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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

値上げの失敗と報酬改定-無責任性福祉政策空洞化症候群


 先日、日本ハムの社長さんが昨年実施した主力製品の値上げは「大失敗」だったと語る報道に接しました(5月4日朝日新聞朝刊)。

 「シャウエッセン」はスーパーの売り場の一等地を値上げしていない他社製品に奪われ、八宝菜などを作るための「中華名菜」は「2~3人前」を「2人前」にする「ステルス値上げ」(内容量を減らして値段を据え置く値上げの方法)で、「ウズラ(の卵)が減った」などの指摘もあって、約1割売り上げが減少したそうです。

 競争の激しい業界でしょうから、値上げの判断はさぞや難しいでしょう。ただ、私の素人に過ぎない感想を言えば、日々の夕食・朝食を作り、食材の購入にスーパーマーケットにあくせく通う家庭人の苦労をこの社長さんはご存じないのではないでしょうか。

 ウインナーソーセージの購入を特定「銘柄」に決めている人はどれほどいるのですか。スーパーの棚には、大手メーカーの同等品が複数並んでいますから、その日の安売りセールの品を選ぶのが普通です。特売の安売りにでも当たれば、まとめ買いをして冷凍庫に放り込む。

 夫婦と子ども1人の3人家族が夕飯に「中華名菜」の八宝菜を作ってきたとします。これが、「2~3人前」を「2人前」にする「ステルス値上げ」に直面すると、「2人前」を3人で分ける侘しさに甘んじるか、もう買わないと決めるかとなって、2袋買うことは絶対にしない。

 その上、八宝菜や青椒肉絲には、材料をそろえる手間さえ惜しまなければ、味を仕上げる調味料商品もたくさん並んでいます。「中華名菜」の「ステルス値上げ」で侘しい食卓を強いられるような屈辱はご面被りたいと考えますから、味の素のクックドゥに流れてお仕舞いです。

 この社長さんは、この間の値上げが売り上げの減少に直結して業績の低迷を招いたことに悔恨の情をにじませているようです。が、自社の製品が家庭の食とコストのあり方に直結する商品であることをそれほど熟慮しているようには思えないのです。

 2000年に起きた雪印乳業食中毒事件の時、同社の経理部一筋の社長さんは銭勘定の数値管理には長けていたようですが、自社製品が家庭における食と健康に直結している商品であることの自覚は殆どない人でした。

 「物言う株主」として跋扈する大手投資会社と企業の経営陣との間に、事業計画や経営方針をめぐる意見の相違が生まれる場合にも、「数値的な利益の最大化」と「商品やサービスの特質を踏まえた事業の最適化」に意見の割れる分水嶺があることがしばしば見受けられます。

 メガバンク出身で、現在某大学のビジネススクールで教鞭をとる私の友人は、「経営状態を数値で評価すること」と「実際の経営を向上させること」は、別物だと言い切ります。

 経営の傾いた会社にメインバンクから社長が送り込まれても、事業の特質が分かっていない社長がコストカットするだけで失敗に終わる例、自分は事業で失敗したにもかかわらずコンサルに転じて他人の事業に「口を挟むだけのパラサイト」人間の例がそこかしこにあり、経済アナリストの殆ども現実の事業に係わる経営能力はないと言います。

 数字で評価したり、数字を細々といじったりすることと、実際の事業経営は別物だ―おそらく、金融価値と実体価値が乖離して運動する現代経済のあり様を反映した現象でしょうから、それはあらゆる領域に広がっているはずです。

 私は国立大学の教員養成系教育学部に勤めていましたから、文科省の目まぐるしく変わる教員養成に係わる方針の変更、短期間の事業評価や教員評価を繰り返していく評価制度、恒常的研究費の削ぎ落しとセットにした競争的研究資金の獲得への強制的誘導などを熟知する立場にありました。

 私が埼玉大学に赴任したての頃、文科省は教育学部に大学院修士課程を設置することを至上命題にしていたにもかかわらず、それから25年も経つと大学院修士課程を廃止し教職大学院の設置を強要する始末です。

 大多数の国立大学の教員養成系教育学部は疲弊し、教員の事務作業だけが増え、研究と教育の質を確保するためには過労を避けることができないまでになっています。それでいて、義務教育諸学校や特別支援学校の先生方の長時間労働、教員のなり手不足、過労死、教室のいじめ等が、これまで以上に深刻化しているのです。

