宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
ヒトという種の多型の一つとしてのASD
社会福祉法人東京コロニーは、1951年の設立当初から、平等性・企業性・民間性を事業理念に、就労事業(生産活動)で働く障害のある人の処遇(待遇)向上に努めてきた事業者です(https://www.tocolo.or.jp/about/index.html)。
障害者福祉法としては身体障害だけの時代に始まった法人ですが、1980年代には事務部門でASDのある人を雇用しており、その実情を90年前後に視察させていただいたことがあります。
当時、知的障害者や「自閉症」の人の、授産施設や作業所における働く取り組みは、工賃の平均が月額3,000~5,000円前後、高い人でも1万円にようやく届く程度であったのに対し、東京コロニーで働く障害のある人の待遇は例外なく最低賃金を上回る水準でした。
事務の経理部門の一員として働くSさん(20歳代前半、当時の言い方で「高機能自閉症」に該当)の仕事ぶりを見た上で、本人と同僚の方からヒアリングをしました。数字が仕事の命といっていい経理の仕事ですから、経理で働く従業員の皆さんは経理書類を注視して仕事を進めています。
中でも、Sさんの集中ぶりは群を抜いているように感じました。Sさんは「この仕事は自分に向いている。毎日(職場に)来るのが楽しみ」と言います。
日本人のサラリーマンのなかで、このような台詞を本音で語ることのできる人はどれほどいるのでしょう。当時の日本は、「生活のこともあるし、いろいろ不満はあるけれどもここで働いています」程度がマジョリティの本音でした。
しかし、Sさんは何の躊躇も濁りもない本音で、仕事のやりがいを語るので、私はいささか驚いてしまいました。
同僚の方々は、Sさんについてはただ「感謝、感激、雨あられ」だと言います。Sさんの数字の間違いの発見、訂正のスピードと正確さは「ただ者」ではなく、彼が経理部門に入職して以来、経理の仕事の根幹である数字の誤りは皆無になったというのです。
同僚は、「人事からは予め、数字の扱いに秀でた人だとは聞いていたけれども、コミュニケーションや人間関係で難しさがあるのではないかと、心配していた」と言います。
ところが、蓋を開けてみると心配は吹っ飛び、非ASDの人たちの注意とは「異次元の数字把握と計算能力」に、周囲はただもう「感謝、感激、雨あられ」になったと言います。
Sさんの計算能力の高さと映像的数字把握の正確さは、間違いなくサヴァン症候群でしょう(3月27日ブログ参照)。
しかし、このような特異な能力を持つASDの人たちだけに目を向けるのではなく、すべてのASDの人たちの理解に根本的な転換を主張する研究者の一人に、モントリオール大学教授のLaurent Mottronがいます(雑誌『natureダイジェスト』、2012年2月号 Vol.9、
https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v9/n2)。
Mottronは、自閉症の認知神経科学を主な研究テーマとする研究者で、彼の「研究チームには8人の自閉症者がいる」そうです。臨床医としてのMottronは、ASDは「日常生活が困難になる場合のある能力障害の一つ」であることを「嫌というほど承知している」と言います。
その上で、ASDは特定の環境の下では、利点にもなりうるし、非常にうまくやっていけると主張します。ASDは、「言語障害やコミュニケーション障害、同一行動の繰り返し、局限的な興味といった、ネガティヴな一連の特徴によって定義されている」が、ここに、ASDの長所が全く入っていない問題点を指摘します。
ASDの子どもたちに見受けられる特徴的な行動の一つに「クレーン現象」があります。他者の手を使って自分の要望を伝える行動で、たとえば、冷たい飲み物が欲しい時、それを言葉で伝えるのが難しいため、お母さんの手を取って冷蔵庫の扉に持っていくなどです。
この現象について、ASDの子どもたちは「ことばを使わなくてもコミュニケーションが取れる」とは評価しないのです。これまでの発達にかかわる評価や教育プログラムは、定型発達に基本形を置き、定型発達の筋道をたどることを目的に作成されたものだからです。
ところが、ASDある人の多くは、「聴覚課題(音の高さを区別するなど)や視覚構造の感知や、頭の中での複雑な三次元形状の操作に関して、非自閉症者よりもよい成績をおさめることが報告されている」のです。
知能検査から非ASDとASDの特徴を考えてみましょう。非ASDの人たちは言語性検査と非言語性検査の成績はどちらも同程度になります。これに対して、ASDの人たちは、言語性検査であるウエクスラー知能検査よりもレーヴン色彩マトリックス検査のような非言語性検査の方がはるかに良い成績となります。
このようにみてくると、言語・コミュニケーションの困難や社会性の困難に対する支援の重要性を過小評価することはできないとしても、ASDの人たちのそれぞれが得意とする能力、職能のアセスメントを十分にしないまま、単純作業を繰り返す作業に従事させたり、「絵画を描く力がある」と決めつけて「毎日ひたすら絵を描かせる」誤りが横行しているのではないでしょうか。
ASDのある人に「絵画を描いてもらう」取り組みの基本的な意義は、ASDの障害特性の一つである「想像力の障害」に対応する支援であり、「絵画を描く才能がある」からではありません。
Mottronは自分の研究室にASDの人たちと一緒に研究の仕事を進める中で、「平均的な自閉症者が研究に役立つ長所を持つことは、これまでの研究から一貫して明らかになっている」と考えるようになりました。
たとえば、ASDのある共同研究者の女性は、「大量のデータの中に潜むくり返しパターンや、そうしたパターンが乱れた事例をうまく見つけ出すことができる」のです。大量のデータの中からボトム・アップ型の問題の摘出と問題解決の能力がある。
その一方で、非ASD者であるMottronは、限られた情報資源から仮説とモデルの構築を行い、トップ・ダウン型の検証と考察を行う能力があります。「同じ研究グループ内にこうした2つの型の脳が併存すると、生産性は大いに高まる」と主張します。
このような協働は、東京コロニーの経理部門でみられたASDのあるSさんと非ASDの同僚の関係が生産性の向上をもたらした事実にもあったのかも知れません。
そうして、Mottron はASDを「ヒトという種の中の多型の1つと見なして研究すべきだ」と考えるようになったことを表明します。
つまり、定型発達を基軸に発達や人間の活動を考えるのではなく、定型発達と非定型発達を相対化して多様な能力や長所を明らかにし、誰もが共に清々しく生きることのできる地域や職場の環境のあり方を解明するべきなのです。ここに障害領域の支援者の社会的責務があります。
激減するツバメの巣
さて、野鳥の育雛期となりました。10年前には、自宅から半径300mの範囲に育雛するツバメの巣が3つありましたが、今はすべて「空家」となって壊れています。範囲を半径1kmに広げ、目撃情報を住民に聞き込みしながら調査してみましたが見つけることはできませんでした。
この地域は巣材となる藁や泥が容易に入手でき、カラスから狙われにくい長く奥まった軒のある「ツバメ向き優良物件」も多いのですが、どうやら全滅のようです。画像は、インターネットで得た情報から、車で片道15分のところで発見したツバメの巣です。ツバメはもはや身近な野鳥ではなくなったのか。事態は深刻です。