宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
高い感情表出と社会的虐待
院生時代にバイトをしていた精神障害に係わるデイケアで、利用者のGさんとテレビの「水戸黄門」の再放送を毎日見ていたことがあります。
TBSの「水戸黄門」シリーズは、1969年8月~2011年12月の42年余り続いた長寿番組です。旅行脚する「ご一行」の中心は、「先の副将軍水戸光圀公」に、付き人の侍である「助さん」と「格さん」。この3人が悪党を懲らしめます。
「悪党ども」は、たとえば、悪巧みで結託した代官と大店の主人といった連中です。封建社会における政治権力と財力を握っている悪に、庶民はなかなか歯向かえない。
ドラマは、ご一行が「越後のちりめん問屋の隠居と店の者」というふれこみで始まるものの、最終的には封建体制の権力の頂点に立つ徳川家の「葵の御紋」を切り札に、悪党どもを問答無用でやっつける。
ドラマの筋書きは毎回違うとしても、「ご老公一行」が「葵の御紋」を盾に「悪を懲らしめ、弱きを助ける」パターンは変わらない。簡単に言えば、家父長制的温情主義にもとづく勧善懲悪が貫かれるところに、観る側の安定と安心をもたらすのです。
Gさんは大学を出ていますが、お身内から冷遇された挙句の果てに、実質「縁切り」の状態に追いやられ、生活保護を受給しながらアパートで一人暮らしを続けていました。デイケアの帰り際に水戸黄門の番組を観ることを、ことのほか楽しみにしていました。
そこで、Gさんに「水戸黄門のどこがいいのですか」と尋ねてみました。
「それぞれの人の身のほどが決まっていて、やらなければならないことも決まっている。そういう分限さえわきまえていれば、安心した暮らしが続きそうなので、気持ちがとても楽になります」と言います。この返答に私はとても納得しました。
このデイケアでは、3日に1回くらいみんなで卓球をしました。デイケアのスタッフは、責任者である精神科のドクターから、ゲームや卓球で「本気をだして、力まかせに戦ってはいけない」、つまり「老人力で行け」(前回ブログ参照)と釘を刺されていました。
私は卓球が下手糞で、鋭いスマッシュを繰り出すなんて芸当はとてもできませんから、本気を出すも出さないもありません。ただ、相手にピンポン玉を何とか返すことだけに集中しました。
私の下手糞は地のもので、私が意識的に力を抜いている訳ではありません。「老人力」を発揮したのではなく、元から力がないだけです。しかし、この事実は利用者の安心につながっていました。
卓球の相手が私になるのを心待ちにする利用者まで現れました。私が相手だと、利用者の方が「力を出してやってみよう」と思うらしく、それが理に適った「支援」になっていたのです。
統合失調症の人は「尖った力」にとても敏感です。水戸黄門を観て「気持ちが楽になる」Gさんや、卓球の下手糞な私と対戦したいと思うデイケアの人たちの心情は、この敏感さの裏返しです。
精神障害のある人たちの地域生活支援に関連する重要な概念の一つに、EE(expressed emotion感情表出)があります。統合失調症などの慢性疾患のある人と同居する家族の感情表出のあり様は、本人の再発を招く主要な社会的心理的要因であることが分かっています。
感情表出の内容は、批判的コメント、敵意、情緒的巻き込み、暖かみ、肯定的言辞の5項目で把握します。これらの項目の中で、批判的コメント、敵意、情緒的巻き込みのいずれかに一定水準以上の感情表出がある場合、「High EE」(高い感情表出)と判定します。
1950年代のイギリスで精神障害のある人の入院から地域生活への転換が実施された取り組みの中で、High EEが精神障害のある人を地域生活から病院に引き戻す「回転ドア現象」を引き起こすことが明らかとなりました。そこで、再発の防止と安心で安定した地域生活への定着を実現する観点から注目されるようになった概念です。
わが国でも、1987年に入院偏重主義の精神衛生法から精神保健法に転換した時代に、High EE家族に対する家族教室等の取り組みが始まっています。
家族がHigh EEになってしまう原因は、変動する精神症状に家族が振り回されるストレス、疾患と治療に係わる家族の知識と情報の不足、相談できるところがないことに起因して家族が孤立してしまう問題等が指摘されてきました。
精神障害のある人に対するHigh EEな関与は、再発を招く主要な要因ですから、心理的虐待に該当します。それだけに、養護者である家族がHigh EEに追い込まれないための社会的支援を行き届かせることが何よりも大切なのです。
このようにみてくると、精神障害のある人の支援を組み立てる営みは、地域社会と家族に「柔和な支え合い」を実現することにキモのあることが分かります。
ところが、わが国では、未だに「尖った」暴力事件が支援現場で発生しています。昨年9月には静岡県の沼津ふれあいホスピタルで、この間は東京八王子の滝山病院において、それぞれの暴力事件が明らかになりました。
滝山病院の看護師による暴力の映像からは、虐待を防止する観点も気持ちもまったくなく、暴力を用いて積極的に患者を抑圧する日常に組織的な取り組みがあるとしか思えません。神奈川県立中井やまゆり園の虐待事案を彷彿とさせます。
滝山病院の事案を掘り下げたNHK・ETV特集「ルポ死亡病院~精神医療・闇の実態」は、精神障害と他の慢性疾患を併せもつ人を受けとめる医療体制の貧しさを背景に、受け入れ先のなさに困った患者さんがこの病院に行き着いてしまう現実を浮き彫りにしました。
この特集の中で、「この病院に入ったらおしまいだ、と言われています」という医療関係者の証言までありました。他の受け皿の選択肢のないところでこの病院への「囲い込み」が成立し、不適切な医療や虐待が起こるべくして起こっていることが分かります。一部の障害者支援施設で発生する虐待と同様の構造的要因を確認できます。
直近の報道によると、所沢市の職員までが、家族の同意を取らないまま滝山病院への医療保護入院の手続きを勝手に進めていたことが明らかになっています。
精神障害のある人に対して、一部の精神科病院や自治体は高飛車な力を笠に着て、とてつもなく尖った「High EE」な関与をして精神障害のある人たちを苦しめているのです。まるで悪巧みで結託した代官と大店のようですが、水戸黄門はどこにも現れません。
精神障害のある人たちを苦しめ、場合によっては死に追いやるような関与を、「治療」や「支援」の名目で行っている医療・福祉関係者のいることに憤怒を覚えます。と同時に、このような人権侵害の「闇」を放置しているわが国の現実は、障害のある人に対する社会的虐待であると指摘しておきます。
「地域生活移行」以前の問題が政策的に放置されているのではありませんか。障害者権利条約の締約国として速やかな事態の改善が求められます。
スミレ
一段と春めいてきました。庭に咲くスミレの花言葉は「謙虚」「誠実」。障害領域の支援者と政策当局に最も求められるスピリットです。グループホームで一山当てようと考えている向きや、社会福祉法人や精神科病院のホームページで実体のない口先だけの「高邁な理念」を並べ立てている方々には、スミレの花束を贈ります。