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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

親問題をすてない

 タイトルの言葉は、先日お亡くなりになった哲学者で評論家の、鶴見俊輔さんのものです。1960年日米安保条約の国会決議に抗議して東京工業大学の職を辞し、翌年から同志社大学教授となるも大学紛争に警察を導入したことに抗議して、1970年に同大学をお辞めになっています。常に自らの思想と行動を一体のものとして、生涯にわたって探究され続けた方です。

 「親問題をすてない」というテーマは、次のような経緯で明らかにされています。

 1999年にKBS京都が企画・制作したテレビ番組「鶴見俊輔の輪になって話そう」で中学生らとともに様々なテーマでやりとりする「寺子屋」のような機会が13回設けられました。この内容は、晶文社の『みんなで考えよう』シリーズ全3巻にまとめられています。

 この中学生たちとのやり取りの中で明確になったことは、「教師が自分をふくめての問題を出してこない点」にあり、「親についてもそうで、親が子どもをふくめての自分として、人生の問題を問うことがないということ」でした((1)鶴見俊輔著『教育再定義への試み』、115頁、岩波現代文庫、2010年:(2)鶴見俊輔著『大人になるって何?-鶴見俊輔と中学生たち(みんなで考えよう3)』、晶文社、2002年)。

 「親問題」とは、「自分が取り組んでいるもとの問題のこと」で、「人は生きているかぎり、いまをどう生きるかという問題をさけることができないでしょう。生きていれば、そこに問題がでてくる。どうして、生きているのかなってね。自分で、そう問うことが、問題をつくることが、『親問題』」なのです(前掲書(2)、73頁)。

 「今を生きる」ことを教師・親と子ども・青年が共有しているのであれば、教師・親は自分と子ども・青年を含めての「親問題」を設定するのが当前のこととなるのですが、なかなかそれをしていない。自らを自立した尊敬されるべき大人として子ども・青年に対するのですから、自分のことを脇に置き、子ども・青年を教育の客体としているのではないか。

 だから、中学生たちとのやり取りの中で、教師・親に「子どもから何を学んだか」と問いかけることを中学生に勧め、その問いに対する教師・親の答えの多くが「ない」という事態にあることを明らかにするのです(前掲書(2)、11-69頁)。

 教師や親が自らを脇に置いて子ども・青年に対する姿勢と、自分と子ども・青年を含めての「親問題」を設定しない点に、教師・親が子ども・青年と「共に今を生きる」ことをしていない現代教育の深刻さをみてとるのです。そして、このような「親問題」を常に作り続けてきた鶴見さんだからこそ、大学の職を辞してでも、反戦平和や大学への公権力の介入に対しての行動を起こされたのでしょう。

 「自分をふくめての親問題」をつくれない弱さについて、鶴見さんは日本の知識人に対しても指摘していたように思います。『戦時期日本の精神史-1931~1945年』((3)鶴見俊輔著、岩波書店、1982年)で考察された「転向」概念がそれに深く関係するものです。

 「転向」の「主要な意味は、国家権力のもとに起る思想の変化」であり、この現象には二つの側面があって、「一つは、国家が強制力を用いるということ」であり、もう一つは「個人、あるいは集団が、圧力に対して彼、あるいは彼ら自身の選択によって反応するということ」です。つまり、「強制力が働くということと自発性があるということが、この現象にとって二つの欠くことのできない側面」だということです(前掲書(3)、22-23頁)。

 このようにして、個人の思想変化は「国家権力による強制」と「それに選択的に反応する個人の自発性」の両面から捉えられるものですから、「今を共に生きるものとして、親問題をつくる」営みは、〈教師-児童生徒〉〈親-子〉という二者関係に閉じられたものではなく、社会とつながったものでなければならないことが分かります。

 鶴見さんの著作には、高い見識とともにリアリズムがあることを常に感じてきました。とくに、「転向」概念に関連して、私には鶴見さんと一体のものとして記憶に残る方がいるのです。それは、元日本社会事業大学教授の故五味百合子さんです。

 五味さんは女性の社会事業・社会福祉事業史の研究に大きな功績のある方で、著書の『社会事業に生きた女たち』は社会事業史学会の社会事業史研究文献賞を受賞されています。

 1985~86年にかけての社会福祉学会の懇親会の席上のことでした。「社会福祉士及び介護福祉士法」の原案が明らかにされたばかりの時期です。五味さんは、これらの資格の本質について、社会福祉従事者の「専門性を高める」とか「専門職制度の社会的確立」に決してあるのでなく、社会福祉事業法から社会福祉法に至る国の厚生行政を強力に推し進めるための「仕組み」に過ぎないとお考えになっていました。欧米の専門職制度とは「丸で異なる」と明言されました。

 懇親会の場での五味さんの発言は、大略次のようでした。

「私はかつて、日中戦争から太平洋戦争へと突き進む日本の戦時体制と一体のものであった厚生事業に身を置いていたことに、自らの戦争責任があると考えてきました」

「ただ、当時はとてつもない情報の統制が国家権力によってなされていたため、自分が身を投じた厚生事業が『銃後の守り』を固める治安的性質のあることを考える手立てがほとんどなかったことを悔やんでいます」

「今は、全く情報操作がないとは思いませんが、多くの情報を入手することができて、そこから国の政策方針の本質がどこにあり、その下で今回の資格制度の意味がどこにあるのかについて、考えて明らかにすることができない状況などどこにもありません」

「専門性の高い専門職だというなら、職能団体の自治によって試験を実施し、合格者を国家が追認すればいいものを、どうして国家権力が直接試験を実施するのでしょう」と。ちなみに、国家が直接試験を実施するのは、フィリピンと日本だけだと伺いました。

カブトムシの交尾の直前-その時の撮影は差し控えました

 さて、わが家の庭のカブトムシのその後についてです。先週よりも数が増え、交尾から産卵に至ったようです。これから腐葉土を庭に厚く敷き詰めて、来年はカブトムシのブリーダーよろしく「カブトムシの幼虫お譲りします-1匹○○○円」なんて副業を始めるかもしれません(笑)。

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