宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
冬の冷ごはん
毎年恒例の大学入試センター試験が終了しました。まずは、受験生の皆さん、お疲れ様でした。このように受験生をねぎらう声は、マスコミ、受験生の親御さん、高校の先生方、予備校関係者と数多くあれど、監督者をねぎらう声はあまり耳にしませんね。
監督者はミスのない入試業務を遂行して当たり前。万一ミスをしてしまうと、最悪の場合、マスコミの餌食になってしまいます。もちろん、これから大学で学ぼうとする若者を前にするのですから、私たちセンター試験関係者はみんな真剣に取り組んでいます。
しかし、全国統一の形式で試験を実施することにつきまとう緊張は、大変なものがあるのです。秘密裏に進められる入試問題の作成、刑務所での印刷と校正、刷り上がった試験問題・解答用紙の各会場への搬送業務、リスニングテストの予行演習、そして当日の試験。これらすべてにミスがあってはならない、との業務命令を関係者は受けています。
傷病や障害などで合理的配慮の必要な受験生には、別室受験によって不自由なく解答に専念できるようにしています。今回のリスニングテストで私が担当した中には、1名の別室受験生に対して万全を期すために、3人の監督者がつくものがありました。経済効率や予算の切り詰めではなく、あくまでも受験する権利を保障する実務を貫きます、
蛇足ながら、障害のある人の声と実情に応じて、受験にとどまらず、生活のあらゆる部面にわたって必要なサービスと合理的配慮を受けることは、障害者の権利条約の締約国にあっては当たり前のことです。
受験生の質問、回答用紙の汚損、リスニングテスト機器の不具合等への対応については、あらゆる場合を想定して定められたマニュアル通りにそれぞれの監督が対応できなければなりません。合理的配慮を尽くした上で、この業務にはいたずらに私情を挟むのではなく、あらゆる邪念を払い除け、非情なるマニュアル的公平・公正さを極めなければならない。
そこで、大学入試センター試験にかかわるさまざまな作業は、業務というより大学関係者に課せられた「荒行」ではないかというのが私の率直な感想です。忍者のような行動を強いられる問題作成担当者は、比叡山延暦寺「千日回峰行」に挑む修行僧のようで、無事に問題訂正なく試験が終了した暁には、まさに「大阿闍梨」の称号がふさわしい。私のような二日間の試験当日の監督者でも、凡百の衆生が冷たい滝水に打たれる「二日回峰行」をしたくらいには該当するのではないでしょうか(笑)
ところが、このように最高度の緊張にまみれたセンター試験業務のお昼に出される弁当は、ときとして最高度にまずいものがあるのです。いうなら、大学入試センター試験の弁当受注という「公共事業をおいしくいただきました」と業者の側の「ごちそうさま」という声だけが聞こえてくる類の弁当です。NHK番組の「サラメシ」では、このように「不健康で非文化的な」昼食問題を真剣に取り上げて欲しいと願っています(私は受信料を払っています)。
冒頭の画像は、今回のセンター入試の二日目に私の担当した会場で出されたまともな弁当です。まだご飯に温かさが残り、惣菜の質もよく、私の方から「ごちそうさま」と言えるものでした。
ところが、最初の日に出された弁当は、ひどい、許せない。食べる人間の怒りをかうだけの代物です。試験会場に配達するかなり前に箱詰めした弁当でしょうか、炊かれてα化したお米が、低温で長時間放置されてβ化(老化して、固くまずくなる)しているではないか。まるで、冷蔵庫で冷やしてわざわざ不味くした弁当を配食されたようです。
そういえば、私の学生時代は、下宿の暖房器具は櫓こたつしかなく、電子レンジなんて文明の機器もない(確か、当時の電子レンジは、単純に温める機能だけの400Wもので5~6万円はしたと思う)。前日の晩に炊いた冬場のご飯は、翌朝の朝になるとそのままではとても食べることができなかったことを思い出しました。
さて、監督業務の合間に、昨年末に出された社会保障審議会障害者部会報告書「障害者総合支援法施行3年後の見直しについて」を読みました。これについては、1月9日付の神奈川新聞が大きく取り上げ、日本障害者協議会藤井克徳代表の意見が記事になっていました。
この新聞記事によると、障害者福祉と介護保険の統合に門戸を開いたこと、障害者の権利条約を批准締結したにもかかわらず、精神障害者の社会入院の問題、不十分な所得保障と家族依存の問題などの重大な人権問題が残されたままで、本質的な議論がないままに「形を取り繕った」だけの内容だと批判しています。
障害者福祉と介護保険の統合については、「障害者自立支援法違憲訴訟に係る基本合意」(2010)や「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言」(2011)という二つの国の文書で統合を明らかに否定しています。それに、何よりも障害者の権利条約のスピリットは“Nothing About Us,Without Us!”ですから、この報告書の作成プロセスそのものが、権利条約に違反しているというべきです。
障害当事者の総意が、障害者福祉と介護保険の統合にあるのか、社会的入院を放置してくださいと言っているのか、自立生活を送ることのできない所得保障水準のまま家族に依存して生活したいと要望しているのか。そんなことは、あろうはずがないでしょう。
障害のある人たちの声や実情を議論の出発点としない「報告書」を読むと、学生時代の冬の朝を再び懐かしく思い返しました。国際社会でα化して美味しくなった「障害者権利条約ご飯」は、わが国の社会保障制度審議会にくると突然β化してしまうのです。この不思議な事実は、パラレルレポートに盛り込みましょう。