宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
ピネルさん、大変ですよ―拘束の罠
社会福祉法人高知小鳩会の障害者虐待防止研修は2年目の終盤になりました。今回は、「拘束」をテーマにした研修です。拘束を防止するための知恵と支援のあり方を皆さんと深めました。
2001年3月に厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」が『身体拘束ゼロへの手引き』を明らかにして以来、16年近くの歳月が流れました。しかし、業界関係者の情報を総合すると、介護保険サービスと障害福祉サービスの制度上の区分にかかわらず、拘束はかなり広範囲に行われている虐待です。いうなら、公然たる「秘密の虐待」。
東京新聞の報道(2016年6月29日朝刊)によると、全日本病院協会が実施した拘束に関する調査から、病院と介護施設の66%が、厚労省『身体拘束ゼロへの手引き』が原則禁止と例示する11行為のいずれかを行っている実態が明らかになっています。
この内訳をみると、一般病棟は94%が、老人保健施設は47%が、特別養護老人ホームは33%が、それぞれ何らかの拘束を行っていると回答しているのです。
つまり、拘束は、切迫性・非代替性・一時性の3要件を満たす「例外」的な事象(ただし記録は法的義務)ではなく、医療スタッフや福祉・介護支援者の一方的判断によって、日常的に広範囲で行われているルーティンであるというのが実態なのです。
昨年明るみに出た鳥取県立鹿野かちみ園の拘束事案は、20年もの間、「虐待という認識はなかった」し「漫然と拘束を続けていた」(鳥取新聞に掲載された鳥取県障害福祉課長の発言、2016年6月20日ブログ参照)と当局は説明しました。ルーティン化した虐待行為が、いかに深刻な事態にあるのかを示しています。
「障害者の日常生活および社会生活を総合的に支援するための法律に基づく指定障害者支援施設等の人員、設備及び運営に関する基準」(厚生労働省令第172号)の第48条は、身体拘束の禁止を定めています(同省令171号にも同様の規定あり)。
人身の自由は基本的人権ですから、「緊急やむを得ない理由」が明示されない拘束は重大な人権侵害に当たります。かつて私立精神病院の拘束が、人身保護法違反の問題として扱われてきたことと同様、介護施設・障害者施設等の「ルーティン化した拘束」は、例外なく人身保護法違反なのではないでしょうか。
精神科医と精神科ソーシャルワーカーの友人に、精神医療の現場における拘束の実態について尋ねてみると、精神衛生法の時代に広範囲に行われていた理由のない拘束は、さすがに皆無になったと断言します。
急性期の症状がある場合にも、保護室に拘束するための法的な手順は厳格に守らなければならず、安易に拘束を延長することのできない制度的な仕組みも作られているからです。イタリアが精神科の入院病床を全廃してきたように、保護室はおろか、入院することそのものが、もはや精神医療に必要ではなくなっています。
すると、精神衛生法の時代の精神病院の問題以上に、介護施設や障害者支援施設の拘束問題はまことに深刻だと指摘しなければなりません。
障害福祉サービスの事業者・施設の関係者は、厚労省『身体拘束ゼロへの手引き』に眼を通したこともない人が大勢いるでしょう。施設長や幹部職員クラスのなかでも、障害者権利条約の全文を読んだことさえなく、『身体拘束ゼロへの手引き』は高齢者のことだとして脇に置いたまま見向きもしない人がいるのかも知れません。
点滴などの医療行為に際して、障害のある人自身がある程度の時間、じっと姿勢を保持しなければならないところを、それがにわかには難しい場合に、「やむを得ない」と判断する日常が出来するのかも知れません。真に必要な医療行為であれば、その治療をしないことは医療ネグレクトに該当してしまうこととの板挟みで、現場が判断に苦慮することは十分に想像できます。
しかし、『身体拘束ゼロへの手引き』が指摘しているように、拘束を日常化してしまうことのリスクは、はかり知れない。縛りつけたり閉じ込めたりすることは、身体機能の低下を招き、全身的な機能の「廃用症候群」を促進します。拘禁は、精神的な機能を歪めたり委縮させ、様々な精神症状や行動障害の拡大を招きます。
つまり、拘束を日常化すると、ますます支援の難しい心身の状態に重症化し、拘束をしない原則に戻ることができなくなってしまうのです。これはまさに「拘束の罠」です。
拘束をするから身体機能の低下や行動障害の拡大が進んだにもかかわらず、事業所・施設の側は「障害が重いから」「行動障害が激しいから」「異食や他害行動があるから」といって拘束を際限なく正当化する。支援する側の問題だと自覚されることはない。
ピネルさん、21世紀の日本は大変なことになっているのですよ!!
18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したフィリップ・ピネルは、有効な薬物の全くなかった時代に、拘束されていた精神病院の患者さんをすべて解放しました。おそらく、拘束によって精神症状や行動障害の重症化した患者さんは大勢いたことと思います。それでも、拘束することを原則禁止としたのです。今から200年前の話です。
拘束が横行する背後には、構造的な問題があります。
まずは、障害のある人の意思決定支援が支援の出発点に位置づけられていないことです。事業所・施設の閉じられた世界の内側で、支援する側に圧倒的な力の優位性がある中で、一方的に囲い込み、拘束してしまう。
次に、事業所・施設の抜き打ち監査を含む第三者による点検の仕組みが、制度化されていない問題です。施設従事者等による虐待については、通報があっても虐待防止法を遵守しない市町村が山のようにあるのですから、虐待防止に資する新たな仕組みを起こす必要があります。
さらに、ケース・カンファレンスでイニシャティヴを行使できる専門性の高い幹部職員の、まったくいない事業所・施設があることです。拘束等の虐待が日常化している事業者・施設は、個別支援計画があってもなきがごとしの実態で、個別支援計画に記されている内容がまともに実行されない契約違反は横行しています。
ケース・カンファレンスを実施して丁寧な支援を積み重ねていけば、拘束など全く不要な状態になる人についても、安易な判断から拘束を日常化し正当化する「拘束の罠」にどんどんはまっていく。
これらの問題を克服していくためには、障害者支援事業所・施設に対する第三者評価・オンブズマン機構をつくり、法制度によって裏打ちされた権限によって、全国の支援事業所・施設に対する虐待の事実確認・調査、抜き打ち検査等が実施できる仕組みを新たに作る必要があると考えます。
さて、高知といえば新鮮な魚介類。今回は再び(2015年11月24日ブログ参照)、高知市中ノ橋通交差点そばの寿司処「すず木」にお邪魔しました。
すず木の店主が、私のお邪魔する前日に開催された堀江真美さんのジャズ・コンサートを聴きに行った縁もあって、何と堀江さんたちと店内でご一緒でした。
堀江さんのサインにある通り、すず木のお魚はどれもこれも美味しい。新鮮な刺身は素晴らしく、中でもコリコリしたサバは絶品です。これは握っても超絶品。アワビには肝ダレがかかり、軍艦の一番右は地牡蠣です。地牡蠣は小ぶりで濃厚な旨みがたまらない。ごちそうさまでした。しばらく、埼玉では魚介類を食べたくありません(笑)