宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
今こそリヒテル
夕食のために立ち寄った飲食店で、AKB48「総選挙」の生中継が放映されていました。何となくこのテレビ画面を眺めながら、先日の朝日新聞の文芸欄に『今こそリヒテル』という記事が載っていたことを思い出しました。
「巨人」と呼ばれたソビエト連邦時代の大ピアニスト、スビャトスラフ・リヒテル(1915-1997)は生誕100年を迎えます。1970年の大阪万博に合わせて初来日し、大阪フェスティバル・ホールでの演奏は今でも鮮烈な記憶として残っています。
まず、演奏会に用意される多彩な曲目に驚愕です。そして、シルクのような繊細さとともに鉄の意思を貫くような演奏は、巨人リヒテルならではのものです。
1970年9月3日の曲目は、〈シューベルト:ピアノ・ソナタ ハ短調〉〈バルトーク:15のハンガリー農民の歌〉〈シマノフスキー:「マスク」から2曲〉〈プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調〉、9月5日の曲目は、〈シューマン:交響的練習曲〉〈ムソルグスキー:展覧会の絵〉となっていました(両日とも、大阪フェスティバル・ホール)。
これだけ多彩な作曲家のピアノ曲をこともなげに演奏できるピアニストは、リヒテルを置いて二度と現れないのではないかと思います。ピアニストの多くは「ショパン弾き」とか「ベートーヴェン弾き」などと、演奏曲目の中心に選択する作曲家が傾向的に決まっています。たとえば、アルトゥール・ルビンシュタイン(1887-1982)といえば、ショパンの演奏でした。
市販されるアルバムを見ても、ショパンやベートーヴェンがあるかと思えば、バッハの「平均律クラビーア」の見事な演奏まであります。このような神業のような演奏力をもつピアニストは、私の知る限りでは、リヒテルだけだと思います。
さて、このリヒテルの演奏スタイルは、ビジュアルの要素にほとんど関心を持ちません。
「舞台では極力、照明を落とした。ピアニストの顔や手を見ても意味がない、と。楽譜も堂々と置いた。暗譜で感心されることは、芸術の本質とは何ら関係がない、と」(5月25日朝日新聞朝刊より)。
しかも、リヒテル専属のピアノ調律師がコンサートの「譜めくり」にしばしば登場していたというのですから(河島みどり著『リヒテルと私』194-196頁、2003年、草思社)、ビジュアルの要素を排し、本当にサウンドだけを重視していたことがよく分かります。
人生観もかっこいい。
「『名声も財産もいらない、そんなものを持っていると束縛される。私は物質の奴隷にはなりたくない』というリヒテルは、旅にあるときこそ自由があるという」(前掲書12頁)。
初来日以来、伝統文化と現代を融合する日本に感心し、日本の食と文化の虜となって、「最初、温泉の共同浴場にちょっと二の足を踏んだが、そのうち露天風呂の大ファンとなり、『ソー・クリーン、ソー・ナイス』と一日に何回も入るほど日本びいきになり、マエストロは大満足だった」(同書199頁)とあります。リヒテルが温泉好きだったとは、驚きです。
とくに、リヒテルの日本への傾倒の主役は、ヤマハのピアノでした。
「なぜ私がヤマハを選んだか、それはヤマハがパッシヴな楽器だからだ。私の考える通りの音を出してくれる。普通、ピアニストはフォルテを重視して響くピアノがいいと思っているけれど、そうじゃなくて大事なのはピアニッシモだ。ヤマハは受動的だから私の欲する音を出してくれる。心の感度をそのまま伝えてくれるんだよ」(同書197頁)。
リヒテルの言う「パッシヴで繊細な感度」をもつヤマハのピアノは、日本の家具作りの伝統を活かしたフレーム・響版製作によって、世界のコンサートで使われる水準のピアノに仕上がっていきました。このようなピアノがアジア極東の小さな国で製造されることに敬意を払い、ヤマハの浜松工場まで出向いて、ピアノの製作現場に働く人たちのためのコンサートを開いたことは有名です。
歌って、踊って、飛び跳ねて…。サウンドだけじゃなくて、ミュージック・ビデオでアピールして…。昨今の音楽業界は、サウンドを洗練させる努力を怠ったまま、ビジュアルのアピールにあまりにも傾いているのではないでしょうか。アートじゃなくてエンターテイメントと割り切れば、さほど目くじらを立てることはないものの、ビジュアルを優先することによってサウンドが犠牲になっているとすれば、いかがなものかと思います。
リヒテルのエピソードを一つ。宿泊するホテル室内に運び込まれた練習用のピアノで、演奏会のギリギリまで練習を重ね、演奏会の開始時間ぎりぎりに楽屋に入って、颯爽と本番に臨んだということです。練習は、ピアノ演奏の基本中の基本である全調のスケールからはじめたといいます。きっと、リヒテルが練習で奏でるスケールは、すばらしい名曲に聞こえたでしょう。
職業柄、大学祭や新歓期の学生グループの演奏を耳にする機会がたびたびあります。しかし、見た目のアクションや振付・踊りの類は激しくなってきましたが、それに反比例してサウンドは聞くに耐えないものが多くなってきました。音楽の三要素であるメロディ・和音・リズムの重要性をわきまえた歌唱や演奏は、学生グループのロック・ポップス系には殆どありません。音程ははずれ、リズムも合わず、大きな声と音が鳴り響いているだけ-申し訳ありませんが、ただの騒音です。
「どんな優れた伝統も、生き残るには時流に乗らねばならない―。近ごろ、音楽業界でもよく聞くフレーズだ。でも、本当にそうか。商業主義の波に乗ってスターをつくったり、ジャンル越境をすすめたりすることだけが、未来へとつながるのか」(前掲の朝日新聞朝刊より)。
リヒテルは、「時流を拒み、心の自由を貫く」生き方を示した巨人だったように思います。日本の音楽関係者はもとより、福祉・介護業界の人たちにも、あるいは大きな示唆を与える生き方ではないでしょうか。