「そんなこと」でも、俺には「大事なこと」なんだ!
~がんになってわかった「介護される人」の気持ち~
現場経験を活かして専門学校で教鞭をとっていた最中に「がん宣告」を受けた松崎さん。
「利用者のため」をモットーに介護にあたってきたつもりが、利用者の立場になってはじめて気付くいろんなこと…。
がんと絶賛同居中(?)の松崎さんのアツい思いをお届けします。
- プロフィール松崎 匡(まつざき ただし)
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2014年4月より「合同会社M&Yファクトリー」代表社員。
元アルファ医療福祉専門学校教務主任。福祉関連事業所の開業、業務改善などのコンサルティング、研修講師、市民向けの介護講座などのほか、青少年の更生、フリーター、ニートの就職支援などを手掛ける新たな福祉への関わりを中心に活動中!
第11回 仕事を続ける支えって持ってますか?
僕は何だかんだ言いながらも25年ほど福祉に関わり続けています。
若いときには、理想とする福祉と現実に行われているあまりにレベルの低い福祉に絶望し、何度も辞めてしまおう・・・と考えたことがありました。
それでも辞めなかったのは何故か? そんなことを考えてみました。
改めて考えてみると、結構いっぱいあって・・・これを全部書き出すとまた新たな連載が立ち上げられるくらいあります(汗)
たとえば・・・
- ・初めて介護した中学2年の時の怒りの現場
- ・学生時代の実習先での施設長とのバトル
- ・親戚の入った特養での虐待・・・など
意外と反発心から仕事を続けるモチベーションを維持してることもありました。
それとは反対に
- ・初めて勤めた授産施設(当時)での利用者の純粋さ
- ・特別養護老人ホームで「介護」の本質を教えてくれた利用者との関わり
- ・学校教員時代に熱意を持って伝えることで反応してくれる受講生との出会い・・・など
この仕事をやってこその醍醐味といいますか、喜びが僕を励ましてくれることもありました。
皆さんは、そんな「続けていく支え」のようなエピソードや出会いを持っていますか?
今回は、僕の支えのなかで全然福祉と関係ないところから励まされ、ずっと僕を支えてくれているエピソードをご紹介します。
僕は10代の頃からバンド活動をしていて、いつかはきっと・・・と夢見る青春時代を過ごしていました。25歳までに芽が出なければ辞めるつもりでしたが、結局27歳まで本気で打ち込んでいました。20歳頃に2人の師匠に弟子入りし、師匠の活動のお手伝い(坊やってやつです)やら、要するに「使いっぱしり」をしていました。
25歳くらいで師匠の元を離れて自分の活動をしていましたが、27歳でバンドが解散してしまい、ちょうど新宿の特別養護老人ホ-ムに就職が決まり、これからは本気で福祉に取り組んで、日本一を目指してやろうと思っていました。
ちょうどその頃、師匠のバンドは売れに売れ始めていて、陰ながら僕も喜びつつ「福祉でやっていくことを報告しよう」と思い師匠のライブ会場に挨拶に行きました。
そこで、すっかり髪も短くして普通の人になった僕がスタッフに「師匠にご挨拶に来ました」と伝えても、全く最初は信じてもらえず困っていたのですが、「松崎がきたとお伝えください」とお願いすると、師匠が楽屋に通してくれました。
そこで突然、師匠が僕を通してくれなかったスタッフを全員集めて、
「ここにいる松崎はお前らの大先輩なんだぞ! なんて失礼なことしやがった!! まずお前ら謝れ!!」
と言い始めました。
「俺らが全然売れてないときに、必死でチケット売ってくれた恩人なんだ! 見た目がそう見えないからってなめるんじゃねえ!」
「いやいや、師匠・・・そんなに怒らないでくださいよ」
と僕が言ったとき、師匠が
「松崎は今『福祉』ってやつをやってるんだ! お前らにできるか? 俺たちのなかでこんなまっとうな世界で一生懸命やっている奴が他にいるか? 松崎は俺たちの誇りなんだよ!」
と言ってくれたのです。
僕が特別養護老人ホームに就職したことをどこかで聞いていたのでしょう。師匠は、音楽から離れた僕を離れたところから応援してくれていたのです。
僕は、どんなに苦しくても絶望しても、今でもこの言葉のおかげでずっと福祉を続けています。ここまで言ってくれているのに、すぐに辞めてしまったら師匠に恥をかかせてしまう・・・それに比べたらこんな辛さなんて乗り越えられる。
これが、ずっと僕を支え続けている言葉です。
皆さんにも、続けていくための「支え」がそれぞれあると思います。
長年やってきている方は、これから福祉を志す方に向けて「支え」になる一言が言えるように・・・
まずは小さいことですが、自分の「支え」を振り返って確認してみてください。
きっと振り返る以前と見えてくるものは違っていると思いますから・・・