宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
愛 vs. 笑い
日本テレビ系「24時間テレビ39『愛は地球を救う』」の放映中、NHKのEテレ「バリバラ」は障害者をもっぱら感動的に描こうとするメディアの手法を「感動ポルノ」として批判的に問題提起したことがあちこちで話題になっています。
「バリバラ」は、オーストラリアのコメディアン兼ジャーナリストの故ステラ・ヤングさんの映像を放映し、障害者がメディアによって勇気や感動を生むように過剰な演出によって描かれ、非障害者の消費の対象としてモノ扱いされているという趣旨のスピーチを紹介しました。
障害のあるステラ・ヤングさんは、TEDのプレゼンテーション(これもEテレで放映しています)で「私はみなさんの感動の対象ではありません」という有名なスピーチをしたことで知られています。
「バリバラ」の投げかけについてNHKに取材した朝日新聞は、9月3日の朝刊でNHKが「障害者=『かわいそう』『頑張っている』以外の価値観を提示していくことを大切にしている」と報じています。
同新聞はさらに、関係者の声を二つ紹介しています。
一つは、難病で車椅子を使用する大橋グレース愛喜恵さんの声です。「感動ポルノが生まれ続けるのは視聴者が求めてきたから。まずはメディアが障害者の取り上げ方を変えることで、視聴者の意識も変わっていくようになれば」と言います。私も同感です。
もう一つは、障害者支援NPO「ドリーム」のI理事の話です。「バリバラ」は障害当事者が思いを語った点で問題提起になったとしつつも、「映像をきっけかに支援団体への寄付につながることもあり、すべてが悪いとは言い切れない」と言います。この中途半端な見解は、支援団体のご都合主義とも受け取られかねないでしょう。
毎年放映されてきた「24時間テレビ」を、これまで私はほとんど視聴したことがありません。今回は、埼玉県内の中学校に中途の視覚障害で職場復帰された中学校の先生のドラマだけを観ました。やはり、「感動ポルノ」以外の何物でもありません。
障害のある人の差別と虐待の現実を目の当たりにしてきた私には、「愛は地球を救う」というタイトルそのものに「歯の浮くような浮世離れ」を感じます。現実は、邪心と欲望に、希望と絶望に、妄想と作話に、慈しみと哀れみに…と、一筋縄では描き切ることのできない複雑さを呈しているものです。
今回の「バリバラ」の問題提起については、確かに意味がありました。が、「笑いは地球を救う」というTシャツの着用で「24時間」の「愛は地球を救う」のパロディとするのは、個人的には疑問を感じます。「メディアの難治性疾患」である「感動ポルノ」症候群の病巣はあまりにも深く、本気で、真正面から批判する企画にするべきだと思うからです。NHKもメディアですから、「斜に構える」ことが精一杯だったのでしょうか。
この話題をめぐるインターネット上の発言では、発達障害のあるお子さんを育てているお母さんのイシゲスズコさんが、「『障害者の感動ポルノ』を巡る議論で、私たちが見落としていること」で問題の核心に迫っています。
障害のある人をテレビ・メディアが「感動を生む消費対象」にする道具として、もっぱらビジブルな障害のある人だけを取り上げるようになっている。だから、発達障害や精神障害のように視覚的には分かりづらい障害のある人は、ほとんど感動を生む「消費対象」にさえならないのだと。
つまり、テレビ・メディアは障害のある人の生きづらさの現実や差別の問題に迫ることよりも、「いい画づくり」による「感動ストーリー」で視聴率を稼ぎ、スポンサーの広告収入や受信料支払い数を上げることに傾いているということです。
差別や虐待事案の取材で、「差別や虐待の事案をきっけかに問題を克服していった事例や施設はないか」という質問をよく受けます。このような差別・虐待の取り上げ方も、差別・虐待事案を社会的な教訓にしようと考えているのか、「困難を乗り越えていった感動ポルノ」としてひとときの「消費対象」にしたいのか、まことに怪しい気がします。
今回の「24時間テレビ」による「感動ポルノ」の放映をきっかけに、さまざまな議論が巻き起こったことはとても有意義です。多くの方のご意見の最大公約数は、障害のあるなしにかかわらず、メディアは人間の生活と人生の多彩な場面や問題(感動だけでなく)を取り上げるようになってほしい、というものではなかったかと受け止めました。
しかし、障害のある人だけが「感動ポルノ」として「消費対象」にされているのではありません。たとえば、現在のスポーツはオリンピックを筆頭に、メディアは視聴率を稼ぐ究極の「感動ポルノ」として「消費対象」にし続けてきました。
スポーツのあらゆる側面が「勝っては感動」「負けても感動」のストーリーで塗り固められ、そこから視聴者は「勇気をもらえる」ようにメディアは仕向けています。社会的に産出された「感動神経症」の嵐です。スポーツが生んだ回復不可能な体罰被害や悲劇も山のようにあるでしょうに。
ここでは、スポーツ選手そのものが「勇気や感動を生むための消費文化的価値」の体現者です。多くのスポーツ選手が現役を退くとすぐにテレビに登場するリポーターや芸能人になるというのは、「消費文化的価値」の体現者として一貫しているからでしょう。
現代のメディアがともすると「感動ポルノ」にはまり込んでいく問題の核心は、メディアそのものが「消費文化的価値」の体現者であることです。
さて、ここのところ、教員免許状の更新講習やさまざまな研修・講演で私はいささか青息吐息です。飛行機に乗るまでの束の間にのんびりしようと、とさでん交通の一日乗り放題乗車券を買い込んで、しばし路面電車に揺られてきました。
これが、なかなか味わい深い。鉄ちゃん・鉄子さんにはつとに有名な路線かもしれません。とさでんの単線区間では、路面電車の運行安全を確保するための通票(つうひょう、タブレット)が今日でも健在です。
単線の一定区間に2列車が同時に入ることを防ぐために、通票を相手に渡さなければ次の区間に入れないようにしているのです。通票をわたすときに運転士は「お待たせしました」と交わしていました。アナログな手順による安全確保に、顔を見せ合い挨拶を交わす通票の受け渡し。とさでんの路面電車は、やっぱり、なかなかいい。