宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
TOSHIBAの思い出
東芝の経営危機が大騒動になっています。連日、なにがしかの報道が続いている中に、「倒産の可能性」まで指摘するものが出てきました。東芝は「散ってしまう」のでしょうか?
関西出身の私は、ラジオやテープレコーダー(といっても、今の若い人には分からないか…)でソニー製品を愛用した外は、関西を根城にする松下電器(現パナソニック)に三洋電機の電化製品を主に家庭で使っていた記憶があります。
ところが、大学院生の時、意を決して、東芝の二層式洗濯機を購入することになったのです。
当時は、下宿する多くの学生がコインランドリーで洗濯をするか、大家さんがアパートに備え付けてくれた共用の洗濯機で洗濯するかのどちらかが主流でした。洗濯機や電子レンジを購入する学生は、「ブルジョアジー」に限られた時代でした(笑)
コインランドリーの普段使いには、さまざまな不便さがつきまといました。せっかくコインランドリーに辿り着いても、すべての洗濯機がふさがっている場合は、洗濯物をもって下宿に戻らなければならない。これが雨の日だと最悪。そこで、洗濯物を持ってコインランドリーを往復するために、大型のリュックサックを使っていました。
こんなアクシデントもありました。自分の直前に乾燥機を使った人が、きっと若い女性で下着を取り忘れてしまったのでしょう。次いで私が、空いている乾燥機に自分の洗濯物を入れて乾かしたものを取り出してみると、女性もののピンク色の下着が出てきて、悪友連中に「どこで盗んできたんだ」「お前の本性はフェティシズムなのか」とからかわれたこともありました。
しかし、何よりも困った点は、夏場の汗をかく時節に下着やTシャツをその日に洗うことができないことです。コインランドリーは洗濯物の量の多少に拘わらず料金が発生しますから、ある程度洗濯物をためて使うようにしなければならなかったのです。
するとすぐにカビが発生し、何度手洗いしても落ちない汚れが出てしまいました。そこで、「ブルジョア」から程遠い私は、「清水の舞台から飛び降りる」ように、洗濯機を買う決心をしたのです。
その時、ちょうど『暮らしの手帖』が商品テストのレポートで二層式洗濯機を取り上げていたのです。私にとっては、実にタイムリーな企画なのでさっそく読んでみました。すると、洗濯物を傷めずに汚れを落とす力が高いという2点のテスト結果から、東芝製の洗濯機が最も優れているというレポートだったのです。
このレポートは、たかだか洗濯機といっても、メーカー各社の製品性能に相当なばらつきがあることを明らかにしていました。記憶に残る範囲では、確か、真っ白の手ぬぐいを洗っては脱水機にかけて干すことを100回やってみた結果の各社製品比較だったと思います。
あるメーカーの洗濯機では、手ぬぐいがボロボロになっているのに対して、東芝の洗濯機で洗った手ぬぐいはまだしっかりしていました。このレポートでとても興味深かったことは、汚れをおとす能力の高さと手ぬぐいの痛むことには、必ずしも正の関連性がなかった点にあります。洗濯機が汚れを強く落とそうと布を揉むから生地が痛むという、簡単な関連性の問題ではないということです。
花森安治編集長の率いる雑誌『暮らしの手帖』は、さまざまな商品を製造する会社と対立し、石油ストーブの消化方法をめぐっては消防庁を敵にしてまで実証実験をするという「ぶれない雑誌」でした。この辺は、NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』でもよく描かれていました。
そこで、1980年代にも入ると、むしろ『暮らしの手帖』の指摘を参考にし、または積極的に受けとめて商品開発する傾向が電機メーカーに生まれました。量販店に電気製品を買いに行っても、店員の方から「『暮らしの手帖』ではこのメーカーのこの点がいいと指摘していましたよ」と紹介することもしばしばでした。
当時はきっと、普段使いの電化製品の開発において、メーカー各社は『暮らしの手帖』を意識した上での多様なテストを行うようになっていたのではないでしょうか。それで、このような状況の中で、断トツで優れていた洗濯機のメーカーが東芝だったのです。
そこで私は、「清水の舞台から飛び降りる」のだから「絶対に東芝の洗濯機を買うぞ」と意気込んで、今はなき「ダイエー」の「洗濯機祭り」に飛んで行って洗濯機を買った次第です。それからというもの、掃除機、炊飯器、オーブンレンジ、冷蔵庫、FF式石油ファンヒーター、電動ドリルドライバーに、わが家の電気製品の9割は、一時、東芝に占領されるまでになりました。
生活協同組合や『暮らしの手帖』の取り組みが民衆的な支持を受けることによって、さまざまな電化製品を開発する人たち自身も普段使いする消費者の一員として、「モノづくり」にかける意気込みと能力を高めていった時代であるように思います。
だから、『暮らしの手帖』のレポートで評価された製品を開発したメーカーの社員は、とてもうれしくて自負心を持つこともあったのではないかと想像します。使う人たちの価値とモノづくりの価値が相互作用の中で発展する世界があったのです。この時代の日本は、「経済一流、政治は二流」と国際的に評価されていたとか。
それが、原発のような重厚長大で巨額な利益につながるビジネスを優先させながら、粉飾まがい決算をする能力しか持たない無能な経営者が3代続くと、多くの社員が長い間に積み上げて、今でも利益を上げている部門を売り払うことになるというのです。となると、今や「経済も二流」???
この無能な経営者たちは、きっと消費者の価値とモノづくりの価値をつなげるような発想を微塵も持たない「エリート」だったのではありませんか。モノづくり哲学のないエリート・テクノラートだった。きっと、会社は自分が出世する舞台であり、登り詰めたところでは居丈高ではなかったかと想像します。
「会社という組織は誰のものなのか」という論点が話題に上ることがあります。株主のものなのか、従業員のものなのか…。家電製品が少なくとも昭和から平成にかけての民衆の生活文化を彩る大きな位置づけを持っていた点からすると、東芝製品のユーザーのものでもあるといえるでしょう。その一員として、私は、東芝の切り売りをとても残念に思います。
さて、ソメイヨシノは散り、葉桜の季節になりました。枝垂桜がまだ花を残しています。でも、桜が咲いて散ったとなると、はや夏のような暑さです。日本の四季はどこに行ったのでしょうか?