 毎年膨大な労力を傾けて評価と予算いじりをしながら、教育政策の根幹部分はどんどん腐食して機能しなくなっています。仕事をしているようで、仕事の成果が丸でないのは政策主体そのものの大問題ではありませんか。「労力対効果」はゼロに等しい。

 大学や学校教育を評価制度で振り回し、毎年、予算を細々といじりながら真綿で首を絞めるように現場の人たちを苦境に追い込んでいく。その一方で、深刻な問題を抱える大学や義務教育の再構築に必要なグランドデザインは一向に描かない。

 このような現象は、福祉・介護の世界もまったく同様です。

 民間企業で「値上げ」や事業方針の失敗が明らかになれば、その具体的な責任を社長や幹部職員が取る運びとなりますが、福祉・介護政策の失敗に係わる責任の所在はいつでも不明確なまま、何事もなかったように通り過ぎていくというまことに不思議な世界。

 政策の方針と実施に責任の所在がなく、グランドデザインも明確に示されず、支援現場の福祉・介護の実態の空洞化が進行する―このわが国に巣食う病を「無責任性福祉政策空洞化症候群」と命名しておきます。この「難治性疾患」への感染は、今や、支援現場の経営体にまで広がりつつあるのではないでしょうか。

 障害福祉サービスの報酬や介護報酬の改定は、国が誘導したい政策へのインテンシヴを鮮明にし、改訂前の調査を通じて「過剰な黒(利益)」が出ているところをへこませるなどを目的に、「こまごまとした数字いじり」を延々と続けてきました。

 ここには財務省との関係において厚労省が「アリバイ工作」を続けなければならない事情も絡んでいるでしょう。この点については、ご苦労様なことです。

 しかも、サービス利用者を埒外に置いて、報酬改定に伴う解説書と報酬請求に必要なアプリケーション・ソフトの売り上げに多大な貢献をする点は、まさに今日的な「公共事業」にふさわしい。

 大規模な報酬改定に伴う自治体のソフト改訂のための必要経費は、大規模な自治体であれば億単位に上るところもあり、ある担当課長は「これだけの予算があれば、改善できるサービスもあるのに、本当にバカバカしい限りだ」と嘆いていました。

 それでいて福祉・介護サービス利用者の「生活の質」がどのように向上したかを政策のあり方との関連で吟味検討した試しはなく、Covid-19禍でブラックボックス化した支援現場の虐待は深刻化し、人手不足の慢性化も一向に改善されません。

 障害福祉サービスの職員待遇を月給でみると、介護保険領域より平均で5万円ほど安いという実態をある社会福祉法人が明らかにしています。介護保険領域の待遇は、他の業種業態よりも低い方向での落差が未だに認められますが、以前よりもかなり改善されたと言われています。

 それでも、福祉・介護の仕事は、若い人たちの目指す職業からこの20~30年間、どんどん遠ざかってきたのです。その最大の理由は、この職業領域で「キャリアアップしてどうなるのか」という点で魅力と信頼感が圧倒的に乏しいことにあります。

 以前、財務省が社会福祉法人の内部留保が巨額に上ることを理由に報酬を下げる方針を打ち出したことがあります。この時、業界側は「そんなに巨額の内部留保はない」と反論しましたが、事業者側が現状を客観的な数値で示すことはありませんでした。

 その後、私は折にふれて業界事情を探ってきたのですが、社会福祉法人の利益とその内部留保については、施設・事業所の構成や同族支配等の経営形態によって、かなり落差のあることが分かってきました。

 大規模なコングロマリットを構成する社会福祉法人の中には、現場職員の待遇を低く抑えたまま、巨額の黒字を上げているところもあります。このような法人ほど「うちはお金に余裕がなくて」なんて戯言を吐く傾向が強いようです。

 このようにみてくると、福祉・介護サービスの特質をわきまえることなく、「数字優先=利益の最大化」を支援現場の経営体に追求させるようした点だけが、3年に1回の大改訂と毎年の細々とした改訂を重ねてきた「報酬改定」政策の成果であることは間違いありません。

 「無責任性福祉政策空洞化症候群」が蔓延するようなりました。Covid-19と入れ替わりに、今日から感染症法の2類に指定したらいかがでしょう。隔離患者で病院は溢れかえるかも知れません。

抱卵斑の形成途上かな

 さて、ツバメ観察の続報です。抱卵する育雛期の野鳥は、体温が卵に伝わりやすいようお腹の毛が薄くなる抱卵斑を作ります。抱卵するのがメスに限られている場合は、メスにしかできません。このツバメはメスのようですね。