウナギ、袴はピアノの鍵盤と、一身に浜松を体現しています。この家康君は、各地のゆるキャラと同様に、着ぐるみ版とイラスト版があるのに加え、駅前に鎮座するモザイカルチャー版が用意されているのです。
このモザイカルチャーも発祥の地は浜松です。花や緑を組み合わせて、色や特徴を活かしながら形にする作品のことです。モザイクとカルチャーを合わせた造語です。モザイカルチャーの家康君は、県庁所在地の静岡市とは異なる産業文化都市を形成してきた浜松市のエネルギーを感じさせてくれます。
浜松市の虐待防止研修は、高齢者・障害者領域を合わせた虐待防止研修と言う枠組みで、地域包括支援センター・障害者相談支援事業所の職員研修、介護保険施設・障害者支援施設職員研修および行政職員研修の3本立て。いささかバテはしましたが、参加者からはとても有意義なお話を伺う機会に恵まれました。
高齢者と障害者の虐待防止法が施行され、この間、多様な虐待事案にかかわる事実と教訓が蓄積されてきました。浜松市の行政職員の虐待対応の事例報告からは、ぎりぎりのところで事態を悪化させないための努力と割り切れない想いが随所に感じ取れます。
中には、高度経済成長から過熱した親の子に対する強迫的な教育熱が、ライフステージの成れの果てで逆噴射するように、高齢者虐待を招いているように見えるケースもあります。重い体罰は無かったにせよ、「親の言うことをよく聞く子ども」で、「勉強ができて、いいところに就職自立できる」ことを目標に強迫的な愛情を注いだ子ども期の心理的虐待が、逆転して老親に向けられるのです。
虐待の発生する関係性について分け入って考える場合、パワーバランスに着目することは必要不可欠です。老親を虐待する息子や娘が、子ども期に何らかの虐待・不適切な養育を被っており、ライフステージが進行して老親の心身機能の低下から子どもたちとの力関係が逆転したときに発生する虐待があることはかなり以前から知られています(金子善彦著『老人虐待』、1987年、星和書房)。
いわゆる「力関係逆転型」の虐待です。ここにいう「力関係」には親子関係における現代的特質が潜んでいます。「親の言うことをよく聞かせ」て「お利口さんに自立させよう」という関係性の基軸に、未自立で依存的な状態にある人間(子ども)は自立した人間(親)をモデルに言うことを聞かなければならないという強迫性を帯びた上下関係が据えられていることです。
ライフステージが進行し、老親が要介護状態等になって周囲の手助けが日常的に必要となると、未自立で依存的な状態にある老親は、自立した状態にある子どもたちの言うことを聞かなければならないと逆転する。親がかつて子に向けていた強迫性が、今や逆に、息子・娘たちによる親への強迫的態度に転じます。
これが老親の生活態度などに関する強迫性にとどまるのであれば、心理的虐待の範囲に収まるかも知れません。ところが、ここで年金収入や預貯金等の個人資産における「個計」の原則をなし崩しにして、一つ屋根の下での「家計」の論理に丸め込まれてしまうと、子の親の資産に対する経済的虐待が発生します。
この背後にも、かつての親子関係にあった資産管理をめぐる問題があるように思います。つまり、親権に含まれる資産管理権の実態が、子どもの個人資産を守るための管理というより、親の考え方によってはいかようにも支配してよいとの傾きを持った「家計」の論理に引きずられている問題があるのではありませんか。
子ども期の親子関係から力関係が逆転したライフステージで発生する経済的虐待は、親権における資産管理権の実態にある問題と、非婚のまま家族からの自立ができなかった世代の貧困とが交錯することによって発生するところに現代の特徴があるような気がしてなりません。
さまざまな虐待ケースには、それぞれの家族が抱えて埋め込こんでしまったかつての生活困難の「地層」-高度経済成長期、バブル期、失われた20年等のそれぞれの時代に埋め込まれた重層化した生活困難-が、亀裂を深めて、大きくずれ込んで断層となって表れる「虐待」があると思います。
さて、浜松は宇都宮と並ぶ餃子の街。餃子のお皿に必ずモヤシがついてくるのが定番のようですね。二つのお店で食べたのですが、いずれも、旨さの王道を行く餃子でした。
浜松滞在中に「ウナギの日」があって、宿泊先のホテルの朝食にはウナギご飯の食べ放題が出てきました。養鰻業も浜松の築いてきた文化です。なかなか上物のウナギ蒲焼が入っていて、「さすが浜松」と言いながら、夢中になって食べてきました。食べることにあまりにも夢中だったため、ウナギの画像はありません(笑)ご馳走様でした。